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                  観光立国日本                   
                           
                                 イマジン




(一)
内閣改造が近くなると、最も忙しくなる職業は名の通った書家である。
大臣に成れるかもしれないと思う政治家が、花押の作成を依頼するからである。
大臣の閣議における署名は、明治以来花押を自書するのが慣行だからだ。
かっては、派閥の親分が新しく大臣に成れそうな子分に、そろそろ花押を作ったらどうかと耳打ちをしていた。
これは、次のチャンスに大臣に成れる、してやるというサインである。
しかし、その場合も、必ず大臣に成れるとは限らない。
其処で耳打ち3年、書き8年という隠語があった。即ち、耳打ちされて少なくとも3年はかかる、実際に書ける
ようになるのは普通でも8年はかかる、という自虐の隠語なのだ。

閣議は、花押を書くことと同義だ。
閣議にかける案件は、長らく、その前日全省庁の事務次官が出席する事務次官会議で了承されたもののみ、
という確固とした慣例があって、閣議では単に大臣が署名する事のみしか、やることは残されていない。
前日に、事務次官が了承してしまっているので、大臣が意見を言う必要は全然無いし、言ってはならないのである。
其処で閣議は、官僚出身の官房副長官が案件を淡々と簡単に説明し、後は全閣僚が無言で花押を書くこととなる。
そのため事務次官会議で決定されていないことを話し合う場は、閣議ではなく、閣僚懇談会と呼ばれる。

それは、内閣改造後の初の閣僚懇談会で始まった。

総理が閣僚を見渡しながら、二十一世期をわが国が豊かで持続的な発展を遂げるためには、産業の中心を一体
何にしたらよいだろうな?と発言した。

改造後の初の閣僚懇談会は、郵政民営化に関する関連法案が成立した後なので、いよいよ次の改革は何かという
ことが話題となるだろう、というのが大方の官僚たちの事前想定だった。
其処で、各省における次の改革の問題について、大臣に勝手なことを言われては困る、又恥をかかせてはならない、
とほとんど徹夜して想定問答をつくり、事前に周到なレクをしていた。
これを受けて、次の改革は何かということしか頭にない各大臣たちは、総理の発言に緊張したが、とりあえず
これは財務大臣か経済産業大臣がまず発言すべき問題だな、と少しほっとして両大臣の発言を待った。

財務大臣は、一年ほど前から若手の総理候補とマスコミからおだてられていた。そこで少し自分自身の独自色を
出そうとしたのか、内閣改造直前の経済財政諮問会議で、総理の主張する政府系金融機関の全面的統合方針に、
不用意にも少し反対する意見を述べてしまった。
途端に総理から、政治家が官僚の言いなりになってどうするのか、と諮問会議の席上公然と叱責をされ、
内閣改造では更迭されるのではないか、とまで報道されたばかりだった。
そのせいか、財務大臣は、ここぞとばかり、小さな政府こそわが国の今後の発展に必須でしょうね、やはり
政府系金融機関を統合して民間でできるものは民間にまかせて、民の自由な発想による新産業の育成・発展が
肝要でしょう、また、そこから何か画期的なものが出てくるかもしれませんね、と総理におべんちゃらを言った、
のつもりだった。
しかし、総理はチラッと財務大臣の顔を見ただけで、何も反応しない。

経済産業大臣は、財務大臣の発言中、これは経済産業省の所管だろうな、何か発言しなければ、と苦慮していた。
しかし、どう思い出しても昨晩からの官僚のレクチャーは短期的視点のものばかりで、こんな長期的な大問題は
含まれていなかった。
民のことは民への流れの中で、かって規制と強制に近い誘導策を強力に実行し、その凄腕振りを
ノートリアス・ミティと国内外から罵られ、恐れられた通産省の栄光は既に経済産業省にはなく、経済産業大臣は
新任の大臣でも務まる軽量大臣と見られている。
だから俺を指名したのだろう、と少し総理を恨みがましく思うと同時に、官僚たちめ、どうしてほんの少しでも
いいから将来の産業について教えてくれなかったのか、怒りの矛先を官僚に向けては見たものの、今現在の急場を
凌ぐには何の助けにもならない。
しかも、大臣就任後の初の事務説明で恩師である東大の某教授を話題にしたところ、次官が、私は助教授時代に
習いました、と呟いた意味がようやく分かりかけてきた。

