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           観光立国日本 (第三回)                   
                           
                                 イマジン


              

(4)800兆円の借金(国債)は怖くない

田村ら4人が横浜に行った翌朝、山本が奥津名誉教授の考え方をペーパーにまとめて、室員全員に配り、
堺ら3人に説明していた。それを聞きながら、青木が
「しかし、アメリカが借金を返さなくていいというのは、どうも理解できん。本当かなあ。奥津先生、
ボケてきたのじゃないかな。」と呟いた。
山本が、「そうですよね、ここのところが、どうももう一つ、説得力がないですねえ」と同意した。
他の者も、そうだなあ、という顔をした。

すると堺が、「ええ、俺はここが一番説得力があるよ、これはあたり前の事だよ。」とビックリしたような
声を上げ、「日本の国債だってそうじゃないか、日本の国債と同じだよ」と続けた。
意外な事を聞いて、「国債は政府の借金なんだから、いずれ返さなくてはならんでしょう、当然じゃ
ないですか」と堺の下にいる藤下が反論し、全員が、そうだ、そうだという顔をした。
「経済職の山本君らもそう思っているのか、そうか、判った。君達は全く金融・財政制度を理解していないな」
と、堺が座りなおし、
「しからば、これから金融・財政制度の初歩について、諸君らに我輩が講義してやろう。」
と、声を少し大きくして宣言するように言った。
 打ち合わせをしていた田村と岡本も、なんか面白い事が始まったな、とパーテーションの中から出てきた。
藤下が、田村の顔を見て慌てて自分の椅子を田村に譲り、自分は折りたたみ椅子に席を取った。

「いやいや、わが室の大幹部お二方もお聞きいただけるんですか、誠に光栄ですねえ。」
と、堺がふざけて言った。
「それでは一つ、堺教授、ご高説をお願いしますよ。」
と、青木が促した。

「それじゃあ、まず、初歩の初歩、お金のことから説明しよう。日銀券が無いと日常生活がすごく不自由だ
ということはわかるな? だから政府は、どうしても日銀券を市場に流通させたい。これは政府の基礎的な
義務だ。
ところで、諸君らは、日銀券がどのような方法で諸君らの手にあるのか、知っているだろうね。」
山本が
「日本銀行が刷って、市中銀行に渡し、その銀行から、我々の手に入るんですよ」
と、すぐ反応した。
「バカ、あたり前じゃないか、そんな事は。聞いているのは、日銀がどんなやり方で市中銀行に日銀券を
渡しているか、ということだよ。考えられる方法は二つしかない。
くれてやるか、貸すか、だ。
くれてやるのが一番簡単だが、不公平きわまるだろう。不公平を考えなくていい国家体制では、現に
くれてやってんだけどな。日本じゃあ無理だ。
貸したら、いずれ返される。そうしたら、市場から日銀券がなくなる。そうしたら又、日銀券を市場に
流通させる方法を考えなければならん。
どうだ、どんな方法だと思う?」
皆首をかしげた。生まれる前から日銀券は世の中に出回っている。太陽が東から出て、西に沈む、と同じ
ことで疑問に思った事がないからだ。太陽のことは理科の授業で習うが、日銀券のことは授業に出てこない。

「フーム、これじゃあ、正真正銘全くの初歩から説明しなくちゃならんなあ。諸君らは幼稚園生なみだ。」
と、堺が大袈裟にため息をついた。
「それじゃあ、簡単な例え話で説明しよう。
ある離れ島に、新しい国家が生まれたとする。
ここは国民が10人ぐらいしかいない。何人でも良いのだが、判りやすくしよう。
この10人の住人は、それぞれ職業を持っており、しかもそれぞれ離れて住んでいる。一人は漁業、一人は
米作り、一人は野菜作り、一人は衣類作り・・・、面倒だな、とにかく別々の生活必需品をそれぞれが
作っておる。勿論、新しい国なのでお金、お札はない。おい、山本君、お金がない国では、どうやって
欲しい物を手に入れるんだ?」
「物々交換でしょう、幼稚園生だって、そのくらいは知っていますよ。」と山本が苦笑いしながら答えた。

