定年退職後の日々 第四回 妻の妊娠 イマジン 子供が出来たと妻から告げられた時、夫は誰でも、最初は悲しくなる。 これで、もうどんなことがあろうと、最早この妻との離婚は諦めれなければならない、と気付かされるからである。 次に、少し嬉しくなる。 子供と手をつないで楽しそうに歩く若い父親の姿が脳裏に浮かび、これはこれでいいものではないか、と思い返すからである。 しかし、この喜びはあっという間に消える。 これからどうやって子供を育てようか、費用の捻出をどうしよう、麻雀やゴルフは当面出来ないだろう、スーツの新調も しばらくは我慢すべきだろう、と思いつつ、しわの寄ったスーツを着て頑張っている世帯染みた父親達が頭に浮かんだり するからである。 そして妻の顔を見る。 妻はそっぽを見ている。 しかし、夫は、どんな顔をするのだろうか、まさか誰の子か、などと云いはしないだろうな、子供を可愛がってくれるだろうか、 出来たのはしょうがないという態度だろうか、と目の隅でじっと夫の顔を見ている。 夫は弱り果てている。 一体全体、こういうとき世間の夫はどういう顔をするものだろうか、不用意な顔をして後々まで責め立てられたら、 とんでもないことになる、だからといって飛び上って嬉しがるような態度や顔はもとより嘘っぽい、すぐに演技だとばれるだろう、 と心は千々に乱れる。 夫にとってこの瞬間こそ結婚以来最初に訪れる最大の危機である。 これを無難に切り抜けたら、結婚生活も暫くは安泰である。 なにしろ、この後、妻はお腹の中の子供に意識を集中するからである。 結婚後このような時を迎えるのは、夫にとってはほとんど予想の範囲内である。 それでも、大いに困惑する。 事前に予想していたこととはいえ、現実に目の前の妻の腹の中に自分の子供がいる、という事実は、事前の想定よりは遥かに 衝撃的なのである。 山本の場合は、茫然自失、吃驚仰天、南極大陸に突如放り込まれたような感覚に陥った。 まさか60歳で自分に子供が生まれるなどとは夢にも思っていなかったからである。しかも巴は不老不死の身体だ。 そんな女性に子供ができるのか、子供を産めるのか、何かの間違いではないか。 「最近体調が変だから、ほら、木村さんに、診てもらったの。そしたら、妊娠ですって。びっくりしたあ。何しろ、 800年ぶりだから」 木村さんというのは、東京で、仲間を一手に引き受けて診ている唯一のお医者さんである。山岡さんと同じような年頃で、 もう今は何歳になったのか見当もつかない、と本人も言っている。 鶴の如く痩せ、白髪が肩まで伸びて輝いているが、顔色は若者の様に皺ひとつない。 老人の風貌と若者の印象が奇妙に混じりあっていて、不思議な精気を醸し出している。 最初は加持祈祷から始め、そのうち山野草を薬にするようになり、それが最初はびっくりするほど治療効果があったらしい。 しかし、それにも限界があることに気付き、当時の最先進国であった中国に渡り、漢方を学ぶ。 当時は航空機もなく、大変だったでしょうねえ、と山本が聞くと、そりゃあそうですよ、穴のあいた丸木船で玄界灘に 漕ぎだしたときは、いかに不老不死の身でも生きた心地はしませんでしたねえ、実際嵐で引っくり返った時はこれで最後かと 観念しましたよ、という。永遠に生きられる身体なんだから、そんなことになって、大いに後悔されたのでしょうねえ、 と返すと、目を丸くして、全然!あんたねえ、やりたいことをやらなくて生きていてもしょうがないでしょう、 と当然のようにいう。 江戸時代には、長崎でオランダ医学を身につけ、明治維新になってからは、東大医学部に潜り込んで近代医学すら身につけた。 そのようなこと総てに相当苦労をしたはずだが、決して泣きごとを言わない。 明治以降日本で発見された医学的な学問的成果のかなりの部分が、木村さんの研究業績ということであるらしいが、 友人や同僚にその名誉を譲ってしまっている。 だって、名前を上げると不老不死であることがいずればれる、とんでもないことになりますからねえ、とあっけらかんとしている。 苦労話や、秘密裏に有名人の治療をしていて知った政財界の裏話などを面白おかしく饒舌に喋り、いつまでも愉快に 大酒を飲むので、酒飲みグループでは一種のヒーローでもあるらしい。 山岡さんが、不老不死だといっても酒で死んだ人もいる、医者たる者が何事か、と時々説教するらしいが、のれんに腕押し、 と巴が噂話をしていた。 そうか、木村さんが面倒を見てくれるのか、それじゃあ安心だ、と呟くと、巴がほっとしたような顔をした。 それを見て、山本は、結婚以来の最初の危機をうまく乗り越えることができた、と密に喜んだ。 