わきの下がジワーと汗ばんできた。
若い大臣、それでなくても親の威光を借りて大臣に、というやっかみもあり、誰も助け船を出そうとしない。
農相を勤めた亡き父の顔が浮かんできた。若くしての突然の死亡にはいろいろな噂が飛び交った。極端なものには
毒殺説さえあった。
急死した父に代わり、当時銀行員だった本人に、地元から強力な跡継ぎ要請があった。
政治家は地元から見れば企業であり、支援者は社員なのだ。代議士は社長で、その社長の下で多くの支援者という
社員が生活しているのである。
息子が跡を継がなければ、この企業は潰れるのである。地元の支援者が、暗黙裡に、あんたが大学に行けたのは
誰のおかげか、安楽に生活できているのは誰のおかげか、父親が農相になれたのは誰のおかげか、
といってきたのである。
父親を見ていて、政治家は嫌いだった。だからこそ銀行員になったのである。
本来優しいというより、優柔不断な性格で、ずるずる回答を引き延ばしているうちに、ついに断れ切れなくなったのだ。

出身の北海道は、最優良企業だった北海道拓殖銀行がつぶれ、経済は壊滅状態だった。
ようやく残った観光産業だけが息を吹き返していた。
スキー場以外では長く厄介者だった雪がいまや貴重な観光資源で、豊かになった台湾人や中国人が、大挙して
厄介者だった平野の雪を見にやってくるのである。
小樽も、元銀行員だった実直な産業経済大臣にとって、不思議なことのひとつだった。遥かな昔に落ちぶれた小樽が、
汚い掘割に過ぎなかった運河を中心に観光地化し、北海道で唯一といっていいほど活況を呈している。
いつも不思議に思っていた。
運河の周囲にあるものは、安っぽい店やほとんど中身のない美術館ばっかりだったからだ。映画スターの記念館に
いたってはもう理解の外だった。

とにかく観光産業だけは何がなにやら分からない、何がいいのか悪いのか、あたれば雇用力は大きいし、
くだらないガラクタが高く売れる、多くの人が食っていける、とりあえず言ってみようと思った。

「観光産業でしょう、これからの日本は観光に力を入れたらいかがでしょうか」

並み居る大臣たちが唖然とした。
若造を経済産業大臣なんかにするからこんな馬鹿なことをいうのだ、日本の経済の基本は製造業ではないか、
自動車産業はもうすぐ世界を席巻するし、先端産業がナノテクやIT技術を中心にようやく上向きだした
ではないか、大学と産業界との連携も旨くいきだしている。
所管大臣としては、「そうですね、まず事務的に検討しましょう、場合によっては学者と勉強会を持って
みましょう、早速やってみますよ。」というような返事で十分だ、総理に何か案があれば、その考えを
言うだろうし、そうでなければ、勉強する以外にないではないか、しかも観光産業は国土交通省の所管だ、
と一部の大臣は公然と冷笑を頬に浮かべだした。

官房長官がチラッと総理を見た。
目ざとい外務大臣がその目の動きを追った。そして、小柳総理が苦虫を噛み潰したような顔をしているのを
見て、総理の事前のシナリオが崩れたなと思った。余計な若造が余計なことを言ったのだ。
特に将来の日本の中心産業をなんにするかは、次の総理候補が議論すべきことではないか、若造が発言すべき
ことではない。馬鹿な奴め。

所管の事項について、他の大臣から発言された国土交通大臣は、すっかり面目を潰され、真っ赤な顔をして、
言い出した。
ィやあ、わが所管の観光産業を経済産業大臣に評価していただいて大変うれしい、しかし、観光産業が将来の
日本の主要な産業なんていうのは、少し買いかぶりすぎだと思いますなあ、しかし、いずれにしてももっと
予算をつけて盛んにしなければなりませんがね、財務大臣お願いしますよ。

猿め、と外務大臣が心の中で呟いた。下手な猿芝居を打って、だから若造は駄目なんだ。こんな連中ばっかりで
なんと言う内閣だ、これじゃア、一年は持たないな、と口をへの字に曲げて、さてどうするか、と一人ごちた。
しかし、ハッと気付いた。総理は確か「産業の中心を何にしたらよいか」と言った、「何になるだろうか」
とは言わなかった。これは「民のものは民へ」という従来の口癖からは出てこない表現だ、総理は何を考えて
いるのだろうか、方針の大転換か? あるいは単なる表現のアヤか、能面のように無表情になった
総理の顔を見つめた。

