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                 California as I saw (3)

                                                        投稿者:Steve Todaメール    投稿日:2016年 8月 2日(火)    


   カリフォルニア見たまま(3)

  翌日初めて会社に行く。シリコン・バレーの真っ只中にある研究所 ”OMRON R&D"である。 住まいから
車で5分位の場所にある。 当時は高度成長期で立石電機も急成長しており、アメリカに研究所でも作って
新しい商品の開発をしてみようかということで出来た物らしい。 実際にどんなことをしていたかといえば
液晶表示とか新型ビデオテープ・システムの開発などだったが、ものにはならなかった。 新製品の開発など
簡単にできるものではない。 社長の道楽のひとつという噂もあった。尤も、企業特に技術関係の会社は常に
次世代の製品の開発に人と金をかけていなければ先はないと私は思う。

  建物はレンガ作りの平屋でかなり大きい。 当時はシリコンバレーには高いビルは少なくまだ土地が
安かったので平屋が多かった。 現在では10階建てくらいのものがどんどん建っている。

  表庭はかなり広いが芝生ではなくアイビー(蔦)が植えてある。 驚いたのは建物に窓がないこと。 
そしてもっと驚いたのは24時間灯りもエアコンもつけっぱなし。 この頃はエコなど節約という概念はなく
家庭でもヒーターをつけっぱなしにしていた。 これは当時のアメリカではガソリンも安いしエネルギーは
いくらでも使えるということで当たり前だった。 現在は夜は電気もエアコンもタイマーで切ってある。 
なんでも大きいこの国で当時皆が乗っていた車はエンジンサイズの大きい、6千CCとか8千CCの
大型車ばかりでした。

  オフィスには受付のデスクがあって金髪のカワイ子ちゃんが座っていた。

 中は社員のオフィスが壁際にいくつもあって真ん中には大部屋があってそこは研究所らしく高いデスクと
椅子が何列か並んでいて、PCボードや色々の部品らしきものやらハンダごてがおいてあり何人かの
エンジニアがいた。

  そのエンジニアの服装はジーンズにT シャツ。 そして机の上に足を上げているものもいて日本では
考えられないラフなもの。 ネクタイをしているものなど一人もいない。 ある時日本の立石社長が出張で
やってきてこの机の上にのっている靴を見てびっくりして ”でかい靴やなあ” と言ったという話しが
伝わっている。日本の会社での礼儀とかいうものはここにはない。 そういえば会社内ではお互いを
ファーストネームで呼ぶ。 例え相手が社長でも。 (尤も、我々駐在員は現地の社長はたまたま彼が
本社の専務だったので専務と呼んでいた)

   このファーストネームで呼びあうのは素晴らしいことで例えば誰かに会ったり電話で話しただけでも
次に話したときにこちらのファーストネームを憶えてくれている。 で、私も早速日本にいたとき会話学校
時代につけたニックネーム  ”Steve" を使いだした。

  しかし、仕事を始めると英語が大問題だった。 日本ではアメリカ人の友達や二世の親類もいたので
日常英会話は出来たので問題ないと思っていたが電話での話しは良く聞き取れない。 半分位しか
分からないのであせった。

  10時頃になると受付の可愛子ちゃんがなにか社内放送で言っているが分からない。 同僚に聞くと
 “コーヒートラック イズ ヒヤー” といってるのさという。屋台のトラックがコーヒーブレイクのために
会社のパーキング場にきたとアナウンスしていたのだった。 コーヒーとか紅茶、それにコーラなどの
飲み物はランチルームにあるがちょっとしたスナックやサンドイッチはこの屋台のトラックでないと
手に入らない。しかし、アナウンスの英語が良く聞き取れなかった。

  アメリカでは朝の10時と午後の3時に15分のコーヒーブレイクと昼に1時間のランチブレークが
あってこれを取らせないと労働基準法違反となる。 日本人はせっかく仕事がのってきた頃なので
取らない者もいるがのちの銀行時代はマネジャーからブレークは取れと強制的に取らされた。
これは取らせないと従業員が会社を訴えることが出来るのでそれをおそれてのこと。 それと、
仕事中に2〜3時間おきに休憩するのは気分転換が出来て仕事の効率を高めるのに必要という
科学的根拠にも基づいている。 アメリカはものの考え方が合理的な国である。 
これは日本に較べてそう思う。

  仕事の仕方は一人一人が独立して働いているという印象で日本のように課とか部とか単位で、
どちらかというとグループで働いているのとは違う感じである。 それは研究所という所だったからでも
あるが、こののち違う所で働いた時も日本との比較では同じ印象は残った。  この国は個人の
集まりであり、一人ひとりがいい意味での個性をもっておりそれが比較的ゆるい絆でつながっている
社会だと感じた。

  この研究所での仕事は本社から送られてきた駐在員だったのでいわば客扱いでアメリカで働くことの
基礎訓練を受けた様な感じだった。

  仕事の内容は輸出入貿易業務。 私はエンジニアではなく日本の海外事業部から送られた貿易マンで
当時 ”LSI” と呼ばれたコンピュータ・チップを日本に送っておりその金額が大きくなってきたので
エンジニアが片手間にしていたことを引き受けたものであった。 この LSI は日本の立石電機が作って
いた電卓に組み込まれて市場で販売されていた。

  仕事自体は日本と同じ貿易業務で品物の出荷手配をして、輸出用船積み書類を作成して、銀行に
その輸出書類の買い取りをしてもらって代金を回収するもので相手がアメリカ人であるだけ。 尤も、
銀行は東京銀行の現地法人で相手も日本人か日系人。この東京銀行の現地法人で後に働く様に
なるとはこの時は思ってもいなかった。

  そののち、OMRON R & Dではシリコン・バレーとメキシコで電卓の生産を始めた。 
コンピュータ・チップ以外は日本製の部品を使ったので大問題が発生した。 その時はメキシコの
テイワナというカリフォルニア州のすぐ南にある町の工場に10日も缶詰になり問題の原因を探る
ことになった。 分かったのは2つの国の文化、さらにものの考え方の違いというギャップに落ちた為と
私なりに思った。 即ち、日本の生産ラインでは小さな問題をライン上で作業員が訂正しながら
組み立てをするがこちらではそんなことは全くない。  例えば、電卓のケース(外箱)は上下2つの
プラステイックで出来ていていくつかのねじで止めるのだがネジ穴が大きくて僅かに左右にずれて
ねじで止めることがある。  それを日本では組み立てる人がちゃんとまっすぐに戻してからねじで止める。
 しかし、ここの組み立て職人はそんな細かいことはしないし、そうするように教育されていない。
だから、何と生産ラインの最後で上下のケースが少しずれた大量の不良品の山が築かれた。
日本の本社はメキシコのラインはなっとらんと言いメキシコは日本の部品が不良品だと言う。 
どちらも正しい。 こちらではライン上で細かい修正などする様な仕組みになっていないからケースの
上下が僅かでもずれる様な部品は作らない。上下のケースには凹凸があってぴったりズレなく
噛み合う様に設計されている。

  かく、物の考え方の基本が違うので日本で生産されるべき部品をアメリカ(メキシコ)の生産ラインに
乗せてもちゃんとしたものは出来ない。 それは人々の発想が違うことからきているし、長年の習慣の
違いからもきている。  このあと、このことの実例に時々出くわすことになる。

                                                                     つづく