「そうか、悪いわるい。じゃあ、物々交換の話だ。
ある日、漁師が魚を取ってくる、彼はその魚で野菜を手に入れたい、しかし、野菜を作っている者は衣類が
欲しい、衣類を作る者は米がほしい、とする。すると漁師は、まず米と交換し、その米を衣類と交換し、
その衣類を持って行って、ようやく野菜と交換できる。
コラっ、杉山、ちゃんと聞け。今一番大事なことを言っておるんだ。今言っておることが、どんな大事な
事か、後でわかる。」

経済職の杉山が、あまりにもあたり前の事を、堺がくどくどと説明するので、退屈して、資料を読み
出したからだ。
すると杉山が「ヘイ、へイ」と答え、「ケッ、なんという奴だ」と堺が岡本の口癖を真似した。

「米を作る者が、その米で来年使う鍬がほしいとすると、物々交換が成立せず、全員が欲しいものは手に
入らない。折角の魚は腐れ、それぞれの住民が作る製品も役に立たない事になる。大変困った事になる。
では、どうすればいいか。解決方法がひとつある。物々交換の場合も、すべてのものと交換できる物が
あれば、いいんだ。まずそれと交換しておけば、次に自分が本当に欲しいものと交換できることになる

すべてのものと交換できるものは、大昔の中国は貝だった。どうも子安貝だったらしい。この子安貝を、
ニューギニア奥地の石器人は、昭和50年代までお金として使っていたようだ。
子安貝を使うというのは、実は大変進歩した方法なんだ。
日本や、欧米ではすべてのものと交換できるものは、金や銀だった。金や銀は貴重で、物自体の価値が
誰にも認められているので、総てのものと交換できる存在となっていたんだ。江戸時代は米も
そうだったな、だから、大名や侍の収入は米の量で表示されていた。
これに対し、子安貝は、そのものとしては何の価値もない。純粋にすべての物と交換できるという
全員の確信だけに支えられただけのものだった。

日本では、明治時代になっても、基本的には全員の確信に支えられただけの物はなかった。つまり、
お札は金・ゴールドと交換できるという理由で、流通していたんだ。ドルにいたってはニクソンが
金交換を停止するまでそうだった。日本では「円」という日本銀行券、アメリカではドルという紙幣に、
すべての物と交換できる物という確信が生まれたのは、中国やニューギニア奥地の石器人に比べると
ごく最近だといっていいだろう。つまり、子安貝のように、すべての物と交換できるという全員の
確信があれば、それは何でもいいんだ。
だから単なる紙切れでもいいんだ。円やドルなども単なる紙切れだ。

ここで俺が言いたいことは、紙幣、すなわちお金というものは、すべての物と交換できるという
確信があればいいということと、物々交換の不便を避けるために考案された単なる道具、手段であって、
それ自体には何の価値もない、ということだ。
そしてもうひとつは、物々交換というのは大変不自由だから、取引には総てのものと交換できる物が
必ずなければならんということだ。
この三つは、大変重要なことだから、覚えてくれよ。

総てのものと交換できる物は、単にみんなの確信があればいいわけだから、この新しい国ではみんなで
集まって、そう約束をすればいいということになる。また何でもいいわけだから、紙切れにする。
つまり紙幣だ。物々交換で物と物との交換の比率は、それまでの慣習で概ね決まっているわけだから、
例えば紙幣一枚で魚は2匹、と決めれば、後は自動的に交換比率は決まることとなる。
これで、めでたしめでたしだな? 山本君?」

「何も解決していないじゃないですか、紙幣を最初に誰がどの程度、持つかという、最も大事な事が
決まっていません。それに誰が紙幣の管理をするかということも大事じゃないでしょうか。」
「そうだ、アタリ。
まず、紙幣の管理をする者、これは頑固一徹で不正をしない者であれば誰でもいいので、漁や米作り
などに熟練した技術をもたず、かろうじて紙幣を作る能力しかない者が選ばれるだろうな。」
「ひょっとしたら、堺谷さんは、紙幣の管理者に恨みがあるんじゃないですか、日銀ですけどね」
と、山本がからかった。