経済産業事務次官が腹心の官房長と向き合っていた。
大臣がなぁ、総理から、将来の日本の中心産業を観光産業にするにはどうしたらよいか案を作れ、
と指示されたと言うんだ。
エッ、そりゃなんですか。
知らん、あまりに馬鹿馬鹿しいので大臣が聞き間違えたんじゃないかと思って副長官にお伺いしたら、副長官は、
その話は本当だ、しかし随分長期の話のようだから腰を据えてやったらどうか、と仰っておられる。
で大臣はなんと言っているんです。
課長クラスをトップに5,6人のチームを作れとさ。
ヘー、腰を据えろと副長官は仰っておられるんですね。
ウン、だから誰か選んでくれよ、腰が座っている奴を。

官房長は暫く天井を見て考え込んだ。
そうだ、適任が一人いますよ、半年ほど前スイス大使館から帰ってきて官房付きになっている奴が、
なんとかいっていたなあ、特徴のない奴ですけど、アー、タムラです、田村ならどうでしょう。
国際派の田村か。人柄がいいだけで気が弱く、他人の言いなりだ、覇気がない奴だよな、哲学がないし、
思想もない意気地なしだ。もともと、国内では使い物にならんから、外国に行ったんだけど。あんな奴が卑しくも
大臣特命担当じゃあなあ、しかもわが省が、総理や大臣の指示を軽視しているということになりゃせんか。
しかし丁度良いんじゃないんですか、腰を据えた仕事をさせるには。それに、素人目には見栄えはいいですよ。
留学組でスイス大使館勤務を終えて帰ってきたばかりだし、それに、なんと言っても観光産業はヨーロッパという
イメージがあるじゃないですか、しかも田村の留学先はフランスですよ。そうそう、奥さんはその時知り合った
ソルボンヌ出身のフランス人です、奥さんもヨーロッパの事情について色々知恵をだしてくれると思うんじゃ
ないですか、フランス人の奥さんを持つ国際派をキャップにすれば、大臣が喜びますよ。
大臣はワインが好きですからね。
しかしフランス人と言っても、アレはアフリカ出身の移民の娘で色は黒いと聞いたぞ。
そうらしいですが、フランス人には変わりはないじゃないですか、言わなきゃわかりませんよ。
そうだな、じゃあ、そうしよう。ところで何処の所管にしようか、どの局長も嫌がるだろう、観光はそもそも
うちの所管じゃないからなあ。君はどうだ? 
勘弁してくださいよ、・・・・・・・そうだ、これは大臣の特命事項なんだから、大臣直属ということに
しましょうよ、そうすれば次官もチームが出した結論を決済する必要がなくなります。名称も大臣特命担当室と
すれば、中身がわからないし、少し時間を稼げます。しかも、大臣特命担当とすれば大臣が喜びますよ。

 田村は、官房長や秘書課長との協議を終えて午後10時ごろ、公務員宿舎に帰宅した。
スイス大使館参事官の宿舎と比べると、向こうの一室を三等分して3DKにしたような狭い宿舎だった。
帰国して、最初に部屋に入った時、シモーニュは、一瞬息を呑んだ、今度はもっと広い部屋に入れると思って
いたのだ。向こうで参事官という課長相当職に昇進したし、課長以上の宿舎にはもう一部屋付く、これじゃあ、
課長補佐以下の宿舎じゃないの、どうして、と思った。しかし、田村の性格を思い出し、黙りこんだ。
事前に宿舎を調べ、担当と交渉したら、何とかなる問題だった。普通は誰でもそうしている。
毎日の生活の事だし、本人だけでなく家族の問題でもあるからだ。しかし、田村はそういう要求すること
自体が嫌だったし、なんとなく言いそびれもした。
田村は、ビールを飲みながら、部屋の狭さについて、妻が一瞬息を呑んだことを思い出した。
今はどうなんだろうか、と思いつつ、つまみを作るために、流しで背を向けているシモーニュに話しかけた。

今日妙な事になった。官房長に呼ばれてね、大臣特命担当チームのキャップになれという。チームのメンバーは
俺が適当に選んでよい、5〜6人にしろということだった。中身は観光産業の育成だ、どうも、総理の指示らしい。
 田村の浮かぬ顔を見て、でもそれは凄いことじゃないの、総理大臣の特命を担当するなんて、とシモーニュは
答え、日本に帰国以来、官房付きということで毎日出勤はするものの何も仕事はなく、辞めたいなどと
漏らしていた田村に仕事ができたことを素直に喜んだ。
 
