栴檀の下で                   
                           
                           筒井 邦子
 
                        
        
                       
  
                  
                         
  「ねぇ、変わり映えせんけど、またこれ作ってん。どない?今年もそこそこうまいことできたと思うんやけど・・・」
 
  里さんが、ちょっと大ぶりな弁当箱を広げる。

  「あぁ、なまぶし・・・、そんな季節やね。里ちゃんの作るなまぶしは絶品やからねぇ。厚揚げもええ色に
    炊いたあるわ。ひとつ頂こ」
 
  和江さんがのぞいて、取り皿にひとつ取り上げた。隣にいたお克さんも手を伸ばした。

 「うちの人の好物やさかい、この時期にはよう作るねん」

 里さんは,和江さんらが箸をつけるのを嬉しそうに眺めた。
それを合図のように、賑やかな宴が始まった。宴というのはちょっとたいそうやけど、一同の気持ちは宴と言っていいくらい
盛り上がっていた。
 長屋の花見よろしく、それぞれ持ち寄った弁当箱や重箱を並べる。普段から見慣れた贅沢とは言えない食材や料理ばかりだが、
そこは長年台所を預かってきたおかみさん連中、手慣れた調理を連想させる季節を感じるものがほとんどである。

 「今年初めての山椒を炊いたんやけど、どうやろか」
 
 控えめな質の一番若い信さんがためらいながら小さな容器を茣蓙の上にそっと置いた。
 年長の雅さんが、ちらっと見て

 「ええ色や、枝から実取ったり、灰汁(アク)抜いたり大変やったやろ。根気が物言うねぇ。けど常備菜として、
  豆腐に乗せたり、ご飯に乗せたりすると食進むよね。これを用意するなんて、たいしたもんやわ」

 やさしくねぎらい掌に2,3粒をとった。雅さんが口に含み噛みしめるとあたりに爽やかな香りが漂った。

 幼いころに同じ長屋で育った幼馴染の40年ぶりの寄り合いで、歳も年長の雅さんと年少の信さんとでは5歳ほどしか
違わないので、ほとんど同い年と言ってよい。
地元に留まっていたものは、しょっちゅう会う機会はあったけれど、みんながちぃちゃんと呼ぶ千賀さんは、大和に嫁いで、
仲間と会う機会はなかった。そのちぃちゃんがご亭主を亡くし、地元に戻ってきた。みな子や孫の世話や日常の雑事で
こんなにゆっくり会うこともめったになく打ち過ぎていたので、いい機会とばかりに寄り集まった。
今でこそ、みんな落ち着いた暮らしを送っているように見えるけど、それぞれの長い道のりを思う年である。とりわけ
千賀さんの不幸は誰もが口にするのを憚られるような出来事やった。20年ぶりに会う千賀さんに掛ける言葉に皆の
優しさがあり、温かかい眼差しがあった。忌まわしいことには触れないいたわりがあった。そのことは千賀さんもよう
分かっていて、幼馴染の心を感じ、地元に戻ってきてよかったとつくづく思った。

 話せば長くつらい話やが,かいつまんで言うと、大工をしていた千賀さんのご亭主が、仕事帰りの夜道で突然辻斬り
みたいなんに遭い不慮の死を遂げたのである。ことを知ってすぐに雅さんが駆け付けたが、その時の千賀さんの嘆きは
見てられなかったという。当たり前やけど・・・。
千賀さんの一人息子は宮大工になっていて、千賀さんは2人の孫と幸せに暮らしていたのに。なかなか悲しみから
立ち直れない姿に雅さんは地元に帰っておいでと声をかけた。千賀さんのお父ちゃんやお母ちゃんは千賀さんが生まれ
育った家で元気で暮らしていたので、千賀さんが戻ってくることを喜んだ。孫と別れるのは淋しかったけど、一大決心で
千賀さんは戻ってきた。ご亭主を襲った奴は未だにわからんじまいや。私ら庶民のことにおかみがどんだけ身ぃ入れて
くれるかねぇ。
とにかく千賀さんは戻ってきて昔取った杵柄というか、ええ手をしてるので近所の仕立てもんを受けながら暮らすようになった。
 
