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                                原爆の果たした役割と戦争責任
                        
                                                                                                             
     1. 序                                                                                     
               
      今年も広島、長崎で原爆平和記念式典が開かれました。原爆は恐ろしい、瞬時に大量の無差別殺人を行い、
      放射能の影響が長く残る、人道上許せないと言った各市長の挨拶、マスコミの論調が繰り返されました。
      しかし、原爆の果たしたもう一つの大きな役割があまり語られないので、ここで敢えて指摘し、戦争責任に
      ついて私見を述べます。

        2.原爆の開発経緯

               アメリカが原爆の開発に着手したのは、アインシュタイン等のヨーロッパの著名科学者がナチスの迫害を
               逃れて、アメリカに来、「ドイツが原爆を開発しようとしている。原爆は全く新しい原理に基くもので、
               途方もないエネルギーを出す。もし、ドイツが先に原爆を持つと世界はドイツに征服されるであろう。
               是非、ドイツより先に原爆の開発に成功すべきである。」と進言したからです。マンハッタン計画と名付けて、
               莫大な資金と人的資源を使って開発を進めました。開発に成功する前に、ドイツが降伏し、ヨーロッパ戦線では
               使われませんでしたが、日本との戦いが続いていたため開発を継続しました。着手以来わずか3年足らずで
               3個の原爆を作り、昭和20年7月26日に1個の地上実験を行い、核爆発に成功しました。後の2個は同年8月6日、
               9日に日本に投下されました。

        3.原爆投下時の日本の状況
 
               昭和20年8月、当時日本軍は、既に空軍、海軍の抗戦能力をほぼ失っておりました。しかし、本土における陸軍は
               まだ温存されており、政府及び軍首脳部は、この陸軍により上陸してくる敵に大打撃を与え、有利な講和条約を
               結ぼうと考えていました。この本土決戦は多くの日本人により、当然行われるものと思われていました。
               女性、子供でさえも、竹槍で敵を突く練習をし、老人はリアカーに爆弾を積んで敵戦車に体当たりをする練習を
                していました。そして、米、英は鬼畜のごとくであり、捕虜になれば、男性は強制労働をさせられ、女性は
                レイプされ、 いずれ殺されると思っていました。

        4.本土決戦

              このような状況で、本土決戦を行ったらどうなっていたでしょうか?空軍の支援を受けたアメリカ上陸部隊は、
              機銃を装備した戦車、装甲車により、たちまち都市部、平野部を制圧し、日本軍は山中に逃げ込んだでしょう。
              但し、山中であれば、戦車は入れず、視界が悪いため、穴に入って単発銃で狙撃しても、有る程度は戦えたでしょう。
              そこで米軍は、沖縄戦で行われたように、火炎放射機で焼き払い、手榴弾で穴をひとつずつ潰していったでしょう。
              沖縄と違い、本土は山間部が広く、山が険しいので、日本軍はより長く、激しく抵抗出来たでしょう。
              そしてその結果、犠牲者の数は、更に大幅に増えたでしょう。
             民間人も軍が山中へ撤退すると同時に山間部へ逃げたでしょう。しかし、何千万もの人が山の中へ逃げ込めば、
              すぐ、食料が無くなります。一月も経てば、南洋の島で起こったように、人々は蛙やミミズを食べ、草の根を
      かじって 空腹をこらえることとなります。更に、南洋と違うのは寒さです。12月になれば、北国は雪となり、南国でも、
              山の上は 氷点下となり、寒さに震え上がります。また、沖縄戦では戦況が厳しくなった時、多くの集団自決が
              ありました。「手榴弾をくれ。いやこれは大事な武器だからあげられない」という争いも起こったでしょう。
              沖縄戦では、民間人だけでも沖縄県民の約2割が死んでいます。本土決戦を行えば、この数字は大幅に跳ね
              上がったでしょう。当時、私はよちよち歩きの2歳になったばかりでした。弾に当たって出血死したのか、爆風で
              吹き飛ばされて死んだのか、焼き殺されたのか、餓死したのか、凍死したのか、親の手で絞め殺されたのかは
              分かりませんが、生き残ることが出来た可能性は限りなく0に近かったでしょう。

        5.原爆の果たした役割
 
              そうならずに、我々が生き延びることが出来、その結果として、戦後の繁栄を享受できたのはなぜでしょう?
              原爆のあまりの威力の前に、当時の為政者、軍首脳部でさえも、本土決戦で敵に大打撃を与えることなど
              あり得ないということを悟ったからだと思います。原爆があの無謀な戦争を終わらせ、今述べたような、さらなる
              惨劇を食い止める役割を果たしたと言うことを忘れては、原爆で死んだ人の霊も浮かばれないと思います。