ウン、それはそうなんだが、どんなことを目指しているんですかと聞いても、答えがない。年金施設や
国民休暇村、それに第三セクター方式で地方自治体にやらせているレジャー施設などもそうなんだが、いずれも
大変な赤字で苦労している。こんな時に新たな観光産業推進なんて、奇妙だよ。しかも総理の指示なんてねえ、
信じられない。官房長は、総理の指示が我が大臣に下りてきて大変誇らしい、経済産業省として全面的に
応援・支援する、思い切ってやれ、具体的なことは、大臣に直接相談しろという訓辞なんだ。
 
マー、素敵じゃない、いよいよタムラも国政中枢の仕事をするのね。

女房はタムラと呼ぶ。フルネームが田村兵衛門という今時ないような古めかしいものなので、付き合っている時
からのタムラ、タムラというのに馴れきって、今はなんとも感じない。流石に母親は今でも顔を顰めるが、しかし、
無理して名前を言わせると、イエモンとしか言わない。四谷怪談の主人公みたいで、母親も今では諦めている。

あなたの年で大臣から直接指示を受けることが出来るなんて、フランスでは想像も出来ないわよ、エナ卒でも
そんなことは滅多に無いと思う。いよいよ、いい方向に行きだしたのよ。チャンスよ、これは。

そうであればいいがと思いつつ、田村は妻が出してくれたチーズを食べた。
 官房長の話では、明日大臣が辞令を交付するということだった。その時、大臣からどんな指示が出るのか、
それを待とう、それしかないな、と思った。

 次官宿舎の電話が鳴った。
もしもし、山本です、どなたさまでしょうか。
岡部ですが、次官いらっしゃいますか。
アー、官房長さんですね、少々お待ち下さい。
・	・・・・・・・・・・俺だ、大臣はどうだった? 
思った以上に喜んでいましたよ、田村も適任だし、良い人だって。それに、大臣直属の組織という点でも
理想的だ、ということでした。
フーン、大臣にお喜び頂いて、仕事のし甲斐があるな。
そうですね、本当に。
電話線の両端でほのかな笑みが交換された。

 ビールを飲みながら、それにしても、今日のメンバー選びは異例だったな、と思った。メンバーは
自由に選んでよいということだったが、まず補佐選びで難航した。入省年次が5,6年下の名簿を見て指名すると、
そのいずれも現在重要な仕事をしていて、どうしても外せないと人事課長は主張する。ほとほと困惑していると、
一年ほど前にロシア大使館から帰国して同じく官房付きを続けている岡本はどうだ、と秘書課長が言った。
エッ、と思わず言った。岡本は、田村よりも6歳上で初級職の出身、入省後中央大学の夜間部で法律を勉強した
苦労人でもあった。初級職で大使館出向になれた経歴が示すとおり、その有能さは定評があったが、しかし、
1年も官房付きでたな晒しにされているように、使いづらいということも確かなようだった。
仕事がないんだからと言って、殆ど出勤しない。給料日だけは出てきて、庶務係から俸給袋を受け取ると、
じろりと周囲を見渡して、さっさと何処かに消える。
しかし、田村は、以前から岡本に好感を持っていた。入省後の研修が終わり、配属された課で岡本は庶務係
だった。初出勤後2,3日すると、廊下で、オイ、田村クン、と呼びかけられた。ハイ、と返事して立ち止まると、
君なぁ、新人だろう、朝は人より早く来て、先輩の机を拭かなきゃ駄目じゃないか、先輩が出勤してきたら、
お茶を入れるもんだ、明日からそうしろ、というとプイとそっぽを向き、足早に去っていった。
 次の日、30分ほど早く出勤すると、岡本は既に出勤していて、田村を待っていた。それから一年間、
地方業務の見習いに大阪に赴任するまで、二人で先輩の机を拭き、お茶をだし続けた。
 それ以降、岡本と同じ場所で働くことはなく、年賀状の交換のみの付き合いが続いただけだった。
しかし5年ほど前、岡本がロシア大使館出向ということを聞き、出立の日に、成田に見送りに行った。
 見送り人が多数いるだろうと思い、探してもそれらしい人だかりはなかった。ウロウロしていると、
岡本が見つけて、どうしたの?と問いかけてきた。どうしたのはないでしょう、見送りに来たんですよ、
と笑いながら言った。するとチョッと待ってくれ、といって、何処かに行き、結婚したばかりの奥さんを
連れてきた。長く独身だったのだ。
 お世話になっている田村さんだ、と紹介した。笑いながら、偉くなる人だよ、と付け加えた。田村はチョッと
ビックリした。何しろ初めて「さん」付けしてくれたからだ。
 小柄で、可愛らしい感じの奥さんは、主人がお世話になっています、と初々しく挨拶をした。岡本は、
なに、俺が世話をしているんだよ、と憎まれ口を叩きながら、よく来てくれましたね、と呟いた。

