定年退職後の日々 イマジン 葬儀は、団地の集会所でおこなわれた。 驚いたことに、私の実家の墓を守ってくれているお寺の住職さんがはるばると東京まで来てくれて、葬儀を執り行ってくれた。 どうも私が出奔して以来、妻は変わることなく盆暮れの墓掃除はもとよりのこと、何くれとなく墓守を勤めてくれていたらしい。 私が知っている和尚さんは既に他界し、息子に代わっていたが、巨大な後頭部は父親譲りであるらしく、青々と剃った頭は 父親の再来を見るようだった。 本人もそれを気にしているらしく、時々後頭部に手をやる仕草まで、父親にそっくりだった。 その若い和尚さんが時々私をじっと見る。 不思議な感覚だった。特に葬儀後の法事の席になって、和尚さんはわざわざ私の席にまで来て、酒を注ぎながら私の目の奥を みやるように凝視する。私も無遠慮に見返したら、その目の奥に、奇妙な表情を見つけた。 からかうような、微笑むような徴を見つけたのである。 わたしは気づいた。 知っているのだ。 何故だろう。なぜわかっているのか? 娘が私の前に座った。 微笑みながら、ありがとうございます、と呟いた。 いえこちらこそ、と答えた。 黙ってお銚子を取る。私も杯を上げ、酒を飲み干した。娘の目尻のしわは深く、そこに涙の跡があった。初老の女性の悲哀が、 母を亡くした悲しみと相まって、さらに深くなったようだった。 死すべき定めの者の悲哀が、ひしひしと伝わってくる。 娘の悲しみが、私の胸を切なくさせた。幼い時のように抱きしめ、涙を拭ってやりたかった。代われるものなら代わってやりたい、 お前のためなら死んでやる、と心から思った。 法事も終わり、すべての行事が済んだ。 外に出ると、空が奇妙に明るかった。明るかったが、何かしら透明で、現実感が薄く、頼りないような雰囲気だった。 巴とおりんが黙ってついてきていた。電車に乗ってからも一言も喋らず、私は呆然としていたらしい。この世界で生きている 私の肉親は60歳の娘だけ、しかもこの娘は私を父親とは全く認識していない。 不老不死の世界では、妻も血のつながる娘もいるが、肉親としての実感が薄かった。私が存在する世界、本当に住むべき世界は 不老不死の世界ではなく、この世界ではないか、この世界から私は放逐されたのだ、私は自分が所属すべきでない別の世界に いるのだ、と繰り返し執拗に考え続けた。 神社に帰ると多くの人が私を待っていた。 巴とあった初めての夜のようだった。彼らは同じような経験を持っているらしかった。命に定めある者が不老不死の世界に 来た場合は、親しいものをなくした瞬間が最も大きな危険の時であるらしい。だからみんな集まり、その者を慰める会を催すのだ。 その中に驚いたことに、田舎の若い住職がいた。剃りたての青い後頭部をなでつつ、私に微笑みかけた。 びっくりして、あなたもそうだったのですか、と大きな声を上げた。この住職は、不老不死ではあるが、我々とはやや違う方式で あるらしい。我々は永続的に生き続けるのであるが、この種族は年老ったら表面的には死亡し、土葬されて、数十年から数百年を 経過して再び生き返るのであるらしい。 この住職は、30年で生き返ったというのである。 土の中で過ごした年月で、20代の青年に若返り、先代の住職の、遠くで育った子供として復帰したという。 自分の場合は先代の若い頃にそっくりだったので先代の忘れ形見ということになったのであるが、似ていない場合には寺の 本山から新たに派遣されたという形式を取るらしい。 私たちは神道の形式で神社で過ごしているが、この人たちは仏教の衣をかぶって僧堂で生活しているのだ。 そういえば、神道でも仏教でも、その創立者はあたかも生きているように取り扱われている。生きているように取り扱われて いるのは、そこで本当に多数の人々が現に永遠に生きているからこそである、というのである。 妻よ、また再びどこかで会えるのだな、願わくば覚えていて欲しい。 いつの日か、再びワルツを踊ろう、上品なステップを踏み、人生の退屈さを謳歌しようではないか。 悲しみが次第に薄れていった。 そばに巴がいた。おりんもいた。 生きていくこと、生活していくこと、そしていつの日か死者たちが戻ってくるのを待ってやること、それが不老不死の者たちの 義務なのだ、不老不死の者たちは、戻ってくる者達のために、この世界を守り、発展させ、より素晴らしいものに作り変えていく、 そのような人間なのだ。 再び人生を始めよう。