        6.原爆の投下目的
 
              今までに述べたことは結果論であって、原爆を落としたのは、他にも目的があり、人道上許せないと言う意見も
              あると思いますので、原爆の投下目的について検証します。

             (1)原爆の投下目的として考えられるものを挙げます。

                   @  日本人を出来るだけ多く効率よく殺し、日本を出来るだけ多く効率よく破壊するため
                        真珠湾を奇襲して開戦し、以来多くのアメリカ人を殺した憎い日本人をできるだけ多く、効率よく殺し、
                        破壊したかった。

                   A  新しく開発した新型爆弾の威力を調べるため
                        アメリカは巨費(現在の円価値で2兆円以上)を使って、原爆を開発しました。しかも、科学者にとって
                        みれば、核分裂という全く新しい未知の開発への挑戦でした。この威力を知りたいと思うのは当然です。

                   B  世界に国力、軍事力を誇示するため
                        今までの概念を超えた破壊力のある爆弾を持っていることを示すことにより、世界中にアメリカの国力、
                        軍事力を誇示できる。

                   C  日本本土での直接戦を避けつつ、降伏を促して、早く戦争を終わらせるため
                         アメリカは莫大な戦費(現在の円価値で約350兆円)を使い、戦死者を増やしていく戦争を
                         早く終わらせたかった。

                   D  アメリカ軍の被害をできるだけ減らすため
                        Bと関連しますが、アメリカ軍はその時までに既に約40万人の戦死者を出しています。本土直接戦を
                        行えば、この数はさらに跳ね上がります。出来るだけ被害を少なくして日本を降伏させたかった。

            (2)上記目的の評価、検討

                  ここで、@、A及びBは非人道的、C及びDは非人道的ではないと言えるでしょう。各項目別に検討します。

                 @  日本人を出来るだけ多く効率よく殺し、日本を出来るだけ多く効率よく破壊するため
                       これが目的とは考えられません。もしこのためであるならば、東京、大阪、京都等に落としたでしょう。
                       軍部には京都への投下を進言する人もいましたが、トルーマン大統領のポツダム日記7月25日の項に
                       「たとえ日本人が野蛮であっても、共通の福祉を守る世界の指導者たるわれわれとしては、この恐るべき
                        爆弾を、かつての首都にも新しい首都にも投下することはできない。」とあるように、大統領を始め、
                        指導部は目標を中都市に限っており、できるだけ多くの人を効率よく殺すと言う考えは持っていない
                        ことが分かります。
                       また、ポツダム宣言の9条に「日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る。」
                       とあり、又、10条に「日本人を民族として奴隷化し、また日本国民を滅亡させようとするものではない。
                       言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立される。」とあります。これも、この戦争の
                       目的が日本人を多く殺すとか、日本を破壊するといった目的で無いことを示しています。
                       更に、戦後処理で、アメリカは全く賠償を要求していません。領土でも、沖縄をしばらく統治下に置いて
                       いましたが、これも返還しています。これは当たり前では有りません。第2次大戦前の常識を考えて
                       頂きたいと思います。
                       例えば、日本は、日清戦争に勝って、台湾と遼東半島を割譲させ、莫大な賠償金を払わせました。その結果、
                       清は崩壊しました。このことから見れば、アメリカは日本に対して極端に寛大な処置を取ったと
                       言えるでしょう。
                       そして、このことが日本が戦後の繁栄を享受できまる基礎となりました。この処置に対して日本人は
                       アメリカにいくら感謝しても、感謝しすぎることは無いと思います。
                       もし、日本が戦勝国であったなら、「国益、国益」と言って、為政者のみならず、多くの納税者、
          マスコミが大反対し、 賠償金0など思いもよらなかったでしょう。アメリカが何故このように寛大な処置を
                       とれたのでしょうか?
                       その理由の1つにアメリカ人の持つ倫理観あるいは正義感があると思います。自国とは直接関係が
                       なくても、 どこかの国が侵略した場合、これを許さないとして、戦争をして勝ち、相手が侵略を止めて、
                       謝罪すると賠償は求めないと言うのは日本人には無い考え方です。この正義観が過剰になり過ぎて、
                       相手国を傷つけ、 反発をかった例もありますが、少なくとも第2次大戦に於いては、戦争によって
                      相手国の富を奪い、自国の利益を得るという それまでの帝国主義による戦争を終わらせたという
                      世界史上画期的な役割を果たしたと 思います。

                A   新しく開発した新型爆弾の威力を調べるため
                      これは一部のマンハッタン計画参加者にとっては、ひとつの理由であったかも知れません。しかし、
                      アメリカは 日本に投下する前に、アメリカ国内で実験を行い、爆発に成功し、その爆発がTNT火薬
                      何トン分に 相当するかを知っており、そして、前に述べたようにその恐ろしい威力を知っていました。
                      従って、このことが主たる目的であったとは 思えません。