「木村さんがね、山の上ホテルの麓にある産婦人科の病室を予約してくれているのよ、この家でもいいと思うけれど、 何かの時に最新の設備がある方がいいんですって」 「しかし、君には戸籍が無いのだから、母子手帳もないし、そこで不審がられるのじゃあないか」 「そこの院長先生は、木村さんが東大に行っていた時の友人の曾孫さんなんですって、だから私達のこともよく知っていて、 うまく誤魔化してくれるらしいし、これまでも妊娠した人はそこで産んでいるのよ」 山の上ホテル、ここはお茶の水駅から歩いてわずか5分、大通りから曲がると俄かに木々が増え、まるで雑木林に 入ったような印象になる。 このホテルは、都心ながら、田舎にあるような雰囲気で、古くから名のある施設にありがちな、気取った従業員も いなくて、感じがいい。 そのすぐ傍のこれまた木々に囲まれた奥まったところに小さな産院がある。 看板も出ておらず、教えて貰っていないと見過ごしそうである。 ドアを入ると正面に受付があり、その前に待合室らしく応接セットが置いてあるが、誰もいない。 「すみませ〜ん」、と大きな声を出すと、暫くして奥の方から年配のご婦人が出てきて、にっこり笑うと、 「巴さんですね、御久し振り・・、こちら御主人?まあ、おめでとうございます。」と賑やかに挨拶をする。 お目出度いのは、結婚したことか、子供ができたことかは判然としない。 巴は巴で平気な顔をして、「そうなんですよう、本当によかった」とこれまた意味不明の挨拶をしている。 このご婦人についていくと、古ぼけた診察室に、50年配の医者が座っていた。 頭と顔を見て驚いた。 実に巨大な頭をしていて、しかも丸刈りで、よくよく見ると所々に、5円硬貨大の禿があって頗るみっともない。 そこに小さな顔があり、目がこれまた小さくて、頭と実に対照的なのである。 山本は秘かに、この人は生まれつきの障害者ではあるまいか、と疑った。 しかし、木村さんの話では、日本で最高の産婦人科医で、その令名は遠く海外にまで及んでおり、世界の政財界 大物の婦人が密かに来日して診察を受けるという。 そんな雰囲気はまるでない。 僻地の診療所の様に殺風景で、かつ院長先生は裏の田んぼで草取りでもしていた方がお似合いの様な風貌である。 山本が挨拶して出ていこうとすると、「ああ、これから超音波で診てみますから御主人もどうぞ」と引き留められた。 渋々傍の椅子に座ると早速検査を始めた。 画面に何やらうごめく物が映っている。 どうも赤ちゃんらしい。 巴は嬉々として見入っている。 先生もニコニコ笑いながら、「ほらほら、これが心臓ですよ、どうです、すごいものでしょう」と山本に問いかけてきた。 なにが凄いのやら全く理解できなかったが、そうですね、と呟いた。 この後、すぐ傍のカーテンが引かれた場所での診察と前回の血液検査の結果が告げられた。 専門用語が多く理解できない部分もあったが、要するに子供は順調に育っているということだった。 山本は意を決して聞いてみた。 「先生、高齢者出産は先天性の障害者が多いそうですが、羊水検査はどうでしょうか、していただけないでしょうか」 このことは、昨晩巴と話しあって、聞いてみることにしていたのである。 すると意外なことに即座に 「それは止した方が良いでしょう、高齢者の方は流産する可能性が高いのですよ、それに巴さんは何といっても 800歳を超えているのですからねえ、何があるかわからないから、なるべく自然のままにまかせましょうよ、障害者と いってもあなた方二人の御子さんでしょう、それがその子の個性だと思えばいいじゃありませんか。 障害者が多くなるといっても、100人のうち2〜3人が、4〜5人程度に増えるだけです。大したことじゃありません。」 と、断られてしまった。 帰ってから木村さんに相談すると、大笑いして、「そりゃあ、そう云うでしょう、あの先生はそういうことが大嫌いなんですよ、 だから信頼しているのです。」といって、急にまじめな顔になると、「むしろ障害者の方が本人のためになるかもしれません、 不老不死なんて、惨めなものですから」と結んだ。巴も頷いていた。 山本は更にびっくりした。そうだ、生まれてくる子は不老不死なのだ。 この子は、戸籍がない、学校にも行くこともできない、一体全体どうしたらいいのか、どうしたらいいのだろう。 巴に問いかけたら、巴が悲しそうにつぶやいた。 「私達の子供だからといって、不老不死になるとは決まっていない。私の800年ほど前の子供は、普通の子だった。 あっという間に老人になり、老衰でなくなったのよ。代われるものなら代わってやりたかった。」 山本は息を呑んだ。そうなのか、そうだったのか、だからこの人たちはめったに子供を産まないのだ。 違うのよ、産まないのは、妊娠しないからなのよ、妊娠できるのは、あなたの様な人と結婚した場合だけなのよ、と巴が囁いた。 私は本当に幸運なのよ、妊娠まで出来て。 しかし、子供を育てることを考えると、どんな子供が生まれるか、時々どうしようもないほど不安になるの、と身を寄せかけてきた。 肩を抱きながら、山本もまた未知の世界に一歩踏み出す恐れと、そして、どんなことがあっても何とか子供を育て上げよう という勇気が、少しずつ心の底から湧いてくるのを、じっと噛みしめていた。