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    5月3日の雑感  


             投稿者:つばささん  投稿日: 5月 4日    


薫風香る清和な日、青空に抱きしめられウォーキング。
愛犬ツムジと一緒に、じゃれて歩くほどの気持ちの良い五月晴れ。
風にのって、いろいろな匂い、音、色が流れてきます。平和な1日・・・

 遠くイラン、イラクの人達はどうなのだろう。素晴らしき5月と言えるだろうか。
チェルノブイリの原発事故の犠牲者の子供達は成人した今、青春を、5月の空の下で
謳歌できているのか。4月に英国議会は原発推進反対の報告をまとめたと報じられているが、日本は「原発ルネッサンス」と称し、
無策のままに「原発再生」の喧伝に動いているのではないか、ところで、佐賀の原発への抗議は進んでいるるのかしら。
と歩きながらの話はつきません。

 ゴールデンウィークの頭に伊豆の山を車で走っている時、杉の林に「憲法9条を守る会」の手作りの看板を見かけ、
こんなところにもと思ったことでした。
 大江健三郎、井上ひさしや三木睦子等(吉永小百合も推進者)が04年に設立した「9条の会」は草の根グループが全国に広がり、
1年前には1280で、現在は「9条の会」が把握しているグループは4700を超え4倍になているということです。
 大江氏らの講演会や学習会は常に定員超オーバーだそうです。
去年、朝日ホールかで在った時に、知人を通じ聞いてもらったら、時既に遅く、
「残念ですがすぐに1杯になってしまって」ということでした。
私の地区でも04年の秋に「9条の会」ができました。
日本の憲法への関心は予想していなっかた広がりをみせ、国民の注目大です。

 大連を生地とする私が、免税地の外地での瀟洒な話の中に、その事に付いては、
多くを語らなっかた母や叔母から聞いた事は悲惨で自分の身では困難だろう事。
「赤鬼、青鬼は本当におったよ、恐ろしかったよ。」(敗戦後の大きいロシア兵の事)
しかし、中国、韓国、東南アジアの住民にとって、刀を振り回し、切りつけた日本兵はどう見えたのであろうか?!と・・・
残留孤児の方のニュースは私の身上であったかもしれない涙なしには聞けない話話。
 当時、幼い子供であったであろう、その方々の不幸、辛苦は取り返しの付かないもの、
 《誰の責任だろう!》
と怒りがこみ上げてきます。
 帰国し何とか幸せになられた方も多く、今までの苦労に比べれば…といいます。
しかし、知人には職が無っかたり、交友や言葉等で途中でノイローゼ気味になる事もあり、2国のアイデンティティーと中国の育ててくれた親を抱える
大変な思いは言葉では言い表せないものでありましょう。
でも、祖国にやっと帰れた安堵が勝っていることは確かです。
 「戦争はせんがよか。したら遺憾とよ。」

 =ご存知の庶民の説法師= 永六輔さんの無名人語録の紹介です。
 ◎「何もかも豊かな国で、欲しいものが無いといいますが・・・・・・。
   欲しいものはありますよ。
   憲法九条・・・・・・、ほしいですよ」

 ◎「 ヤスクニから戦犯をはずせじゃなくて、
   職業軍人をはずしてほしいな。
    あそこは犠牲者だけというのが いいんじゃないですか」

 ◎「消費は美徳いいましたなァ。
   今は、節約は美徳で、モッタイナイ。
   美徳てなんですの」

  最後の永さん語録の関連―――5月1日の朝日新聞、天野祐吉氏のコラムが
 「す」っとんでいて、またまたの傑作です。
 ・戦争中、ぼくら子供は「ぜいたくは敵だ」と教えられた。教えられたというより、
  マインドコントロールされた。
  が、戦争に負けたとたん、大人たちは「ぜいたくは素敵だ」と言い出した。
  大人というのは、こういうところがあるから、
  若い人たちはよく気をつけたほうがいい。・・・(後略)・・・・・・

  さりげない表現の中に豊かなメセージを感じた1文です。
 マインドコントロールはあながち、宗教団体に限らず「身近に存在」のようです。
 老若男女、といわず、私も、しかとココロしようと想います。

  憲法記念日のちょとした、雑感でした。