多布施川の橋から学ぶ佐賀ん町の歴史(2) 鶴田征三 投稿者:新風児 投稿日:2011年10月22日(土) 気候の面で夏の暑さと湿気の多さに日本とヨーロッパと大きな違いが有ります。その代わり冬の天気は 日本の方が格段に良い。地中海沿岸のコートダジュールの冬は日本と同じぐらいに太陽が出るけどフランス 以北では天気は悪く、寒く、暗く、木々の葉が落ちて世界が灰色になってしまう。帰国して一番驚いた事は 日本では冬でも椿の花のように赤い花や青い葉っぱを付けている木が沢山ある事でした。やはり日本は 亜熱帯の地だなーと感じます。 夏には鶴田さんの文章にあるように多布施川では魚が沢山泳ぎ、亀が甲羅干しをしていたり、虫や昆虫、 周囲の田んぼにはお米がたわわに実り、都会では見られない自然が有りますね。 多布施川の橋から学ぶ佐賀ん町の歴史(2) 鶴田征三 第2部を皆様にご報告申し上げます。残暑の候とはいえ、暑くてゲンナリする日が続いています。 拙く読みにくい長文ではありますが、元気と根気がお有りの方は、ご一読ください。また、不明なことも 少しありまして、知っておられる方がおられましたら是非お教え願います。 佐賀市民の母なる川、多布施川は私にとっても重要な川であった。はや・ウナギ・ドンコなど魚を恵んでくれ、 タガメ・水カマキリ・ホタル等の水棲昆虫や川辺の林に生息するトンボやセミ・カブトムシ・クワガタなどの 観察の機会を与えてくれた天然のアクアリウムであり、また昆虫の生態を教える観察場でした。その間、 泳ぎを覚え、友達との様々な関係を作り上げ、問題があれば解決してきたことを思うと学校と並列の重要な 学習の場であったのではなかったかと懐古しています。 多布施川の流域のうち城内の辺は、商売をする家や工場は比較的少なく、学校や役所・勤め人の家が多かったの ですが、あっちこっちに畑や大きな家の庭が川に面していました。私はお腹がすいたら、畑にいってトマトや ウリなど、また庭に入りこんでは桃やグミ・ビワなどを無断で頂いては食していました。どの季節はどこの庭に どんな食べごろの果物がなっているか、まるで野鳥のように良く知っていました。 でも、多布施川を中心にした私の生活も小学生の時代だけです。中学生になるとスポーツに目覚め、陸上競技や バレーボールのクラブ活動に楽しみを覚え、自然に多布施川で遊ぶ時間がなくなっていったようです。もちろん、 運動を盛んにやっていたので、お腹は小学生のころ以上に減るのですが、学校から家に帰ったら、すぐ近所にある 「しげる食堂」でうどんなどを食べさせてもらっていました。おととしだったか、城南中の還暦同窓会が 佐嘉神社でありましたが、少し早めに行って県庁・高校や住んでいた場所の辺を散策しました。しげる食堂・ 福田床屋さん等がまだがんばっておられ、なつかしく思い、床屋に飛び込んで長男さんが幸いおられたので、 昔話をしてきました。 つづく