琢磨は如何にして頭痛から解放されたか・・・                   
                           
                           北島 浩之
 
                        
        
                       
  
                  
                         

 源琢磨は身長は180センチ、体重は75キロの均整の取れたスマートな体で、スポーツ万能な男である。中学校、高校での部活動では、
どんなスポーツでもチームの中心になって活動してきた。
例えば野球で言えばエースで4番バッター、フットボールではFWで、相手チームが二人がかりで防御してもゴールを繰り返す。
個人技の走ることや泳ぐことも常にトップクラスだった。
琢磨の両親は二人とも運動神経は平均よりもちょっといいという程度だったらしいので、琢磨のそれは天性のものだったかもしれない。
性格も外向性で幼少時では外で遊んだ記憶ばかりだ。小学生のころから、家で本などを読んだ記憶もなかったが、集中力抜群だったので、
小学校から大学までの一貫校では学業の成績は悪くはなかった。ただ琢磨には音楽や図工、書道などの芸術的な科目は苦手で関心も
まったくなかった。もっともそれらは高校1年で終わったのだが。

 大学時代は野球部一本にしぼり大活躍した。マスコミで何度も話題になったので、全国的に名が知れていた。それで、プロチームからの
ドラフト指名も受けたが、野球だけに没頭するのはなんだか味気ないようで、プロでやる気はあまりなかった。
就職は多くの大企業から誘いがあり、結局は日本を代表する鉄鋼メーカーに就職した。この会社は野球とラクビーにおいて全国優勝した
実績が数回あったからだ。
そして評判にそぐわず、野球部で活躍し、30代でキャプテンをやり、35歳でコーチ・監督に就任した。仕事の面でも集中力と粘り強さで
実績を上げ、同期生の中では最も早く管理職に昇進していた。

 ところがである。「好事魔多し」ということなのか、ここ1年ぐらい琢磨は頭痛に悩まされている。今まであまりにも順調に
やってきたので、ちょっとした風邪かあるいはどこかの神様のいたずらぐらいにしか思っていなかったのだが、その頭痛が次第に
ひどくなってきている。
近くの内科医に診てもらったが、

 「風邪や他の病状の兆候はないので、偏頭痛の一種でしょうから、そのうちによくなりますよ」

 ということで片付けられてしまった。
だがスポーツマンとして鍛え上げた「忍耐力」にも限界がきていた。デスクワーク中に頭がガンガンとしてきたかと思うと、その場で
意識が薄れて卒倒してしまったのである。幸いなことに会社には医務室があったので、そこで医師の応急処置を受けてから、近くの
総合病院へ運ばれた。
総合内科の医師が担当医となり、4日間の検査入院となった。その間神経内科、消化器内科を始め外科による後遺症の有無、遺伝関係、
循環器系などカテーテル検査からCTスキャンなどあらゆる検査が行われた。
だが結果はどこといって特に悪いところはなかった。やはり精神的なストレスか、心因ではないかということになり、少々きつい
「痛み止め」の薬を処方されて退院となった。

「痛み止め」の薬を三食後に飲むことで、いくらか頭痛は和らいだが、それでも勤務中は憂鬱だった。薬の副作用かと思われるが、
絶えず倦怠感に襲われ、胃腸がずきずき痛むこともある。そして相変わらず頭の芯が何か叫んでいるような痛覚と不快感に
閉口していたのだ。

 ある時、何気なく会社内に置いてある「医療情報」という冊子を読んでいたら、気温や気圧の関係で頭痛が起こるという「天気痛」
あるいは「気象痛」というのが目に入った。
ひょっとしたらこれに当てはまるのではと思い、自分のデスクに戻ってインターネットで詳しく調べてみた。
それによると、「気象の変化によって、なぜ身体も変化するのか、それが起こる理由は、ひと言で表すと“自律神経の失調”です」
ということだった。「自律神経は、体調を正常に保つために、呼吸、血液循環、消化、体温調整をはじめ、さまざまな機能を
コントロールしている神経。気温や気圧など気象全般の変化に、自律神経が敏感に反応して、鋭敏に動いてしまうことで起こる」
というのだ。これは精密検査時に自律神経についても疑われて検査したが、全く正常であると説明を受けていた。
やはり天気痛には該当しないようだ。

 琢磨と同じ部内に平清人という同僚がいる。平と源とは昔は宿敵のあいだなのに、彼は琢磨とは仲が良かった。それにIT関係、特に
インターネットに詳しく、必然的にいろいろな、というよりも雑多な珍しい情報に精通していた。部内のニックネームは
「平の情報屋さん」で通っていたくらいに。

 ある日の昼食の時間、社員食堂で琢磨が一人で食事していたら、清人が琢磨の傍に座り、料理を食べながら話しかけてきた。

 「まだ頭痛に悩んでいるみたいだけど、頭痛専門の、というよりどちらかと言えば心療内科、精神的な部門の検証や分析で
  頭痛を解明するという医者を知っているよ。ものはためしに一度診てもらったら。ちょっと変わったお医者さんだけどな」と。

