新積み残しの記(49) 三語法で観る世相 雪隠 憚り WC                   
                           
                           秋 たける
 
                        
        
 先月、横浜公園で満開のチューリップを眺めたあと、港の大桟橋の屋上から大横浜港を展望した。1978年5月から5年足らず、
横浜港で輸出入の仕事に就き現場の上屋、税関など走り回っていたので、とにもかくにも港は懐かしい。

 その帰途、港南台駅でトイレに立ち寄った。ここのトイレを使うのも久しぶりだ。
「男子トイレは左、女子トイレは右です」。丁寧な音声ガイドは以前と変わってはいないが、何か変だ。そうだ、正面入口の
壁の表示が変わっている。男子トイレ側に、青色の男子のピクトグラムの下に「男子化粧室 Restroom for Men」、女子の側には
赤色の女子のそれが描かれ「女子化粧室 Restroom for Women」と書かれている。
何なに、男子化粧室だって? これまで化粧室 Powder roomは女子トイレ専用の呼称だとばかり思っていたが、今は男だって
ここで身だしなみを整えなさい、ということか。
                  
    子のしゃべるかたことを写す妻の手紙 便壺にまたがりくりかへし読む   司代 隆三

 トイレの呼称もその使い方も時と所で変わる。昭和万葉集に、戦地でわが子を想う兵士が詠んだ歌が採られているという。
詠んだのはおそらく1930年代後半に、日中戦争で中国の前線に派遣された兵士であろう。便壺。寒々として曠野の戦陣が
思いやられる。独り、故郷に残して来た家族に思いを馳せることのできる所は他になかったのだ。

    産土(うぶすな)に荒神様に雪隠に餅を供へてまた一つ老へる。  山形県 佐藤 幹夫
                      2016年1月25日「朝日歌壇」選歌 永田 和宏選

 戦時中の少年時代、私は生まれ故郷の能登でトイレは家でも学校でも便所と呼んでいた。周りのおばあちゃんたちは雪隠、
手水場(ちょうずば)あるいは厠(かわや)などと呼び、用足しに行くことを「憚りに行く」と言っていたように思う。便所は
母屋ではなく納屋につくられていたが、親からは竈には火の神様、井戸には水の神様、便所には便所の神様がおられるので、
決して汚してはいけないと、教えられたおぼえがある。

 この歌を詠んだ佐藤さんが住んでいる山形地方では、今でも「雪隠」と呼び、正月にお餅を供えているのだろう。
「また一つ老へる」から思い出した。その昔、元旦を迎えると確かに、誰も彼もが一つずつ齢を取っていた。その「数え年」が
廃止され、現在の「満年齢」で数えるようになったのも、思うに新憲法に依ってのことだったのだろう。
1947年(昭和22)4月、国民学校の高等科(2年制)が新制中学校(3年制)に制度替えになり、私はその1年生になった。
学校の呼称こそ格上げになったが敗戦国の悲しさ、新しい教科書も校舎もあるはずがなく、それまでの国民学校高等科と同じ校舎へ
通学し、先生方の手作り授業を受けた。兄が使っていた教科書も自分の教科書も墨を塗り棄ててしまったのだから当然だろう。
誰からの指示だったのだろうか、急に変わったことの一つが便所に英語のWCが併記されたことだ。WCはWater Closetの頭文字だと
教えられことはなかったが、私たちはわざわざ「ダブリュウ・シーへ行く」とか、何とか言っていたように思う。英語の教科書
「Jack and Betty」はずいぶん遅れて配布されたので、中学校ではまともに英語を学んだというおぼえがない。

 本格的に英語を勉強せざるを得なくなったのは、1970年(昭和25)4月に入学した高校の1年生になってからだった。幸か不幸か、
英語の担任の菊池先生から徹底的にテキストを暗唱させられ、席順がアイウエオ順だったので、いつも真っ先に当てられた。家で
 Cinderellaを暗記したつもりだったが、教室で指名された途端に、記憶が飛んで頭の中が真っ白になった。Cinderellaは灰娘、
poorは「可哀そうな」と教えられた。

 そのころになると学校では「トイレ」が普及していたと思う。ある日、同級生の一人が寄って来て、得意げに「トイレに行きたく
なったら英語でNature calls meというんだって」と教えてくれた。「自然が呼んでいる」か、その婉曲的な言い方、気持ちは分かるな、
と感じたものだ。彼は誰から教えられたのだろうか。手に入る英語の辞書といえば、当時、受験の神様・旺文社の赤尾好夫さんの
「豆単」しかない、そんな時代だった。

 1957年4月物流会社に入社、その4年後に6年間ほど、外国船相手の代理店業務を経験した。日常業務上、決まりきった英文の、
本船の入出港手続書類、海運貨物受け渡しなどの書類は作成したが、船長や貨物士官である一等航海士、事務長との英会話は、餅は
餅屋の通じればそれでよしの、仲間同士の英語で何の不自由もなかった。

 1970年11月、突然にニューヨーク勤務を命じられ、その着任の2、3日後のある日、そこで働いていた日系二世のフランクに言われた
一言が忘れられない。

  「トーマス(私のこと)の英語はbookishだね」。
 
 トイレのことをWCと言ったのだろうか。私の英語学習履歴からして、そう指摘されても仕方ないだろう。

  「アメリカでは家でも事務所でもbath roomかmen’s room、野外では restroomと言った方がいいよ」。

 トイレで一緒になった時、こんなことを言われたこともある。

  「ここは誰もが集まって来る。ほんとにいい、comfortableなところだね」と。

 後日、先任者から引き継いだアパートにbath roomが整備されていたし、運転免許を取ってから訪ねた州立公園のrest areaには
comfort station(トイレ)が整備されていて、そう表示されていた。日本のトイレのきれいさ、清潔さには及ばないまでも。

  One step forward, your tomahawk is shorter than you think.