「馬鹿いえ、日銀なんて、こんなもんで十分さ。それがいつの間にか、自分が一番偉いと思うように
なってやがる。思い上がりも甚だしいよ。
それはさておき、さて最初の紙幣の分配だ。
繰り返し言っているように、紙幣は自分の物を提供して、その交換に受け取るものだよな。
最初に受け取る場合も、まず自分の物を提供してその代わりに受け取れば、何の問題もないが、
最初の紙幣を持っている者は、紙幣の管理者だから、紙幣を受け取りたい者から、彼が提供する物、
例えば魚なんか受け取っても処理に困る。だから、何かの交換に紙幣を渡すというのは不可能なんだ。
また、紙幣の管理者にとって、紙幣は自分の物ではないし、かつ、彼が紙幣を提供するのは、
生産物の取引の道具を提供するためのものだから、誰がどれだけ、どんな経緯で持とうと関心はない。
とにかくみんなに持ってもらえばいいんだ。

一番簡単なことは、無差別にくれてやることだな。
しかし、無差別に、欲しいだけくれてやるとすると、それをもらった者は働かないで、その紙幣で
暮らそうとするだろう。そうすると生産品が足りなくなって、みんなが困る。ついには目的とした
取引にも害が生じる。
また少な過ぎても、当然取引に支障が生じる。そこで、紙幣の量を取引に見合うように多過ぎもせず、
少な過ぎもしない範囲で決めなければならん。これが、紙幣管理者のもう一つの職務だな。

そこで、紙幣の管理をする者が紙幣の量を決め、無料で、平等に、全員に、同じ枚数だけ配ると
提案する。
すると必ず争いとなるな。この平等というのが曲者だ。俺はあいつよりは能力が高いし、
しかも毎日これだけの苦労をして、これこれの価値のある製品を作っているのだから、あいつよりは
多くなくてはならんという奴が必ず出てくる。結果として、全員が反対するだろう。何しろ紙幣は
何にでも交換できるのだから、無料で配られた紙幣は、労せずして貴重な製品を手に入れられるからだ。

次に、それでは、それぞれに、それぞれが一年あるいは一定の月数で生み出す製品の、その期間分の
紙幣を、無料で分配することとする、これなら、その人の能力や努力に応じることになるし、
不満はないだろうと説得する。
これには、その期間の生産量がそもそも真実かどうか、争いになるし、その期間、不心得の者は
遊んで暮らすのではないか、と皆が疑心暗鬼になる。

これは無料というのが悪いのだ、という事に皆が気付く。
そこで、次に、それぞれの住民が持っている製品、財産を担保にして紙幣を管理する者が貸すことに
したらどうだ、と提案する。
現に持っている財産や、製品は過去の本人の努力・能力の結果であるし、返さなければ、その製品や
財産を取り上げる事にすると、紙幣の無駄遣いはしないだろう。そうすると、それぞれの能力と
努力に応じて紙幣を使う事となり、実質的な平等ではないか、と説得する。
多分、これで決まるだろう、他に方法がないからな。」

「しかし、それじゃあ、管理するものが大変ですねえ。」と山本が説明を促した。

「勿論、管理するものは、手数料を取るんだ。管理の費用や、印刷代としてな。ここが、管理する者の
ずるがしこい所だが、併せて、財産などを強制的に取り上げる権限や、紙幣の受け取りを拒否したり
するような奴を処罰する権限も要求するだろう。
即ち、公務員と政府の発足だ。
更に、財産を取り上げる等の費用を、それぞれの紙幣の使用状況に応じて、各人が出すよう要求をする。
即ち税金の始まりだ。」

少し真面目になった杉山が質問した。
「それじゃ、手数料やら、税金で住人の生活は前より悪くなりますね。」

「そこだよ、先程くどくど説明した理由は。
物々交換は、交換のために大変な手間・暇がいるし、場合によっては折角の製品が無駄になる。
紙幣を使用すると、それが無い。その時間、本来の生産に従事することができる。即ち大幅に生産性が
上がるから、手数料や、費用を払ってもまだ有利で、その分住民が豊かになる。」