 会話を交わすのは、それ以来だった。補佐を岡本に決めて、奥さんに電話をすると、何処にいたのか
1時間ほどで出てきた。
 呼び出した理由を説明して、直ちに秘書課長と3人で職員の人選を始めた。岡本は田村の意向を聞こうとも
しないで、まず、総務課の法規係長の青木を指名した。総務課の法規係長は省の全ての法令の第一次審査を
する立場で、このポストは事務次官への最初の登竜門でもあり、かつ青木は法規係長に就任して6ヶ月目に
しか過ぎなかった。しかも国会には青木が審査した法律改正案が掛かっていた。田村は、補佐の人選をする際の
先ほどの秘書課長の対応から、秘書課長が強硬に反対するだろうと思ったが、意外にもすぐに小さい声で、
良いだろう、と答えた。青木は28歳、緻密さでは若手ナンバーワンの令名高かったが、単なる省令の改正に
憲法論から始めるという評判でやや煙たがられていた。

次に指名したのが、37歳、経理課の予算係長堺谷だった。秘書課長の良いだろうという声が、少し大きくなった。
予算屋が何故必要なのか、というのが秘書課長が少し声を大きくした理由だろうと思った。田村も少し不思議に
思ったが、しかし堺谷は、財務省との予算折衝の際には、法律屋が思いも付かないような屁理屈を主張して、
しかも不思議なことにちゃんと予算を貰ってくる、という評判でもあった。

岡本は矢継ぎ早にその下につける一般職員として、経済職を二人指名し、もう一人に建設を専門とする若手の
技官を指名した。秘書課長は黙ってうなずいた。

 このあと、田村と岡本は秘書課の管理担当補佐のところに行った。どの部屋を使うのか聞く必要があった
からだ。管理担当補佐は留守で、秘書課長が親切に、何なの?と聞いてくれた。用向きを告げると、あー、
補佐は3階の南側の打ち合わせ室を用意しているようだよ、そう聞いているよ、と気軽そうに答えた。田村は、
あそこなら少なくとも日当たりは良いだろうな、と思った。
しかし、途端に岡本が大きな声を出した。匿名担当の庶務は秘書課でしょう、我々は消しゴム、鉛筆を貰いに
7階まで階段を駆け上がってくるんですか、大臣直属なのに大臣と同じ階じゃないんですか、秘書課の横に
会議室があるじゃないですか、そこを使わせてくださいよ、秘書課の会議室を3階にすればよいじゃないですか。

無礼な奴、と秘書課長は思った。そこですぐに、それでは秘書課の諸君が不自由だ、と言おうとしたが、
声を呑みこんだ。岡本の挑発に乗ってしまうことになるからだ。無理に笑顔を作ると、ウーン、そうだな、
やむを得ないな、と言って、了承した。部屋の変更は僕から補佐に言っとくから、と言いながら岡本を
補佐にしたのは失敗だったかなと思った。しかしすぐに、この人事は俺じゃない、官房長の人事だ、
と思い返した。

 少し飲みすぎかな、と思ったが、ビールをもう一本開け、君も飲めよ、とシモーニュを誘った。
そうね、今日はお祝いだから、とシモーニュも応じてきた。そうか、お祝いか、お祝いであって欲しい、
と切実に思った。田村は、大臣官房の幹部の不思議な対応に、少し戸惑いを感じ始めていたからだ。
 全ては明日の大臣の指示を聞いてからだ、それからだ、と再び自分に言い聞かせた。


