うなぎ柴漬け漁 山田 政光 柱時計が鈍い音をして時を刻んでいる。微かに動く時計の針が4時を指すと 「ボーン・ボーン・ボーン・ボーン」と4回鳴った。4時である。外はすでに少しづつ明るくなりかけていた。 家長の松男はゆっくりと掛け布団から抜け出して土間へ下りた。片隅にある大きな甕に柄杓を入れて水を汲み乾いた喉を潤した。 飲み込んだ冷たい水の感触を腹腑に感じた。小さな桶に再び水を2・3杯注ぐと両手で水を掬い眠たい顔を洗った。甕の上に下がっていた 手拭いで簡単に顔を拭くと、これまでの眠気も解けていた。 「用心して行ってね。ハイ朝飯よ!」 そう言って妻のキヌは小さな包みを手渡した。松男が床を出る時にはすでにその気配を察して、飯台の下に置いてあったお櫃(おひつ)から 昨夜握っておいた握り飯を3つほど包み、松男が顔を洗い終えるのを待っていたのだった。 「おう!有難うよ!行ってくる」 松男は表戸を少し開けて家を出た。 軒下に置いていた自転車を静かに引き出してキヌが作ってくれた朝飯をハンドルにしっかり括り付けて家を後にした。明け方の路は 夜露に濡れて、道路わきの樹々には夜露がしっかりついていた。松男が集落の外れまでくると、先方にひとりの男が刻み煙草に火を 付けている姿があった。男は道路わきにある丸太の端に座っていた。松男の兄貴分ともいえる鉄男であった。 「おう!早っかったな!」 鉄男はそういうと傍らに止めていた自転車に手をかけて引き出し、二人は並ぶように自転車を走らせるのであった。これから二人は 近くの山の中に生えている雑木を切りに行くのだった。 集落から約2キロほど離れた山の根もとに着くと、自転車に括り付けてあった握り飯の包と、数本の縄を腰に巻き付け、木を切る 鉈鎌を持ち、山道に入るのであった。早朝の山は静かに二人を迎え入れているようであった。二人はいつも慣れているのか、小さな 山道を黙って登るように進んでいくのだった。 少し視界が切れたのか広くて明るい場所に出た。二人が雑木を切る場所は知りあいの地主の山の樹々をもらう事で、地主は下草刈りを しないで済むので助かっていた。 「俺はこの先を切る!」 鉄男はそう言いながら、腰に巻き付けた荒縄を一本抜いて山に入って行った。松男もまた腰から荒縄を抜いては鉄男から少し離れた 場所の雑木を切るのであった。男たちは己の背の高さくらいの樹々を選んでは根元から、少し太いのは途中から鉈を入れては切り続けた。 切り続けていると汗が出てくる。腰に下げた手拭いで汗を拭きながら、樹々を切り出すのであった。やがて朝陽が射す頃になると、 周りが一段と明るくなって、風にそよぐ木々の葉音に混ざり鳥の声が一段と増してきたようにも感じた。 「オーイ。朝飯にするか?」 そう叫ぶのは鉄男であった。 「わかった!飯にしよう」 松男は持っていた鉈を持ち直し、広い見晴らしのよい場所に座る鉄男の隣に座った。 「今日もよい天気じゃて。もう少し天気が続いて欲しいな」 そう言いながら二人は持って来た握り飯を拡げて食べた。 「ところでお前はどのくらい柴〈芝〉を作るんじゃ?」 鉄男は松男に聞いた。 「俺は50本ほどじゃ。25本づつ2澪(みお)に流すつもりじゃ」 松男は己の船に積める芝の数に併せ総数を50本としようと考えていた。 「うん。そのくらいでよかろう。あんまり欲張ると他の奴らが妬むからな」 鉄男はそう言いながら、自分は7・80本3澪を流すつもりだと答えた。 鉄男の漁師の実力は高く。地域の漁師のなかでも長老の部類に入るので、他の漁師は尊敬していた。