山本が、笑いながら、「要するに貸すということですか、まさに、羊頭を掲げて狗肉を売るような
講義でしたネエ」と、堺をからかった。

「何を云う、これからが本論だ。
紙幣は借りたものだから、いつか返さなくてはならんと諸君は思うだろう、ここがポイントだ。
若し住人が返したらどうなる? その分市場からお札が少なくなって住民から不満が出ないか?
すると、管理する者は、又何とかして誰かに貸さなければならん。余計な手間隙じゃないか。
紙幣は生産物の取引を円滑にする為に、住人の利便に供する為に貸したんだ。本当はくれてやっても
いいんだ。管理する者は、返して欲しくないんだよ。

また、豊かになったら、子供が増え、人口が拡大する。人口が拡大したら、拡大した分だけ従来の
製品の取引も増える。また、頭の良いのが質の良い製品を作って価格の高いものや、新しい製品が
出来てきて、生産品が量的にも質的にも種類的にも増加する。
そうすると、取引が増えるだろう。その増えた取引に応じる新しい紙幣が必要となる。そこで紙幣を
管理する者は、もう政府だな、政府はその取引を円滑にする為に新しく紙幣を市場に出す必要が生じる。
そんな状態の時に、政府が紙幣を返せというか?
政府は、折角出した紙幣は、返して欲しくないんだよ。」


「チョット、堺教授、議論が反対方向じゃありませんか、確か、政府が借りた金を返さなくていい
理論を御講義賜るはずじゃないですか、国民に貸した金の問題じゃなく、国民から借りた金の
事ですよ」
と青木が、注文をつけた。

「わかっとる。黙って聞け。
政府は、紙幣を返して欲しくないんだ。しかし、産業の生産性が上がり、国民が豊かになっていくと、
その紙幣が、特定の所に集まるようになる。特定の所に集まっても、市場経済の下ではやむをえない
ことだな。誰でも、必要以上に集まった紙幣は将来のために貯めておくし、積極的に投資したい人も、
儲かる先が見つからないと、貯めておく。
ところが、一方では、その紙幣は取引のために市場に提供したものだから、市場のどこかで、それが
必要なんだな。政府が、市場の何処かで必要だからということで、新たにその分の紙幣を発行したら
どうなるか、万が一、退蔵されていたものがどっと市場に出てきたら、取引の規模以上に紙幣が
市場に存在する事になって、金融秩序を乱す事になる。マアこれは大した事はないけどな。しかし、
そんな恐れが無いに越したことはない。

貯めてある紙幣は、決して利益を生まない。じゃあ、確実に将来紙幣に変わる保障があって、しかも
少しでも利益が生まれるということであれば、貯められている紙幣も世の中に出てきて、市場も
助かり、政府も新たな紙幣を発行する手間隙や危険を負担しなくて済む。
そういう仕組みがあれば便利だよな。人間は賢いからすぐに考え付く。それが国債なんだよ。
つまり国債は、貯められた紙幣の代わりのものと考えていい。むしろ、利子のつく紙幣だよ。
どうだ、持っているだけで利子の付くお札があれば、皆それを持ちたいと思わないか。

さて、政府は国債を発行して、紙幣を集めた。これは直ちに市場に出さなければならん。
どうするか。
配ればいいんだ。出来たらただで。荒唐無稽な事を言っていると思うだろう。」
すぐに、岡本が反応した。
「いや、ケインズもそういっていますね。」

「マア、ただで配るのは最初に議論したように不公平が生じるから止めにして、欲しい奴に貸す、
ということと、自分で使う、ということの二つがある。即ち、財政投融資と公共事業だな。これは、
市場に紙幣を出すという目的に加えて、更に世の中の為になっているわけだから、
立派な使い道だよな。」