 大臣の辞令交付が10時だというので、早めの9時頃に出勤した。その前に部屋を見ておこうと思い、
秘書課の横の会議室にいくと、そこはもう会議室ではなかった。会議用のテーブル、イスは片付けられ、
その代わり6個の机とイス、書類ロッカーなどが配置されていた。窓際のやや大きめの机には、
岡本がどっかと座っていた。田村を見ると、すぐに立ち上がり、やあ、おはようございます室長、・・・・
室長はまだ早いかな、と笑った。

 部屋の奥まった場所にパーテーションで区切られた一角があり、岡本がそこを指差した。入ってみると、
机と応接セットが置いてあった。これは、と少し気持ちがひるむのを感じた。このようなセットは、
各局の筆頭課長か、格の高い官房所属の課長に限られているからだ。他の課長連中から、室長の癖に
生意気な、という反発もあるだろう、と懸念した。 
気持ちを察したのか、岡本が、大臣直属ですよ、秘密事項もあるでしょう、と笑いながら言った。
電話は今日中に引けます、と付け加えた。

 昨晩、秘書課長との折衝で部屋が決まると、岡本は、今日はもう帰られたらどうですか、
早く帰れるのは今日ぐらいかもしれませんよ、と田村を送り出していた。その後、秘書課の若手を
督励して机やイス、応接セットなどを調達し、部屋作りをしたのに違いなかった。昨晩は恐らく此処に
泊ったのだろう。しかし、そんな素振りや疲れは微塵も見せず、爽やかな顔で、いよいよ始まりますね、
と声をかけてきた。
 
係長以下の若手が次々に出勤し、田村に挨拶した後岡本の指図でそれぞれの机に座っていった。
田村は、にこやかに挨拶を返しながら、次第に身震いするような気分になってきた。岡本を筆頭に
この6人で大臣特命事項を処理するのだ、それがなんであれ、きっと成功するだろう、
成功させなきゃならん、この6人の職員の為にも、という考えがフッと浮かんだ。
 
 暫くして、秘書課長が田村と岡本を呼んでいるという連絡が入り、行ってみると秘書課長が
にこやかな表情で待っていた。

改めて言う、君の辞令は今日10時に大臣から交付される、それ以下は君から交付してくれ、
辞令はそこにおいてあるから、岡本君が今預かっていってくれるか、といかにもやり手の秘書課長
らしく、ポンポンと、きびきびとした口調で言った。

田村はムッとした。なんということか。
岡本は昨晩徹夜している。他の職員も、任命日の前夜に内示を受けるという極めて異例な状況で、
それぞれ後任への事務引継ぎ等で大変に忙しい思いをし、かつ不満もあるだろうに、命令ならばと、
爽やかな顔で出勤してきている。
役人は辞令で動く、辞令で仕事をする、その辞令をそこに置いてあるから持って行けとは何事か。

職員の辞令交付は局長からというのが慣例じゃないですか、と口ごもりながら反論した。
そりゃそうだが、しかし、特命担当室は大臣直属だから交付する担当局長がいないんだよ、
秘書課長が少し強く言った。
ならば、大臣から直接交付してくださいよ、と田村が急に言い放った。田村は自分自身でも
びっくりした。こんな強いことを言ったのは、入省以来初めてだったからだ。
秘書課長の顔から笑顔が消えた。二人は無言で睨み合った。暫くして秘書課長が、判った、
としわがれ声で答えると、プイと横を向いた。

黙って回れ右すると、足早に秘書課を出た。部屋に戻ったときも、まだ胸の動悸が治まって
いなかった。秘書課長は歴代もそうだったが、特に現在の課長は決断力、行動力、部下の
指導・統御力、いずれも高い評価を受けていて、将来は必ず次官になるだろう、と衆目の
見るところが一致していた。そんな人に反抗するなんて、と田村も思いもかけない展開に
戸惑っていた。振り返ると、岡本が後ろを黙ってついてきていた。苦笑を向けると、
岡本が少し頭を下げて会釈したように見えた。