判らぬことがあれば鉄男に聞けば すぐに応え、教えてくれるので漁師仲間ではみんなの信頼を得ている鉄男であった。 ひととおりの芝の量を切り出すと二人は束ねた芝を背負い山を下るのであった。自転車を止めていた場所まで下りて来ては、荷台を 広くすべく板を拡げた上に芝を3段ほど重ねた。自転車はあまりの重さに前輪が浮くような格好になったが、慣れたものでハンドルを 上手く操り自分たちの集落へと帰った。 「オーイ!今帰ったぞ!」 松男はそう言いながら止めた自転車から芝を下し下屋(げや)と呼ばれる作業場に取って来た芝を放り込んだ。 昼餉を済ませたら、今度は芝の塊を少しずつ分けては、樹々を数本づつ束ねて己の両手で抱えるほどの大きさまでなったら根元を きつく縄で束ねるのだった。そんな作業の繰り返しが続き、やがて50本ほどの芝が出来れば、この作業の先は見えて来るのであった。 5月の大潮時を狙い、村の漁師たちはそれぞれが作った芝を小舟に乗せ、海の中に出来た澪筋に設置するのであった。 有明海の海流の流れは速く、白川河口の鉄男たちがうなぎ漁をする場所には多尾(たお)と呼ばれる澪筋がいくつもあった。 漁師たちは大潮の時に澪筋に自分たちの棒杭を立て、それぞれが目印になるものを付け澪筋に添うように大きな荒縄を流して芝の 根元から1間ほどの縄を出して澪筋の大きな荒縄に結び付けるのだった。約200メートルほどの太い荒縄に結び付けられた芝は 満ち潮ともなると魚たちの格好の住み家のようになり、ここにうなぎや車えびなどが住み着くのである。6月から8月の間は漁師たちは、 自分の持ち縄の芝を大事に扱い少しでも多くのうなぎやえびを獲ることに忙しかった。 梅雨時の海の中は濁っていた。こんな濁りのある時は芝漬け漁は忙しかった。 いつにも増して大きなうなぎが獲れることが多かった。 漁師たちは海の干満に合わせ船を出した。梅雨時の海は、阿蘇山を源に白川から流れて来る火山灰で濁った川の水は海の中まで濁して しまい、大きく蛇行しながら澪筋に流れ込み、また満ち潮では深い海の中にいる魚たちが、澪筋を昇って来ては、芝の塊の中に 入り込むのであった。 松男は太い荒縄に結わえてある小さな芝をゆっくりと引き上げては、片手に持ったやや大きな三角網に芝を入れ、大きく揺すると中から うなぎや車えびなどが、網の中に落ちて来るのであった。時にはあまりにも大きなうなぎなどが入っていると、片手では持ち上げられず、 芝を放り出しては三角網を両手で持ち上げ、獲物を船の中の生簀(いけす)にいれるのであった。生簀では大小のうなぎに混じり 車えびが大きく跳ねながら泳いでいるのであった。 おおよそ50本の芝を上げて終(しま)う頃には満潮となってくる。やがて満潮の塩は引き潮に代わってくる。漁師たちは潮があるうちに 陸(おか)の船着き場に引き潮に逆らいながら帰らねばならない。それぞれ引き潮に逆らい、陸(おか)を目指して櫓を漕ぐのであった。 やがて葦原の中にある船着き場まで来ると小船を入れ、太い竹の杭に艫綱(ともずな)で小舟を括り、そのあと乗せていた竹籠(魚籠)に 生簀から鰻を移し入れ、また別の魚籠には車えびを入れ、天秤棒で担ぎながら我が家へ帰るのであった。大漁の時は重い天秤棒も肩には 軽く感じるのだった。 久々の大漁に、妻のキヌや子供たちに松男は大きな笑みを見せることができた。キヌは松男が獲ってきた鰻を大きさ別に分けては村の 中にある鰻の買い取り業者である園田屋へ行っては金に換えるのであった。 この時期は子供たちも鰻が食えることを喜ぶ時期であった。 終