 「先の4日間の検査入院では健康そのもので、どこも問題ないということなのに、痛み止めの薬を飲んでも、頭痛は残っているし、
  薬の副作用で胃腸も変になってしまった。もう今では藁にもすがりたい気持ちだよ。ぜひその医者を紹介してくれよ」

 ということで、清人が紹介してくれた医者、浅原医師のアポイントをとった。指定された日時に、言われた通り以前に受けた
精密検査のデータを持参して、紹介された病院を訪ねた。「浅原心療内科病院」と看板がかかっていた。待合室には誰もいなくて、
すぐに院長の浅原医師の診察室へ通された。浅原医師は口の周りは分厚い真っ黒な髭で被われ、両目は垂れてどろんとして
生気のない顔に見えた。琢磨は数年前オウム真理教事件の主犯であったあの麻原彰晃に似ているなと、なんとなく想像していた。

  医師から、症状を含めて今までの経過を詳しく述べなさい、と言われたので、事細かに経過と現状を述べた。その一つ一つに
浅原医師「その時の気持ちや感情はどんなものだったか?」「意識や精神の状態は?」と、くどいくらい逆質問を受けた。
最後に以前の4日間の検査入院でのデーターを提出した。そして浅原医師はそれらデーターを綿密にチェックしていた。琢磨と
浅原医師との面談は3時間近くかかっていた。
看護婦もたった一人しかいなく、3時間の面談中、他の患者がきた様子もなかった。
浅原医師は「明日の午後の1時から毎日、検査やスクリ〜ンでの鑑賞、対話を行う。3日間はかかるかと思うので、会社には
そのむね伝えるように」と有無を言わせないような命令口調だった。そして帰り際、看護婦から睡眠中の脳波や熟睡度などを図る
器具を渡された。体に複数のセンサー類を装着する、コードが4,5本ついたヘルメットふうの器具である。三日間の就寝中には
必ずこれらを頭につけて寝るようにと指示された。

 二日目の午後は昨日同様、浅原医師とのマンツーマン授業みたいに、琢磨の小さい時から現在までの生活ぶりや家族関係、
学校生活での学習面で成績評価、得意科目や不得意科目、それぞれの学校での友人や教師との人間関係・・・など問われ説明した。
琢磨にしては「頭痛とは関係ないのに、なぜこんなことを詳しく聞かれるのだろうか」という疑問が気持ちの中で大きくなっていた。
 三日目は例のヘルメット風の脳波検査器具を付けながら、別のスクリーンのある部屋で、野球やラクビー相撲、バスケットなどの
過去に話題となったスポーツ関係のビデオを十数回見せられ、やっと終わったかと思ったら、次は歌舞伎、浄瑠璃、能、
(これらの時はほとんど眠ってしまっていたが)続いて簡単な劇映画、交響楽団の演奏、ゴッホやピカソなど世界的に有名な画家の絵、
やはり漱石や竜之介など有名作家の文章を朗読した画面などがスクリーンに出てきた。やはり頭には多くのセンサーを取り付けられていた。
午後6時ごろ終わった。
この二日間内科的外科的な検査がまったくないので、その質問をしたら、「以前に入院した時の詳しいデーターがあるので、それで十分。
私はこれから明日の午前中までに今までの分をチェックして結果をまとめ明日には結論が出せると思う。明日の午後にまた来てください」
と言われた。

 三日目の午後、琢磨は時間通りに来院したが、二日間にわたってやったことが自分の頭痛とどのような関係があるのかまったくわからず、
不安と疑問だらけの心境だった。

 浅原医師の説明が始まった。

  「人間の脳の中には種々の機能を持つ要素やそれらを構成する細胞があり、その種類によって技術や知識、関心度などの指数を測る
   ことができる。詳しいことは専門的になるので省くが、要するに今までに測った中で貴方の文化指数は1.2、その中でも芸術的指数は
   0.2と極端に低かった。これは2,3歳の幼児と同程度です。それに比べれば運動指数は98と30代の男性の平均値の3倍ぐらいはあり、
   プロでも十分通用する資質である。
   それで結論からいうと、この二つの指数の大きなギャップとアンバランスで脳神経が悲鳴を上げているのです。
   特に歌舞伎や狂言、能など日本の古典芸能に至っては、0歳児同様にほとんど0に近い。逆に野球やフットボールなどのスポーツには
   関心度や知識は並外れて高い。
    さて、それではどのようにしてこれらのギャップをうめるか、アンバランスを修正するか、というのが問題になるが、かといって
   人並み以上のスポーツを技術的に下手になれ、関心を持つな、というのも無理であろう。
   だがら逆に文化指数を上げることに集中した方がいいと思う。当然ながら貴方の努力次第だが、今までの検査では文化指数のうちの
   芸術的指数、中でも唯一文学的指数は比較的良い。読書は新聞を読むぐらいしかしたことないと言っていたが、多分会社の仕事や、
   野球部の監督経験の中で、文章を読んだり書いたり、メモを取ったりすることがあったからと推察する。トルストイやマルクス、
   シェイクスピアの著書を読む能力よりも自分の力で書く能力の方が指数は高く評価されるのも好都合だ。
   それでまず手始めに日記をつけることを始めたらいいかもしれない」