「堺さんは財務省と国土交通省の回し者じゃないか。しかし、使い道がいいからといって、
返さなくていい理由にはなりませんな」
と青木が茶々を入れた。

「俺は返さなくていいとは言っていない。いや言ったかな。つまり、いいたいことは、返して
欲しい者がいたら、返したらいいし、欲しくなかったらそのままにしていればいいという事だよ。
どちらにしても、国の財政には殆ど影響が無いということだよ。

どういうことかというと、さっき言ったろう? 国債は利子の付く紙幣だって。利子の付く紙幣を、
利子の付かない紙幣に替えようという奇特な人には、そうしてやればいいってことだよ。」
杉山が不思議そうに質問した。
「現在ある800兆円の国債の総てを返せといわれたら、困るじゃないですか、返さなければ
ならない金をどうするんですか?国の歳入は40兆円ぐらいしかないんですよ」

堺が、わからない奴だなアという顔をしつつ、答えた。
「さっきからいっているだろう。国債を借金だと思うから間違うんだよ。国債は紙幣なんだよ。
だから代わりの紙幣を刷って交換すりゃいいんだよ。同じじゃないか、しかも利子をつけなくて
いいから、その分政府は気が楽になる。
そうじゃなかったら、今頃財務省の事務次官は、心配で心配で首を吊っているよ。何の心配も
していない。その証拠に、今日当たり天候がいいから、休んでゴルフに行っているかも
しれないなあ。」と嘯いた。

杉山が納得せず、さらに追及してきた。
「しかし、返す紙幣はどうやって調達するんです。そんな膨大な紙幣を貸す人は
居ないでしょう。」
堺が呆れ顔で答えた。
「君は本当に経済職か?返す紙幣は日銀から調達するのさ。日銀は喜んで提供するよ。
どこかで日銀券が必要になったら、その日銀券を供給するのが紙幣の管理者としての日銀の義務
じゃないか。そのため、日銀は、市中銀行に金を貸す形で、毎日、日銀券を市場に
供給しているんだよ。
その日銀券の供給を、市中銀行でなく、政府が国債の償還という形でしてやろうというんだ。
提供するに決まっているし、提供するのが日銀の義務だよ。」

杉山が更に食い下がってきた。
「日銀から調達するといっても、結局それは日銀から借りることでしょう? 日銀に払う利子は
どうするんです?元金800兆円の利子ですよ。歳入は40兆円ほどしかないんですよ。3%の利子でも
24兆円です。払えるわけないじゃないですか」

「勿論日銀が要求する利子は、国庫から、ちゃんと耳をそろえて払う。しかし、その利子は日銀の
剰余金になるというのは知っているな。日銀の剰余金はどうなるか?国庫に入るんだよ。つまり、
政府の国庫から出て、政府の国庫に帰ってくる。帳簿上の付け替えだけだ。心配要らん。
国債をそのまましておくと、利子は国民の手に渡って、帰ってこない。日銀だったら帰ってくる
から、むしろ財政的にはいいじゃないか。」

「しかし、市場に膨大な日銀券が出回って、一挙に超インフレになりませんか、そうなったら
政府も国民も困るんじゃあないですか。」
「いいか、金を返せという理由は、リスクがあっても国民が次の投資先や使い道を見つけた
という事だろう。それはつまり、そこにそれだけの新しい特別の資金需要があるからなんだよ。
必要な所に必要な金が行く、結構な事じゃじゃないか、そうでなければ経済は崩壊する。
国債を持ってなければ、せっかくの儲け話だから、国民は金を借りても投資する。
たまたま国債を持っているからそれを使おうか、というだけだよ。

それに元々、800兆円は財投や公共工事で使っているじゃないか、これを使ってインフレに
なったか?デフレで苦労したんじゃないか?経済の判らない役人共が訳のわからないところに
使ったんだよ。それでもインフレにならない。国民がそれぞれの知恵で、最もいいと思う所、
最も必要な所に使う。それで、超インフレになるわけがないじゃないか。