                B  世界に国力、軍事力を誇示するため
                      当時は、アメリカと戦っているのは日本だけであり、この様な必要性が有りませんでした。但し、その後
                      共産主義国がアメリカと対立するようになり、冷戦時代に入っていった時、この役割を果たしたのは
                      事実だと思います。

                E  日本本土での直接戦を避けつつ、降伏を促して、早く戦争を終わらせるため
                      これはアメリカ政府が述べている公式の理由です。歴史書を見ると、昭和20年4月にドイツが降伏した後、
                      アメリカは日本を降伏させるために、次の3つの準備を進めています。
                      (@)日本上陸による直接戦、(A)原爆開発、(B)ソ連参戦
                      (@)は犠牲者が多くなるため、可能であれば(A)、(B)で日本を降伏させたいと考えていました。
                     時系列を見ますと、昭和20年7月17日にソ連がアメリカに対日参戦に同意する意向を示し、同18日に
                     核爆発実験に成功し、同26日に連合国側は降伏勧告(ポツダム宣言)を行い、日本はこれを
                     黙殺しています(同28日、鈴木首相記者会見談話)。そして8月6日、9日に原爆が落とされ、
                     又、8月8日にソ連が参戦しました。
                     これに対し、8月14日に御前会議で、宣言受託が決定され、8月15日に玉音放送がなされ、日本は
                     降伏しました。
                     時系列的に見て、アメリカ政府が述べる理由に矛盾は無く、結果的にもアメリカ政府の思惑通りに事態が
                     進みました。
                     また、降伏を促すためであれば、都市に落とす必要がなく、無人島にでも落とせば良かったのではないか
                     という意見があります。当時、原爆が量産できていれば、このようなことも出来るかと思います。しかし、
                     2兆円費やしてやっと3個の原爆を作り、1個は実験で使ってしまっています。冷静な判断などしそうもない
                     当時の日本に対して、この様なことをやって無駄になれば、元も子も無くなるのを恐れたと思います。

                F  アメリカ軍の被害をできるだけ減らすため
                    これも一つの目的であったと思います。アメリカ側から見れば、これは当然の行為です。4章では
                     述べませんでしたが、本土決戦になった場合、ソ連が本土戦に参加すれば、ソ連は北方領土以外にも
                     領土を要求した可能性が大です。また、シベリア抑留者の数が大幅に増えたでしょうし、ドイツや
                     朝鮮のように分断国家となった可能性も大です。そうならなかったのも原爆によると言えます。
                    更に仮定の話を進めます。もし、もっと早く原爆の開発に成功していれば、アメリカはソ連に参戦を
                     要請しなかったでしょうし、ソ連も日ソ中立条約の手前、敢えて参戦しなかったでしょう。この時、
                     8万人死んだと言われる満州からの引揚者の苦難も大幅に減ったでしょうし、約60万人のシベリア
                     抑留者も無く、北方領土問題も起きなかったでしょう。

         以上検討してきたとおり、当時の戦争の状況を考えれば、原爆の使用目的に特に非人道的と指摘出来る点は
          見当たらず、結果的に、通常兵器で本土決戦をやるのに比べ、はるかに少ない犠牲で済み、早期戦争終結の
          役割を果たしたと言えます。

        7.人道性に対する更なる検討

             上記結論に対し、種々の意見もあると思いますので、更に検討を加えます。戦前、戦中から見れば、はるかに
             平和な現代において、原爆投下の話を聞き、悲惨な被爆写真を見、たった2発の原爆で30万人もの人が
             死んだことに思いを巡らせれば、アメリカ人をも含め多くの人にとって、原爆が非人道的に思えるのは
             当然だと思います。しかし、原爆の非人道性のみに注目すれば、原爆を落としたアメリカを非難するだけで、
             自らを反省することになりません。
             原爆だけでなく、およそ戦争は全て非人道的です。例えば、私の父は戦時中蒙古にいましたが、昔私に、
             「中国人は偉い。中国人捕虜に穴を掘れと言ったら、観念して穴を掘った」と言ったことがあります。勿論、
             ゴミを捨てるための穴では有りません。その中国人捕虜の首を軍刀で切り落として、死体を埋める
             ための穴です。
             また先日もテレビで、終戦時に満州開拓団が日本に逃げ帰る時に、3歳以下の子供を川へ投げ捨てた話を
             していました。通常爆弾による都市空襲の悲惨さも枚挙にいとまが有りません。