職員全員で秘書室に行き、一列に並んで大臣室に入った。大臣は既に立っていて,
傍に官房長が佇立し、少し離れて立っている秘書課長と管理担当補佐の傍で女子職員が辞令を
載せた朱塗りの盆を捧げ持って立っていた。
管理担当補佐が、
「田村兵衛門、産業経済大臣官房付き、産業経済大臣特命担当室長兼務を命ずる。」
と、読み上げた。
 大臣が、朱塗りの盆から辞令を取り上げ、進み出た田村に渡した。深々と一礼して両手で
恭しく受け取った田村に、大臣が、大変な仕事だけどよろしく、微笑みながら声をかけた。
岡本、青木と次々に辞令が交付され、辞令交付式はすぐに済んだ。一斉に退出しようとすると、
大臣が、担当室の職員は残ってくれ、電話を一本かけるので、座っててくれ、と言い残して
電話をかけるべく机に戻っていった。
大臣より前に座るのは恐れ多いという気持ちで、職員全員が応接セットの傍で立って
待っていると、手で早く座るように、と促した。大臣は何処かに電話して、昨日の礼を
言っているようだった。
その間に官房長や秘書課長等が退室して、大臣室は特命担当室の職員と大臣だけになった。
電話を終えて、大臣が、応接セットにやって来た。
しばらく、沈黙していた後、大臣がようやく口を開いた。
「日本では、これから、既存の産業は遅かれ速かれ衰退を始めるだろう、自動車もITも
先端産業も遅くとも今世紀中葉には、わが国では、壊滅しているだろう。それはわずか30年
ないし40年後だ。現在わが国は何で食っているか、自動車等の輸出産業だ、その金で
食っている、その産業が30年ないし40年後には消える。食えなくなるのはもっと早いだろう。
このままで行けば、我々の子や孫は路頭に迷う、アジアの最貧国に転落することも可能性として
大いにある。しかも、代わりの産業を育成する時間は、もうほとんど残されていない。
どうすればよいか、総理は大変心配しておられる。

私は、資源もなく、国土も狭い日本が生きていく道は、観光産業しかないと思っている。
諸君たちには、突然の職務で戸惑いもあろうかと思う、しかし、日本の未来のために
の育成だ。また、施策・政策を作ってもらうのではない、基本方針を作ってもらう。
しかもその産業は、現在世界をリードしている製造業に代わる新しい、大きな産業でなくては
ならん。チマチマしたことは考えなくていい。
また、観光産業が大きな産業になりえないのなら、そういう結論でいい。しかし、現在の
産業をつぶせば、観光産業が大きな産業になりうるのなら、遠慮なく産業をつぶす方策を
考えてほしい。
君たちが使える時間は最大一年だ。その間でなるべく早く結論を出してほしい。
君たちは、私の直属だ、君たちの動きはどんな小さなことでも、日常的に私に報告してほしい。
また私以外の誰にも報告してはならん。君たちの動きは誰にも悟られてはならんし、
経済産業省の人間にも知られてはならん、特に気をつけてほしい。
君たちの経歴は、すべて私の頭に入れた。最適の陣容だ。このことは総理にも報告してある、
君たちによろしくとのことだ。」

退出していく職員を見ながら、大臣はどっと疲れを感じた。
総理が言うように、本当に日本から製造業が消えるのだろうか、鉄も、造船も、電機も、繊維も、
製紙も、印刷も、今日本にある、ありとあらゆる製造業がもうすぐ消えてなくなるのだろうか、
そんなことが有りうるだろうか、消えてしまったら、そこで働いている膨大な労働者は
どうなるのだろうか。
関連企業だけでなく、工場周辺の飲食店などを初めとして、工場があることを前提に成り立って
いる中小企業や、教育産業等など、その膨大な関連産業はどうなるだろうか。
考えれば考えるほど、日本のあらゆる社会システムが、製造業の存在を前提としているように思えてくる。
製造業の消滅は、すなわち日本の消滅を意味しているようだ。
そんなことがありうるだろうか、日本は敗戦後も力強く製造業を中心として復興したではないか、
そのときになれば、日本国民は必死で製造業を支え、更なる発展をする力を持っているのでは
ないだろうか、総理は杞憂ではないのか。
しかしと、大臣は自分の心の中を探った。自分も製造業の前途に何か不安を感じていないか、
中国の台頭も消そうとしても消せない不安材料のひとつであるが、そんなことではなく、
何かもっと大きな何かが、製造業を脅かしているもっと大きな、とてつもない何かが密かに
日本国内に生じてきているような気がしていないか。
そうかもしれない、総理が本当かもしれない。
しかし、そうだとして、観光産業なんかで1億2千万の国民が食っていけるのだろうか。
食っていけるとしても、今辞令を渡したわずか7人の職員で、あるべき観光産業が育成できる
のだろうか、キャップの田村はひ弱そうだし、補佐は何を考えているのか分からないような曲者だし、
そのほかの職員も頼りない現代っ子のようだ。
しかし、と思った。経済産業省の幹部は、観光産業の育成という話に危険な兆候を感じて、
省としては、はぐれものばかりのチームを構成してきた。そんな彼らの嗅覚の良さに
改めてびっくりした。
だからこそいいのだ、この7人は。経済産業省や省が所管してきた製造業に、何の忠誠心もない、
だからいいのだ、彼らで出来なければ、誰にも出来ないだろう。最適の人選なのだ、
と再び自分に言い聞かせた。

