定年退職後の日々(妻との再会) イマジン 最近、ご老人方の風貌がかなり気になりだした。 歩道で手押し車を押しながら歩いている女性、杖をつきながらうつむいてゆっくりと歩いている男性、その修行僧の ような表情に、つい、頑張ってください、と声をかけたくなる。 今日も電車の向かいの座席の老婦人から目が離せない。 少なくなった髪を丁寧になでつけ、薄く化粧している。どことなく、上品な雰囲気を漂わせ、背をぴんと伸ばしているが、 それでも高齢からくる弱弱しさ、緩慢な身体の動きは隠しようもない。 しかし、目だけが違う。悲しさに満ちた双眸が、時として吃驚するほどの輝きを見せるときがある。 まるで、思春期のお茶目な娘の表情である。 この人は、見かけは90近いご高齢であるが、この高齢の身体の中にいるご本人は、思春期の娘そのものであり、 悲しそうな表情は、外観や身体の動きが、自分自身とあまりにかけ離れていることから生じているのだろう。 私自身もそうである。 もし私が歳相応の90の老人であるのなら、多分この御婦人のような表情を顔に浮かべるだろう。当然である。 不老長寿の種族となった私から見れば、60を過ぎた人々の老化のスピードは実に恐ろしい。 60歳までの老化は緩慢であり、それなりの若作りの服装、化粧、身のこなしをすれば、何とか若々しさを維持できる。 しかし60を境に、老化は一段と早くなり、まるで老衰に向かって一挙に階段を転げ落ちているように見える。 あっという間に、髪が薄く細くなり、ついには弾力性がなく、廃屋のくもの巣のようなものに変化する。 皮膚がたるみ、特に二の腕の皮膚が垂れ下がっているのは、実に見るに耐えない。 また、背骨が縮んで低くなり、背も曲がって老人特有の立ち姿となり、歩き方も頼りなくなる。 しかし、私は気づいたのである。 そのようなご老人方の身体の中には、自分が最も輝いていたときの精神がなお脈々と息づき、その精神の躍動と共に 双眸が嬉しさに輝き、悲しみに沈み、物思いにふけるのである。 私は定年退職の日に、思わぬことから不老長寿者となり、妻と娘に会えなくなった。 二人に会えなくなったことは、どんなに辛く悲しいことであったか。 そのため、会えなくなったことを巴とおりんのせいにして、二人を疎ましく思い、恨んだことさえあった。 しかし、この30年の歳月の間に、私が不老長寿者になったのは、誰のせいでもない、自分の選択であったのだ、 と心から納得した。 定年退職の日、妻と娘は、家で心尽くしのご馳走を作り、どんな顔をして帰ってくるか、と心配しながら私を待って いたのに違いない。 朝玄関を出るとき、娘は自分の出勤時間を大幅に遅らして、私を見送ってくれた。きっと、帰りも待ってくれていたであろう。 それにもかかわらず私は、妻と娘に見せるべき定年退職記念の花束を、路傍のホームレスの老婆に投げてしまう。 これは、偶然の行為ではない。 妻と娘を捨て、どこか別の世界へ行こうとしたのだ。それが、不老長寿者への道であり、今思えば、無意識にその世界を 志していた。それは、誰のせいでもない。私の意志だった。だから巴が花束を受け取ったのである。 妻は私と同い年だったので、生きていれば今年90歳になっている。娘も、60歳だ。結婚もし、ひょっとしたら孫さえ いるかもしれない。 この電車に乗ったままだと、50分もすればかつて住んでいた団地に行くことができる。 向かいの座席に座っている老婦人の様子を見ながら、行ってみよう、かつての住まいを見てみよう、急に思い立った。 通勤時に毎日見ていた車窓の町並みは、ほとんど変わっていない。 30年という歳月も、世の中の動きには、あまり影響を及ぼしていないようである。同じようなビル、マンション、 公団団地等の見慣れた風景が次から次へと現れる。 懐かしさから、ほとんど涙ぐみそうになった。 駅前もほとんど変わっていなかった。 バス停に並ぶ人々も昔のままだ。 住んでいた公団団地に向かった。途中の理髪店、美容院、スーパーの位置も同じだ。よくよく見ると少しおしゃれに なったり、かつての豆腐屋さんがブテックになったりしているが、ほとんど変化はない。 信号のある交差点を右に曲がると、住んでいた団地が見えた。 近づくと、驚いたことにほとんど変わっていない。 外観もむしろ美しくなっているようにすら見える。きっと、塗り替えたのだろう。団地の管理は丁寧に、細部まで 手を入れてあるらしい 住んでいた部屋の真下にあった小公園も昔のままだった。娘を遊ばせた砂場、ブランコ、入り口の大きなイチョウの木、 全て昔のままだった。 懐かしくなり砂場まで足を運んだ。 するとそこに車椅子に座り、毛布を膝にかけた老婦人が陽だまりの中にまどろんでいた。 私は向かいのベンチに座り、その老婦人を眺めた。 気配を感じたのか、老婦人が顔を上げ私をじっと見つめた。そして、顔を赤らめると立ち上がろうとして椅子から 転げ落ちた。私は吃驚して走り寄った。 抱き上げると、あなた、あなた・・・と呟き、すがり付いてくる。 車椅子に座らせて膝まづき、老婦人を見上げた。 