 トイレが綺麗で清潔であってほしい、その願いはニューヨーカーだって同じだろう。この警句は1983年3月、2度目のニューヨーク赴任
したあとで日本料理店のトイレで何度か見かけた。その頃は自動車産業を始めアメリカ向けの輸出が圧倒的に伸びていてその反動から
日本車が焼かれ、日本人に間違えられた中国人が殴り殺されという気の毒な事件が起きたこともある。ニューヨークの街に寿司店など
日本料理店の出店が相次ぎ、日系企業の米国進出祝いのパーティには、寿司バーの屋台が並んでいたものだ。

 トマホークとはいかにも物騒な例えだ。日本語の「便所」は気持ちよく、用が足せる便利なところであろう。またその昔使われていたという
「閑所」は独り静かにリラックスし、快適に過ごせる場所、アメリカ英語のcomfort stationに通じている。

   急ぐとも 心静かに手を添えて 外にこぼすな松茸の露

 きれいで清潔なトイレはきれいに使う人、便器まわりをいつも清潔に掃除をしてくれる人、花を飾ってくれる人あってこそだろう。その昔、
こんな優雅な落首が割烹レストランのトイレにかかっていたのを、何度もみかけたものだ。ご存じの方も多かろう。
「手を添えて」が「的決めて」になり、「松茸の露」が「竿の露」に変えられたものもあったが、ストレートに言わぬことこそ日本語の花だろう。

 トイレに花、日本語の花といえば、2016年2月1日付の「朝日歌壇」に、選者の馬場あき子さんがこの歌を選んでいたことを思い出す。
いかにも女性選者らしい。

   新しく一人の女性採用され トイレに花の活けられてあり  鶴岡市 大沼 二三枝

 一人の女性が採用され…とあるところを見ると、このトイレは職場かあるいは公共、共用のトイレであろうか。今は駅の男子用トイレにも
消臭剤が取り付けれ、使用後、ボタンさえ押す必要はない。センサーが感知して自動的に水を流してくれる。

  The toilet will flush automatically when you move away.

  「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」

 隣りの洗面所には石鹸水、ペーパータオルが置かれ、今はコロナ禍で使用禁止になっているが、手の乾燥器が備えられている。

 ウォシュレットの普及はめざましい。その辺を評価しているのだろう。「日本に来て何に驚いたか」との問いに、海外から来た観光客
ことに女性は、こう答える。
安全な国だ、落し物は返って来るし、人はみな親切だ。列車は時間通り運行されている、道路がきれいでどこにもゴミが落ちていない。
店員の対応が礼儀正しい。どこのトイレもきれいで清潔でとても使い心地がいい。しかもそれがタダで使える…。
NHKのCool Japanじゃないけれど、よいしょされて己惚れてはいけないが、1980年代のエコノミックアニマル呼ばわりよりよほどいいだろう。
増してや軍事大国…。

 トイレは、きれいで清潔で心地よい実用の不可欠な施設であるばかりでなく、静かな思索の場ではないか。北宋時代の政治家欧陽脩は説く。

   「余、平生作る所の文章、多くは三上に在り。乃ち馬上・枕上?(ちんじょう)?・厠上?(しじゃう)?なり」。

 現代に置き替えれば、文章に限らず考えごとをするのに都合がよい場所とは、一に人が運転する乗物に乗って揺られている時、二に寝床に
入って思うさま体を伸ばしている時、三に独り静かにトイレに腰掛けて己を開放いる時、ということになるだろう。

   行き場なき満タンの原発汚染水聖火ランナーの背景とはせず   所沢市 風谷 蛍
                     2021年4月25日「朝日歌壇」選歌 馬場 あき子選 

 今の原発はトイレなきマンションだと揶揄されているが、的を射ていると言わざるを得ない。汚染水は増える一方だし、使用済み核燃料の
最終保管場所も決まらない。決まったとしても「この地下に危険物あり」の日本語が10万年後の子孫にわかるのか。

 コロナのパンデミック、ロシア軍のウクライナ侵攻、加えて地球の温暖化と増え続けるプラゴミが生態系に与える影響…。
一人ひとりがトイレの中で、出たあともわがこととして解決策を考え行動に移すべき時なのに、先頭に立つ歴代自公政権は見ぬ振りをして
問題を先送りするだけ…。今年も物憂い夏がやって来る。      

                      2022年5月18日記す

           








          

 



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