地球温暖化−日本は何が出来るか (4) 投稿者:風鈴 投稿日:2010年 3月30日(火) 外国依存 1 全てのエネルギー源 CO2放出はエネルギー源に直接結びついてます。そこで日本のエネルギーの現状を見てみましょう。 皆が分っていることですが、日本のエネルギー源の外国依存度は高すぎ、それが分っていて日本の政治が 過去50年以上改善への道を探さなかったのは、むしろ悲劇と言うしかありません。日本政府は金がない のではなく、国民も有意義な研究開発への投資には反対しないので、産業ばかりでは政治の貧しさを 庇いきれません。 ウィキぺディア http://en.wikipedia.org/wiki/Energy_in_Japan に1950年からエネルギー源の 変遷を表示した表があり、新しいデータが欠けていたので2005年のをIEAから付け足しました。 第一次エネルギー源 年 1950 1988 2001 2005 燃料 石油 17% 57.3% 50.2% 49% 石炭 50% 18.1% 16.8% 20% 天然ガス - 10.1% 13.6% 14% 原子力 - 9.0% 14.4% 13% 水力 33% 4.6% 4.0% 3% その他 - 1.3% 1.0% 1% これで不思議なのは水力発電が10分の1に減っていますが、これは水力発電量が減ったのではなく、 実際は増えたにも拘わらず、全体のエネルギー消費量が10倍以上になったという事です。 1950年の日本は未だ戦争から立ち直ってなく、石炭で黒煙出す機関車が走っていた頃、 電気製品は電灯くらいで、車も運送会社とお金持ちの「自家用車」だけ、今は全エネルギー消費が 15倍以上になったとしても驚きではありません。 1950年頃は石炭鉱山も沢山あったので、多分石油だけ輸入、外国依存度は17%位だったと 仮定出来ます。 現代2005年には水力とその他を除くと96%、つまり外国依存度が95%以上だと言える 大変な「独立国」です。 日本の豊かさは他人のまわしを借りてるようなもので、中国にとって日本は風が吹くと 飛ぶような独立国でしかありません。 そこで最初に最も依存度が高い石油を見てみましょう。 第一次、二次オイルショックの時は日本は未だ工業品生産国で、自国で生産した製品の輸出もあり、 ブラジルみたいに極度な国際収支赤字になりませんでしたが、今は外国で生産した日本製品が 多いので、石油不足か石油高値で物質の流動が緩慢になると問題はもっと複雑になり、 日本経済が過去20年以上、不安定な低迷状態から抜けられないのは、外国からのエネルギー依存が 原因だと言います。 オイルショック(石油の供給不足)は日本が何も出来ない他国の政治問題で起きました。 下にある最初のグラフは http://www.wtrg.com/prices.htm からで、横の目盛りが年度で 縦が石油の値段を示し、値段の上がり下がりの原因が書いてあります。第一次オイルショックは ヨム・キプル戦争、第二次はイラン革命とイラン・イラク戦争、2004年以後はPDVSA (ヴェネぜラ国有会社)ストライキ、イラク戦争、アジア(中国とインド)成長、ドル安が高値の原因で、 その後に落ちたの世界の不況、全て日本が何も出来ない他国の政治問題です。 今の日本は開発国で途上国を援助して格好良く見えるのですが、他国の「お情け」でエネルギーがあり、お情けがないと 高値でお情けを買わなければなりません。それを痛感したスウェーデンが、日本と同じように天然資源が少ないのに 石油依存から独立の政策を目指し徐々に成功しています。 日本も同じように出来ますが、それは洞察ある政治と国民の意思次第になるでしょう。 先日に引用した http://www.peakoil.net/files/Japan%20focus%20(BPL).pdf に興味あることが書いてあります。 カナダのマニトバ大学教授が日本の照明と家庭電気製品について書いた記事ですが、日本の生産効率の変遷にも 触れていて、これでの生産効率はGDP(総国民生産高)の1ドルを生産するのにどの位の一次エネルギーを 消費しているかで測り、家庭消費エネルギーも入ってるので、国全体の様子も分かります。そこで一部を要約すると、 日本の効率は高く1973ー74年のオイルショックまで、アメリカの効率の2倍だった。そこでアメリカとヨーロッパは効率向上 計画を始め1980年代に強化され、石油値段が暴落した時も続けられた。アメリカは1990年には1974年より 30%少ないエネルギーで同じ価値の生産が出来るようになったが、質素な日本は35%少なくしていたので、 円が高くなったにも拘わらず日本は最初のオイルショックの時より有利な立場にあった。 ところが予期出来ないことが起こった。1990年から2005年まで、アメリカのエネルギー密度(一個の製品に使った エネルギー)は12%落ちたが、日本は2000年までに6%上がり、2005年まで更に3%増えた。 日本の素晴らしい産業界のエネルギー節約機械が止まってしまった(下の Fig. 1 グラフ参照)。 全ての主要産業のエネルギー密度が1973年から1988ー1990年までに20−50%落ち、その後に上昇した。 グラフの緑の線は機械工業、赤は窯業、黒は鉄工業、青は生産業で、全部1988−90年に最善になってます。 ところが現在達成しようとしている25%削減は、一番効率が高かった1990年が基準であるとは正に皮肉で、 長年かかり高い効率に達し、その後序々に上がったのですが、今後その最高効率を更に25%改善が必要です。 先日3月28日に「25%削減は可能か」に、どうして家庭電力消費が増えたか説明がありましたが、この増加は 日本ばかりでなく国際的な傾向なので、極端な省エネは時代の逆行で長く続きません。 上の記事ではGDPとエネルギー消費が結びつけられてましたが、日本のGDPと石油の値段の関連はどうでしょうか。 一番下のグラフは、最初の石油の値段と日本GDPの成長率のグラフを並べたものです。 急激に石油価格が上がった時にピンクの矢印があり、オイルショックの1974年以後で成長率が4%を越した時は 石油の値が下がった時だけです。1991年以来、エネルギー効率も落ち、円も上がり、石油の値段が下がっても GDP成長率は3%以下で、今後GDPが4%以上になることは先ずなさそうです。 これは決してGDPが何%以上であるべき、という意味ではありません。開発国でGDPを社会の成長と結びつけるのは 疑問があるとの考えが強くなっていて、国民が生活し易い社会造りの方が総生産高より大切で、GDPなど無視すべき でしょうが、日本社会の健全さが石油の値段次第とは情けないので、他国の「お情け」で存在していると言いました。 何時か「これでは駄目だ」と言う新しい見解がある政治家が欲しいところです。