 千賀さんだけやない、事情は違うけど、それぞれがいろんなことを耐え忍んでここまで来た。気丈な雅さんとこは、
かわいがってたおとんぼが、賭場に出入りしてやくざもんに殺された。関わりないもんは自業自得と気楽に言うやろ。
その時の雅さんの悲しみは尋常やなかった。いつまでもお母ちゃんお母ちゃんと言って甘えてた子やから、雅さんは
自分の育て方が悪かったんかねぇと自分を責めて,いっとき夫婦仲までおかしなってねぇ。

 夫婦が死に別れたもんもいる。言い出したらきりがないのやが、幸せと不幸せは紙一重や。幸せそうに見えるもんも
家の中に入ったら分からん。言うこと聞かん子がいたり、病の老いた親を抱えてたりと。
こないなこと言う私かて、恥ずかしい話、いつの間にか亭主が居らんようになってしまうことが何度かあった。私らは横町で
饅頭屋をしてるのやけど、女癖が悪いというか女たらしの亭主が余所見ばっかりしてねぇ。好きで一緒になったから、
そう悪うはよう言わんのやが。そのうちきまり悪そうな顔をして帰ってくるやろと愚痴りながらも待つ。そんなことばっかり。
じっさい亭主はいつも、ふらっと帰ってきて、私は罵りながらも家に入れてしまうんやわ。人が良すぎると言われるけれど、
子煩悩なとこがあって、息子らにはええお父ちゃんやから、嬉しそうに帰ってきた父親に縋りつく姿を見てたら、つい許してしまう。
それなりに歳をとりおとなしくなった亭主やが、いつまた悪い病気が出るかわからん。この病はなかなか治らんというから。
今は人の親になった息子らは、子供のころ時々居なくなった父親のことをどう思ってるんやろ。私は年を重ね気持ちも強く
なったので、女がほっとかんと嘯く亭主を嗤って見ていることができるけど。
私らは誰も人さんの家のことはあげつらわない。今機嫌よう暮らして行けたらお天道さんにおおきに言うて、やり過ごす、それが
私らの生きていく知恵やと思うてる。
千賀さんかて、元気になってくれるやろ。連れ合いをある日突然なくした悲しみが癒えることはない。みんな、きさんじに
暮らしているけど、悲しいことや悔しいことを口には出さんだけなんよ、ちぃちゃん。

 宴はたけなわになって、雅さんが三味線をつま弾きだした。料理はあらかたかたづいた。今日は何と言うても季節もんの
なまぶしが一番やった。こんなに食べたら夕飯は食べれるかなと和江さんが膨らんだおなかをさする。千賀さんも,うなづきながら
自分のおなかをさすった。
ちぃちゃん、だんだん昔に戻ってきたね。きっと戻ってきてほんとによかったと思うよ。やがてあんたの大事な孫さんも大坂に
奉公に出るかもわからん。
禍福はあざなえる縄のごとしとか人生塞翁が馬と言うやん。結構むつかしいこと知ってるでしょ。実はこの前お寺さんに
お参りに来てもらったときに教えてもらったんよ。そのとき昔の人はええこと言いはるね、なるほどと合点したんよ。そやから
嫌やこと辛いことがあっても、辛抱が肝心やよ。

 この川の畔、なにかにつけ、とりわけつらいこと、悲しいことがあると訪れる。あたりには栴檀の木が多い。ちょうど花の盛りで、
はらはらと星みたいな可愛い紫の花が茣蓙に落ちる。
幼いころにはこの花を集めて、おままごとの御膳にしたことを思い出す。夏になり緑のボンボンさんが垂れる。そしたらまたその
ボンボンさんを競って集めておままごとの茣蓙に並べた。木はとても幹がさくい(脆い)ので秋に大風が吹くとよく枝が折れて
落下した。そんな時にはボンボンさんを集め放題やったなぁ。
けど不思議、双葉より芳しと言うけど、ひこばえの時からそのかぐわしさは感じたことがない・・・。
その先訪れる禍福なんて考えもしない楽しかったおままごと、ちぃちゃんも覚えてるでしょう。

           








          

 



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