わが青春のジェームス・ディーン                   
                           
                           良久子ルービン
 
                        
        
                       


 一九九五年八月、カリフォルニア州モントレー郡、サリナス盆地。
   
    カリフォルニアの燦燦と輝く陽の光を浴びて見渡す限り延々と続くレタスの緑の絨毯が、長いドライブで疲れた目に心地良かった。
 とうとう来た!私は灰褐色がかったレタスの畝にそっと立ってみた。この畑が映画「エデンの東」でキャル・トラスク役の
 ジェームス・ディーンが「早く大きくなれ、早く大きくなれ」とレタスの成長を促しながら、畝から畝を飛び跳ねながら走り
 回ったのと同じ畑かどうかは全く問題ではなかった。私の目に焼き付いている、あのレタス畑のシーンが、現実のものとして
 目前に広がっていたからである。

 「エデンの東」を佐賀市の朝日館で最初に見たのは、中学二年、十三歳の時であったから、一九五五年である。
 母と連れ立って見に行ったのであるが、その時、私が受けた衝撃と感動ぶりを、母がいぶかしがったのが懐かしく思い出される。
 「エデンの東」で一躍注目を集めたジェームス・ディーンに私はすっかり夢中になった。従来の正義感に溢れる男の中の男とは違い、
 父親の愛に飢えた、孤独で傷つきやすい繊細さを隠すために、ひねくれた言動で観客の母性愛に訴えかける演技に、その年ごろの
 殆どの若者が感じるであろう、疎外感、不安感に強く反応したのに違いない。直ぐにスタインベックの原作を読んだ。読んだのは
 もう60年以上も前のことで、記憶は曖昧だが、トラスク家三代にわたる長編で、映画では説明されなかった複雑な人間関係が分かり、
 その後、又朝日館で再度観た時に、登場人物の心理がもう少し良く理解出来たくらいは言えるかも知れない。

  私の中学時代から高校時代にかけては、邦画にしろ、洋画にしろ、映画の最盛期だったと思う。佐賀市だけでも、朝日館、平劇、
 有楽座、東映、東宝、松竹、日活等、覚えている以外に、全体では十四館あったというから驚きである。それだけに、映画以外には、
 あまり娯楽が無かった時代、映画は、思春期の感じやすい年頃の私を鷲掴みにして魅了したと思われる。日本映画も勿論観たが、
 主に興味があったのは、アメリカ、フランス、ドイツ等の諸外国のもので、それらは、まだ見ぬ広い世界への憧れを養う大きな役割を
 果たしたと言える。
   土曜、日曜日は、大体、親友達と市内の映画館巡りをした。春、夏、冬休みには回数も増え、時には一日に2本立てを2か所で
 観たりした。又、ロードショーに博多まで足を延ばすこともあり、その中でも、一九五六年四月に観た「ノートルダムのせむし男」は
 記憶に新しい。この日は映画の後、博多スポーツセンターでローラースケートを楽しんだので特に印象深いのかも知れない。
 後年パリを訪れた時は勿論、ノートルダム寺院を訪れ、エスメラルダとカジモドに思いを馳せたものである。

  このように書くと、私の映画への情熱は今日まで続いているかのように聞こえるが、そうとは言い難い。結婚してアメリカに渡り、
 家事と子供の世話に明け暮れるようになってから、映画を観る時間が殆ど無くなったのに加えて、ハリウッドのアメリカではなく、
 普通のアメリカ人の中で生活するようになって、アメリカに対する考えが変わったのにも原因があると思う。
 従って、今日、私が映画について話すとなると、評判になったものを時たま観るだけの新しい映画ではなく、思い出の中で生きている
 映画のシーンである。外国へ行く機会が割にあり、その都度、好きだった映画のロケ地があるかどうかを調べて、回顧の情に浸るのを
 楽しみの一つとしている。
 先に述べた、サリナス盆地とノートルダム寺院を始めとして、今まで訪れた国々で、思いつく儘、印象深かった場所を挙げてみることにする。
  

   戦場に掛ける橋―――タイ国のクワイ川にかかる橋
 
   南太平洋、地上より永遠にーーーハワイのカワイ島、オワフ島のホノルル
 
   愛の泉、ローマの休日、旅情、ベニスに死すーーーローマ市、トレヴィの泉、ベニス市
 
   ロメオとジュリエット、苦い米ーーーーイタリアベロナ市、ベロナ近郊のポー川沿いの米所
 
   ハムレットーーーデンマークのクロンボー城
 
   二都物語ーーーロンドン、パリ
 
   制服の処女ーーーベルリン郊外ポツダム
 
   モンパルナスの灯−−−パリ市モンパルナス
 
   アンネの日記―――オランダアムステルダム市、アンネ・フランクの家
 
   第三の男−−−オーストリア、ウイーン市内の遊園地のゴンドラ
 
   マイ・フェア・レイディーーーロンドン
 
   静かなる男、ライアンの娘ーーーアイルランド、ゴールフェイ市近郊、ディングル半島海岸
 
   七年目の浮気ーーーニューヨーク市マンハッタン
 
   めぐり逢いーーーニューヨーク市エンパイアステートビル
 
  他に「わが青春のマリアンヌ」は好きだった映画で、このロケ地はオーストリアのフッシェル湖で、ここにはザルツブルグからバスで
 行けるということだったが、生憎、時間の都合で行かずじまいとなったが、このエッセイの題に拝借した次第である。
 又、この時代は西部劇が盛んであった。ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演のものは大体観たのであるが、西部劇のロケ地として
 有名なアリゾナ州のモニュメント・バレー、グランド・キャニオンの風景は映画で見慣れたものばかりで、その壮大さにはほとほと感動した。
 余談ながら、私が住むシアトルはハリウッドに近いせいもあり、良くロケ地として利用される。特に有名になったのが、Sleepless in Seattle 
 (めぐり逢ったら)で主人公親子が住んでいたユニオン湖のハウスボートで、ボートツアーの観光場所となっている。

  最後に、「エデンの東」を最近、ビデオで観たところ、ジェームス・ディーンのどこが良かったのだろうと思ったのには我ながら
 驚いた次第である。 
 これは成長なのか、あるいは若い時の感受性が無くなったかと憂うべきことなのか。朝日館で観た「エデンの東」への母親の反応がなるほどと
 頷ける所以であろうか。

           








          

 



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