しわくちゃの顔、二の腕どころか手首の上の皮膚も垂れ下がり、乱れた髪の毛は、本当にクモの糸のようだった。 しかし目の動き、口をすぼめる独特の癖、間違いなく私の妻だった。 私が娘を砂場やブランコで遊ばせているとき、妻はいつもベンチに座り、風や鳥の声、白い雲の動きをじっと眺めていた。 「帰ってきてくれたのね」 キジ猫が不審そうな表情を浮かべて、通っていった。 「・・・・・・・・」 「ここに座っていれば、あなたはいつか帰ってくる、と信じていたの。・・・・・そのとおりになった」 「・・・・・・・・」 私は妻の手をとった。 曲がった、ごつごつの指、骨だらけの手に青く浮かび上がった血管、昔ながらの暖かい手だった。すこし震えている。 「何しているの!」 と背後から、鋭い声がした。 振り返った。 60前後の女性だった。明らかに娘だった。 「おとうさんよ」と妻が叫んだ。 娘が、妻を悲しそうに見やった。 「すみません。数ヶ月前から、母は若いときの自分に帰っているんです。 きっと、あなたは父に似ていらっしゃるのでしょう。」 娘は私をじっと見つめた。 「そういえば、あなたは、60でなくなった父の面影にどことなく似ていらっしゃる。 母が間違えるのも無理ありません。」 妻が叫んだ。 「お父さんじゃあないの、あなたのお父さんが帰ってきたのよ!」 「こんな若い方が、お父さんなんて!この方に失礼じゃないの。」 私は慌てた。私は今30代後半の顔つきだった。 「いや、いいんです。お母様は、私の亡くなった祖母にそっくりでいらっしゃる。むしろ嬉しいのです。」 私は娘の顔を見つめた。 私は娘の子供だといっても可笑しくない風貌だ。 しかも、おりんが今30歳。別れたときの娘も30歳だった。 おりんと比べると、この老け様はなんということだろう。 なんということか。この30年、私は娘の壮年から老年にいたる人生に何の手助けもしていない。 どんなにか苦労しただろう。 生まれ育ったこの団地に、母と一緒にいるということは結婚もしていないのだろうか。 まじまじと見つめる私に、娘は不信感を持ったらしい。 それはそうだろう。見知らぬ若い男性が90歳の母親の手を取って愛撫しているのだから。 お母さん、帰りましょう、と娘が車いすを動かし始めた。私はあわてて妻に、明日もこの時間に来ますからね、 と囁いた。そう呟く私に、娘は一顧だにくれず足早に車椅子を押していった。行こうとしている先は 私が住んでいた棟だった。そうか、あそこに昔のままに住んでいるのか。 角を曲がり、見えなくなる寸前、妻が振り返り親指を挙げた。私も親指を立てて合図を送った。 妻と始めて会ったのは、大学のダンスパーテイだった。当時私はブルースと、ジルバしか踊れなかった。 妻はダンスがうまく、踊れないと断る私にワルツを誘い、そのステップを教えてくれた。 両方が抱き合う組ダンスから、片手だけを握り合って半身を離しつつ、少し強く握り合った手をリズムに 乗って引き合い、その反動で女性をくるりと回す、という少し難しいステップを最初に覚えた時、女房が 励ますように親指を立てて祝福してくれた。 爾来私たち二人に何か嬉しいことがあったとき、お互いに親指を立てあうというのが習慣になっていた。 私の親指を見ると、妻はにっこり笑って見えなくなった。その顔は、ワルツのステップを覚えた時の 彼女の笑顔そのものだった。 翌日は土砂降りの雨だった。 然し約束の時間が近づくと私はいてもたってもいられなかった。 そわそわしている私を巴が不審そうに見つめる。私は事情を話した。 巴はいつかこのような時が来るだろうと覚悟していたようだった。 黙って、ビニールの分厚いレインコートとゴム長靴、それにどこに保存してあったのか大きい番傘を 取り出してきた。 私は、レインコートを羽織ると神社を飛び出そうとして後ろを見ると、なんと巴もついてきているのである。 巴が、私がいた方がいいのよ、とつぶやいた。 団地の前の公園に行ってみると、すでにレインコートに防護された車椅子の妻がいた。大きなゴルフ用の傘を さしかけた娘が険しい目で、私を睨んでいる。娘に近づくと、巴を指して、私の妻です、と小さく呟いた。 巴が何か娘に囁いていた。横目で二人の様子を見ているうちに、娘の険しい表情がたちまち柔らくなって いくのが見て取れた。 私は妻の傍のベンチに座った。 妻の手は雨に濡れていたが、水滴にもかかわらず暖かいままだった。 しばらく無言のままに見詰め合っていたが、妻の軟かな唇が少し動くのがわかった。耳を寄せると、 踊りましょうと言っているのが聞こえた。頷くと、妻が立ち上がった。びっくりした娘が駆け寄ろうとしたが、 巴がそれを制止した。 妻はよろけながら椅子のそばに立ち背を伸ばした。 私もその前で背を伸ばし、腕を差し出して妻を抱き寄せた。 妻が囁くように歌いだした。 I was dancin' 私も続けた。 with my darlin' 土砂降りの豪雨の中で、私たちは最初のステップを踏み出した。 それが妻との再会だった。