部屋に帰ってくると、岡本が田村の応接セットに黙って腰を下ろした。田村もその向かいに座った。
腕組みをして顔を見合わせた。二人とも同じ理解をしていることを無言のうちに交換しあった。
二人とも、観光産業を育成するのに必要なら、邪魔する産業は潰せ、という大臣の言葉が重く
のしかかっていた。これは、いずれ製造業は潰れる、どうせ潰れるなら早く潰し、必要な資金、
力、資源、その他国力の総てを観光産業に回せ、そういうことがスムーズに出来る社会システムを
考えろ、と云う事であり、それは、とりもなおさず、製造業を中心としている経済産業省を
潰せるような方法を考案しろ、というのと同義なのだ。

田村はフランス留学の際修士号を取得した。そのことを東大の恩師に報告に行ったとき、
大学で助教授をする気はないか、その口はあるぞ、と声をかけてもらったことを思い出した。
恩師は田村は役人に向いていないと思っているな、と気づいた。

その後の役人生活を振り返ると、必ずしも当たっていないことはなかった。同期の者が係長や
課長補佐として多忙な日常を過ごしているときに国際機関や大使館出向が多かった。行政指導とは、
時にはありもしない利点をさもあるようにちらつかせ、納得しなければ凄みを利かし、脅しと強制で
誘導していく、そのようなものなのだ。
争いごとが嫌いな田村にとって、外国勤務は行政を担当しなくて済む点で、好都合だったのである。

今でもあの勧誘は有効なのだろうか、とチラッと思った。しかしその考えはすぐに打ち消した。
有効であろうとなかろうと、今そのようなことを考えること自体が、これからの人生を賭けて仕事を
しようとしている岡本以下の6人の職員にとっては、許すべからざる裏切り行為に見えるだろう、
と思った。指揮官自らが敵前逃亡を図っている、ということになるからだ。
退路はないのだ、と自分自身に強く言い聞かせた。

 金が要りますねえ、と言って堺谷が入ってきた。
大臣のお話では秘書課にも分からないような行動をしなければなりませんが、秘書課の金を使うんじゃ、
筒抜けになりますよ。そこで、相談なんですが、石油特会を使いましょうか。石油及びエネルギー
需給構造高度化対策特別会計ですがね、これは、エネルギー使用の合理化のための施策にも
使えるんですよ。製造業から観光産業へ、究極の合理化対策ですよね、とシレッとして言った。
そうも言えるが、そもそも予算を回してくれるかな、回したとしても結局秘書課を通じるのだろう、
じゃあ一緒じゃないか。岡本が答えた。
くれるかどうかは話してみないと分かりませんが、これを使っている産業技術環境局の担当は
よく知っているし、それにどう考えても秘書課で使える金ではないですから、経理課を通じて向こうで
処理してもらうと言うことになるでしょう。経理課の担当は私の後任ですから、問題ありません。
産業技術環境局の方から秘書課に漏れないかなあ、漏れると返って厄介だけど。と田村が心配そうに聞いた。
書類を見るのは口の堅い予算屋だけです。それにこの金は方々で使われていますから誰も気づきませんよ。
金は分散して調達すると、真の目的はなかなか分からないものです、およそ情報はみんなそういう
ものでしょう。大っぴらに公表したって、分散してばらばらに発表したら、それを統合しようとする
知恵者が出ない限り、情報の真の意味は誰も気づきません、金はとくにそうです。それに、秘書課に
分かったって、私がいますからね、予算屋同士で融通しあっているな、と思うぐらいが関の山です。
しかし岡本さん、分からないに越したことはないから、カモフラージュに秘書課に金は遠慮なく
要求してくださいよ、その分は経理課に話して秘書課の通常経費に上乗せして、担当室分と付記させて
余分に配分するように言っておきますから、出るはずです、頼みますよ。
岡本と堺谷が顔を見合わせて、にんまりと笑った。