              広島市長は、原爆は「絶対悪」と言い、マスコミ等の拍手喝采を浴びました。しかし、よく考えて頂きたいと
              思います。広島に原爆を落としたことが絶対悪であるならば、そして、落とされた人に倫理観や正義感が
              あるならば、この絶対悪と闘うべきです。本土決戦をやるべきです。この時、何が起こったかは前に
              述べました。
              死者の割合は、前回2割以上と言いましたが、本土決戦を正義の戦いとするならば、この値は4割、5割にも
              跳ね上がるはずです。前回述べた地獄絵図は更に恐ろしいものとなります。本当にあの時原爆は絶対悪
              だったのでしょうか?少なくとも「今後原爆を使うのは絶対悪」と言い直して頂きたいと思います。
              昭和天皇が昔、海外マスコミに原爆を投下されたことをどう思うか?と問われた時に、「やむを得なかった」と
              答えたことがありました。マスコミから非難され、宮内庁が火消しに奔走していましたが、私は、これは真情を
              吐露されたものだと思っております。最高責任者であっても、理由なく敗戦を受け入れる決断はできません。
              昭和天皇が敗戦を決断した理由、そして、その決断を回りの人に納得させた理由が原爆投下にあったことを
              裏付ける発言です。勿論、原爆の果たした役割と共に、昭和天皇の果たした役割も忘れてはなりません。
              もし、昭和天皇がいなければ、原爆を落とされてなお、敗戦の決断ができず、本土決戦を行った可能性は
              極めて大です。
              また、昭和天皇はA級戦犯が合祀されて以来、靖国神社を参拝していません。昭和天皇は、誰が何を言って
              この戦争が始まり、進行し、そして、敗戦が不可避となったかを知っています。この戦争責任者に
              「魂よ、安らかに眠れ」などと言う気になれなかったのです。戦前の為政者の多くが理屈をこねて戦争責任を
              逃れようとするなかで、戦争責任についてまともに考えていられたのは、昭和天皇だけではないのでしょうか?
              昭和天皇は責任を取らなかったではないかという意見がありますが、昭和天皇自身は退位を望む意向を
              示すなど責任を取る意志がありました。責任を取らないようにしたのは、これだけは防ごうとした、当時の為政者、
              大多数の国民です。
              最後に戦争責任についてもう少し述べます。

      8.戦争責任

               最も非難すべきあるいは反省すべきは、個々の行為よりも、何故国家として戦争を起こしたかです。
               何故、日本は太平洋戦争を始めたのか?何故アメリカは日本に対し石油禁輸措置を取ったのか?何故日本は
               国際連盟を脱退して世界中から非難を浴びながら、中国との戦争を進めたのか?これ等を考えれば、日本に
               アメリカを非難する資格があるとは思えません。
               太平洋戦争全体では、日本人約300万人、アメリカ人約40万人、その他2,000万人以上が死んでいます。
               原爆による死者の数の2ケタ上の数です。もし、日本が戦争を起こさなければ、この人数の人が死なずに
              すんだのです。しかるに、〇〇氏もご指摘するとおり、日本国内には日本自身の戦争責任を追及する声が極めて
               僅かです。「あの戦争で日本人は皆、お国のために頑張ったのだ。誰も悪くない。」という多くの優しい人々の
               考え方が、「原爆を落とすという絶対悪を行ったのはアメリカだ」という考え方と結びついた時、今、頭の中に有る
              「平和」の2文字が「復讐」の2文字に変わっていく可能性があります。我々に必要なのは自制ではなく、自省です。
               非難すべきはアメリカでは無く、国内の戦争責任者です。
               戦争責任を問う時、マスコミがどのように報道したかも検証すべきです。満州事変は当初、戦線不拡大の
               政府方針に 対し、広東軍はマスコミの協力により、国内世論を味方につけ、戦線を拡大していきました。
               発端となった柳条湖事件では広東軍が行った爆破であることを知っていながら、中国人の仕業だとして、戦争を
               煽っています。ある記者は、自分が死ぬことは無いからでしょうが、「みんな兵士だ、弾丸だ」と言って死ぬことを
              奨励しています。ポツダム宣言に対しては、読売新聞「笑止、対日降伏条件」、毎日新聞「笑止! 米英蒋共同宣言、
              自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などと書いています。これでは、アメリカが日本を
              降伏させるためには、原爆を落とすしかないと思うのが当たり前です。この様な記事を書いた記者や新聞社は
              当然戦犯と見なすべきです。
 
      9.おわりに

              以上、原爆の果たした役割と戦争責任について私なりの見解を述べて参りました。文中使われたデータは
              パソコンで検索すれば、手に入るものばかりです。
              元来、私は人文科学には真実が無いと思っています。DNAが違い、生まれが違い、育ちが違い、仕事が違う
              人間どうしが全く同じ意見になる訳が無いと思っています。この文も人を説得するためのものでは無く、
              同意を得るためのもでも有りません。単に参考にして頂ければ幸いです。
                                      
                                                                                                              以上