  「日記など、今までつけたこともないし、一日の出来事を書けばいいのですか?」

  「初めはあまり難しいことは書くことはない。ありのままに1日やったこと、思ったことや見たことを文章にするだけでいい。例えば、
   君が初めてこの診察室へ入り、私を見て、“なんだかオウム事件の麻原彰晃みたいな人だな、こんなお医者さんで大丈夫かな”
   と思ったとする。そんなことを書けばいいのだよ。そしてその日記帳を持って1週間後にまた来なさい」

 琢磨は、さすがに心療内科の先生だけあって、患者が思ったりしたことを推察できるもんだな、といたく感心した。同時にこのように
琢磨の心理を見通せる浅原医師への信頼感が増したように感じられた。

 琢磨は浅原医師の指示通りにその日から日記をつけることにした。初めは自分の一日のスケジュールが中心となったが、次第に、その
スケジュールの中の出来事のときの周りの風景や人々の描写が入ってくるようになった。
琢磨自身の行為への周囲の目や環境はどうだったか、それらを自分はどう感じたか、日記を書くために、大き目の手帳を購入しメモを
つけることもした。
なんだか慢性的だった頭痛もいくらか和らいだようにも感じられた。

 琢磨の日記帳は、当初は1日の出来事を羅列的、箇条書きにするだけだったが、次第に琢磨自身の感情や考え、想像力が挿入されてきた。
1週間おきに日記を見ていた浅原医師は満足そうで、「この調子でいい、慣れてきたら次は単なる風景描写や出来事の羅列よりも、自分の
想像力を挿入したら、文化指数、つまり文学指数は飛躍的に上昇する。それとこれからは時々でいいから、何かフィックションを創作する
ことにトライしてみたらどうだろうか、更に指数が上がることになるが」
そういえば、なんだか頭痛の程度が少し減ってきたような気もした。


 書くことにずいぶんと慣れた琢磨はフィックションにチャレンジしてみた。今までの見たこと、聞いたこと、感じたこと以外に自分の
想像力でストーリーを作ることの楽しみ、面白さを覚えるようになっていた。
1作目、2作目とスポーツ関係の短編小説を創作して、浅原医師に見せると、

  「さすがにアスリートの行為や心情がうまく描かれているね」

 と賞賛してくれた。それに当然のことだが、創作するとなると、否応なく他の芸術科目にも一応の知識が必要となってくるものだ。
スポーツ小説だけではどうしても単調になってくる。それで自然に他の芸術科目にも関心がでてきた。それまでほとんど見向きもしなかった
音楽、美術、書道、演劇、映画、華道から狂言や歌舞伎まで関心がでてきて、それらの知識を貪欲に吸収していった。

 そしてある日、琢磨は気づいた。あれほど悩ましかった頭痛がいつのまにか消えていたのだ。頭痛が次第に薄れていっているとは
うすうす感じていた。それでも時には発作的にきりりと痛み出すこともあったが、ここ1週間なんらの頭痛も起こっていない。
次に浅原医師に会ったときに、このことを話すと、すぐに例のセンサー付きのヘルメットを取り出して、1時間ほど検査してくれた。
そして、医師は言った。

  「おめでとう。文化指数、芸術指数、文学指数などが飛躍的に上昇している。運動指数とのバランスも絶妙だ。もう二度と
   得体のしれない頭痛が起こることはないと思う。これからはせっかく身についたスポーツと文学に精を出すことだね」

  「ありがとうございます。最初は文化指数などと言われ、そんなものと頭痛が関係あるのか、と強く疑問を持ちましたが、
   芸術的価値観がわかり、文学の創作までできるようになったことは私の生きる価値観がさらに飛躍できたと思っています。
   ところで、先生はどうして文化的生活が大事だと思われたのですか?」

  「私は絶大な日本国憲法の崇拝者であってね。日本国憲法第25条には『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む
   義務を有する』とあるだろう。これを大脳生理学的、心療内科的に研究し、『健康で文化的な生活を営む義務』というのは
   どういうことかを実践し、治療に役立てたいと思ったんだよ」

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 頭痛に悩んでいたころから10年が経った。

 今、琢磨は社内で同人誌グループを立ち上げ、文学好き、創作好きな会員20名の代表になっている。年に3回発行している同人誌には、
休むことなくあらゆる芸術的題材を駆使して短編小説を投稿し続けている。その中のいくつかは大手の月刊誌である「群像」「スバル」や
「文学界」にも紹介されたこともある。
琢磨自身もますます創作に意欲が出てきて、新人作家の登竜門と言われている「三島由紀夫賞」を目標にして創作を続けている。
35歳までスポーツだけしか関心がなかった琢磨にとって、あの頭痛、そして浅原医師との出会いが人生に大きな転換と価値観を
生み出していったことは間違いない。               (おわり)


           








          

 



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