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                      地球温暖化−将来への対策(18) 


                                         投稿者:風鈴  投稿日:2010年 3月20日(土)  
   

      成功している国々

 これまでに再生可能エネルギーを生産・使用に成功している国、スウェーデンとブラジルを挙げました。
 未だ沢山、一部的に再生エネルギー生産に成功している国があるでしょう。例えばノルウェーは水力発電
 が100%近い、オーストリアもアルプスがあるので水力発電が高率ですが、電力は石油エネルギーの
 一部を取り替えるだけで、運送部門に使う液体燃料の代わりにはなりません。

 地球温暖化は人間社会が化石燃料を使い、二酸化炭素を放出しすぎて自然のバランスを壊したので起こり、
 人間への教訓みたいです。そこで化石燃料:石炭、石油、天然ガスの使用を減らそうとしている段階
 ですが、CO2放出が一番高い石炭使用を出来るだけ減らすのが最初に打つ手であるべきでしょう。
 石炭を石油又は天然ガスに取り替えるのはそう困難でありませんが、石油と天然ガスの液体燃料を取り
 替える燃料が、大量になく、今は少量に生産されてるエタノールだけです。そこでスウェーデンと
 ブラジルの話になりました。

 この2ヶ国はお互いに随分変っていますが、成功に共通している面は困難さから生まれた政策にあると
 言えるでしょう。
 アメリカは世界一のエタノール生産国ですがブラジルから輸入しているように、第一次総エネルギー源
 でエタノール消費の割合は数%にもなりません。再生可能エネルギー増加には中国も成功してますが、
 民主国家でないので除外します。

 第一次オイルショックの始まりは1973年10月にアラブ連合がヨム・キプル(十月)戦争からで、
 アラブ側はソ連から買った武器があり、アメリカがイスラエルに武器を補給したので、アラブ連合は
 西洋へ石油を売らないとなったのです。
 日本は西洋ではありませんが、西洋の開発国と同様に石油エネルギー依存ですので、アラブにとっては
 同じだったのでしょう。
 このオイルショックの時、ブラジルとスウェーデンがどうしていたか調べてみました。

 http://www.country-studies.com/brazil/energy.html に次のようにありました。
  ブラジルは当時80%の石油を輸入で、国際収支は悪状化し、輸入石油依存を減らすのが一番重要な
  エネルギー政策になった。その手段は、電力とエタノール生産を増やし、石油踏査に投資して国内の
  石油生産を増加することだった。
  そこで全国的にエタノール生産と使用を奨励する『アルコール計画、National Alcohol Program - 
  Pró-Álcool を1975年に発足し、車の燃料にエタノール混入が義務になった。小規模な油田が
  見つけられたのは1970年代の終わりだったが、油田開発への投資は1970年初期は全投資の
  10%だったのが1982年には23.5%になった。

  1979年の第二次オイルショックで、当時の高い石油価格は続くと察され、代わりの燃料奨励は
  不可欠になった。
  その後に石油の値段が下がったが、政府は石油値段を高く保ち、余分な税収入は Petrobra の開発援助、
  運送用のディーゼルや料理に広く使われているプロパンガスの値段を人口的に安くする為に使われた。
  エタノールで走る車を促進する為に、エタノールの値段をガソリンの60%に保ち、ガソリンに
  エタノール20%混入も制定され、ガソリン税の歳入から電力の値段を安くするのためにも
  補助金を出した。

 最初のオイルショックでスウェーデンも困難さを経験しましたが日本と同じで、ブラジルみたいに直ぐ
 代えられる燃料がありませんでした。それでも1975年に Oil Crisis Act (石油危機法)を制定し、
 危機の時には政府が石油を配給する、条件によっては国内に貯蔵された石油を差し押さえるとか、
 他の規制も http://www.sweden.gov.se/content/1/c6/04/88/12/cfbc5fa8.pdf に記述されています。

 第二次オイルショックは1978年にイラン革命政権がパフラヴィー元皇帝の私財産と身柄をアメリカへ
 引き渡し要求から始まりました。イランの石油生産が以前より落ちると予測した石油会社が供給を制限し、
 事実以上の不足状態を起こしたと ”A Crisis of Oil Information、石油情報の危機” が
 http://www.aliciapatterson.org/APF0403/Donovan/Donovan.html にありました。

 著者Brian Donovanが、当時、国際エネルギー機関、IEA の Koenig 非常時石油配当責任者が提出た報告に
 ついて書いたのですが、報告は1998年の夏に石油会社は過剰な貯蔵量があったにも拘わらず、
 供給を制限したと言ってます。そのころスウェーデンとイタリアの政府はインフレを抑制するために 
 price control、物価調整をしてました。
 そこでスウェーデンの石油子会社は市場の高値を払えなく、大手の石油会社から定期的な供給がなく、
 政府は原油をspot market(現金払って直座の買い付け)で買わなければなりませんでした。
 そのような状態に妥協を強いられて、後で仕方なく石油の値段を上げるまで安定した供給がなかったのです。

 スウェーデンもそのような経験があったので、政治が石油依存から独立を目指しそれから30年、
 先日2月7日と9日の「 A) スウェーデン」にあった現在の望ましい情況になりました。

 このように両国とも政権交代にも拘わらず一貫したエネルギー政策があったので、他国の政治問題とは
 関係なく、自国で安定したエネルギー供給を出来るようになったのです。

 下のグラフは1974年以来、精油所が払う原油の値段を示しています。沢山小さな番号がついてますが、
 これは値段が変ったときに付いていて、私達には何の意味もありません。1974年、そして1979年に
 急に上がり、2004年以来急上昇しています。これは中国とインドの経済が伸び需要が高くなっている
 からと説明されてます。

 私達消費者は十二分に近視で、値段が安い商品とサービスを買いがちです。それが中国とインド経済を
 豊かにして中国とインドの石油需要も増える、そこで石油も高くなり、私達の安物買いの節約も消えて、
 安物しか買えないという循環。
 誰が儲けているのでしょうか?物質を動かす国際大会社、石油会社、金融会社で、私達一般消費者は
 自分達のしっぽを追いかけまわしているだけです。