省略語と長電話(付会) 投稿者:KOBUSHI 投稿日:2008年 2月 5日(火) NTTの類のものにAll Nippon(ニッポン) Airlines(ANA)もありました。 AJAではアジアと間違われると懸念されたのかも知れません。 「省略語」もたとえば、定年迎えた御仁がいよいよ俺も「サンデー毎日」だとか「全日空(あき)」といい、 これからはYKK(友人と健康と少しの経済<かね>)があればいいとか、あるいは、かつて長野県が 「PPK(ピン・ピン・コロリ)を推奨」などと言ってたときはユーモアがありましたが、 航空会社の素敵な客室乗務員たちがUUU(うるさい、うるさい、うるさい客)の隠語を使っているなどと 聞くと、友人思いの小生なぞは、なにやら淋しい気がするのです。 というのもその友人は妻君と同伴か否かにかかわらず、若い女性(否、最近は年齢を超えて異性)と見るや 声をかける癖があると聞いていますので、誰かにUUUなぞと言われてはいないかと。 言葉については小生は共通語より方言の方が「言語学上の位は高い」と考えています。 方言には、歴史や風土、労働や生活といったその土地ならではの長きにわたる人びとの営みが にじみでているように思えるからです。 他方、共通語は生活圏の拡大、したがって「誰にでもわかる言葉」という意味で、さしあたり無味乾燥 且つ経済取引可能な言語(Business Language)の必要から形成されてきたものと思われます。 経済取引は価値と価値の交換ですから、発達すればするほど方言の持つ特殊な意味合いは消えていくわけです。 その意味では、国際語である英語より地方語である日本語の方がまだ「地位は高い」と言えます。 ところで、近年日本人が携帯メールを使用するようになって「省略語」が蔓延しています。 これは短時間で多くのことを伝達する方法の発達という側面をもつ反面、日常化するにつれ 用件のみの会話しか出来なくなるのではという意味で、域内ではありますが、日本人が文化人にあらず、 「経済動物」化し始めたのではと危惧されます。その意味では女性の長電話(変えてほしいこと)を 再評価せねばならないのかもしれません。何故なら文化は常に無駄の世界から生まれてきたと思われるからです。 このような訳のわからぬことをくどくど話す小生なぞは若い女性にはUZAI(UKY)オジサンと思われているだろうナー。 長電話 いつまで経っても 長電話 空気読む(KY) その根性が 駄目にする なりたいな 空気を換える 清浄鬼(器)