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                       匿名の二義性  

                               投稿者:KOBUSHI  投稿日:2008年 1月24日(木)


             沼南ボーイさんが紹介された「割れ窓」理論、いろいろ考えさせられました。
             ジュリアーニNY市長は「きめ細かい監督」で街を綺麗にしたということですが、
            「ポイ捨て罰金2,000円」(千代田区?)で綺麗になった街はいいとして、いまいち「民度は?」
      と聞きたくなるからです。

            警察国家ではない「美しい日本」(懐かしい!)はできないのか?お説のとうり、
            総論賛成、各論反対では「環境問題」の解決は無理でしょうネ。
            社会主義のカンバンを降ろさぬオリンピック準備中のかの国がうらやましい・・・
      などと思ってはいけません。
            現下日本において(一部の為政者を除いて)北朝鮮の集団演技の「美しさ」に感動するヒトがどれ位いるか?
            そこはじっくり時間をかけて民度を上げる努力をするしかありません。

           「度し難いhuman-beings」はまずbeings=creature=利己心に支配される動物ですから。
            それをhuman=social creature=社会的存在に変えるにはどうすればいいか?
      源兵衛川を守ったひとは素晴らしいし、できれば小生もそうありたい。
      立場や方法は違ってもそうありたいと正直思う。
            だが、他方において「匿名」の魅力(魅惑)があるのも事実。
            たしかに、たとえば耐震偽装問題ではフュウザーとか木村建設とか「実名」のあがるところは散々たたかれたが、
            そもそも「認可」した役所の担当者(匿名)の不始末は不問、社会保険庁しかり、厚生労働省も・・・。
            だが、かのMax Weberがいうように、近代市民社会は「非人格性」(たとえば、上司の命に服するのは
      ヒトに対してではなく、 職位に対してである)によって成長・発展・近代化してきたという側面も否定できない。
            たとえば、株式会社はフランス語ではsociete anonyme par action(株式による「匿名」会社)という。
            これが株式会社の不祥事の根源(匿名ゆえの私利の追求)であると同時に、不特定多数の資金源を獲得することになった
            成長の原動力でもあったことも否定できない。私利はよくない。だが私利こそ社会を動かす原動力でもある。
           「カラスの勝手でしょ」「赤信号、皆でわたれば・・・」「そんなの関係ねー」・・・
      現代人がときおり「匿名」になりたいのも事実である。
            とりわけ「高密度社会」といわれる日本(ほぼ同一民族、同一言語)においては、匿名願望は強いと思われる。
            そしてこの国では案外匿名人が良きことを言ってる気もするのだ。
            また、都会の魅力、旅をしたい、特に若いひとの外国での生活願望なども「自由」な空気を吸いたいからではないのか?

            それよりなにより「遙かなる木霊」の投稿者は小生を含めて源氏名を使っているではないか。
      それにしても、ひとが見てないからと言って、こっそりモノを川に捨てることは止めよう。
      かつてこの国は「世間の目」を気にした。世間の目無き現代(社会)において、
      われわれはその眼をBUILT IN(内在)できているのか?
            おおいに考えさせられました。

                匿名は 駄目と言いつつ 止められぬ

                コソアドで ひとの軽重 問う日本
                (この人、その人、あの人、どの人)   KOBUSHI