それに、君は今、800兆円の日銀券が一斉に市場に出ることをイメージしていないか。
それは間違いだよ。国が800兆円を国民に返すのはどうするか。トラックに紙幣を積んでは
運ぶんじゃない。政府の口座から国民の口座に数字を振り込むんだ。数字を振り込まれた
国民がそれを使う。どうするか、支払先の口座に振り込む。延々とこれが繰り返されるのさ。
しかも、そこで所得や利益が出たとする、そうすると、その一部は税金として国庫にもどる。
残りは投資先がなければ貯められて、国債を買って国庫に戻る。
紙幣が必要になるのは、直接現金を手渡さなければならない、けちな取引だけさ。」

それでも諦められないような顔をして、杉山が質問した。
「しかし、第一次世界大戦後のドイツが、国民がパンを買うのに荷車に金を積んで
いかなければならないほど超インフレになったのは、戦時国債の償還が引き金になったと
いわれていませんか?」
「それはそうかもしれんが、そうであったとしても、それは単なる引き金さ。それが
なくてもなってるよ。それにな、荷車に積まなければならないほどの紙幣が出回ったから、
そうなったのではなく、超インフレになったから、政府が国民の取引の為に必死で紙幣を
供給したのさ。その結果が荷車で、荷車が超インフレの原因じゃない。原因と結果を
混同しているんだよ。
若し、紙幣の過剰な供給が超インフレの原因なら、紙幣を回収するだけで治まるじゃ
ないか。こんな簡単な事はないよ。」

「じゃ、何故超インフレが時として起こるんです。」と杉山が更に問いかけた。
「それは判らん。判っていることは、国民がそうなると思ったら、そうなり、
そうならないと思ったら、そうならないようだ。何故国民がそう思うのか、それは判って
いない。俺なりの仮説はあるけどね。少なくとも、国債の償還から超インフレに
なることはないな。」
ウーンと唸りながら、半信半疑の杉山が、あきらめきれないという風情で云った。
「しかし、日銀が800兆円を返せといったらどうします。」
「馬鹿、お前は今まで何を聞いていたんだ。俺が、新しく生まれた国の紙幣発行のやり方
を縷々説明したのは、紙幣管理者すなわち日銀が決して返せとは云わない、ということを
説明するためじゃないか。」とついに堺が激した。

それまで黙っていた岡本が、急に真面目な声で質問した。
「堺君が言っているのは、アメリカはドルの管理者、世界の通貨管理者になっている
という事だな」
「そうです。通貨管理者が紙幣を配る最も容易なやり方は,その紙幣で生産品を買うことだ
といいましたね。
あの例では通貨管理者はその買い込んだ生産品が、通貨管理者にとっては何の価値もなく、
始末に困るからそうしないのだと言いました。
ところが、通貨管理者たるアメリカは違うんです。買い込んだ生産品は充分に使えるんです。
むしろアメリカ人にとって必要なものです。だから、アメリカは世界の生産品を買い込んで
いるんです。
奥津先生は、ドル紙幣を印刷業の製品と表現し、それを輸出していると仰っておられます。
同じことなんです。
つまり、ドルが世界の通貨となればなるほど、世界中でドル紙幣が必要になります。
したがって、世界はドル紙幣をそういう形でアメリカから供給してもらわなければならないし、
又通貨管理者たるアメリカはそうしなければならないんです。
今アメリカの貿易収支は膨大な赤字となっています。しかしこれは赤字じゃないのです。
貿易収支はドルで表現しますから、輸出したドルの代金で製品を買っても、輸出したドルは、
貿易収支上輸出品に計上されない。その分が赤字になっているのです。
若しアメリカの貿易収支が黒字になったら、世界はドル不足で大いに困るでしょう。」

「それじゃアメリカはドルを垂れ流して、自分たちだけが豊かに成るんじゃないのか、
こんなけしからんことが許されていいのか?」
「アメリカは世界の政府だし、国民は国際公務員なんですよ、その報酬を受け取るのは
当然じゃないですか。今人口は2億8千万人です、世界は65億人ですから4.3%です。
日本には公務員は約400万、人口が1.2億人ですから3.3%、大して違わないじゃないですか、
いやかなり多いかな。
しかし、アメリカ人は全部が赤字国債や貿易収支の赤字で生活しているんじゃないですよ。
農業生産は輸出国だし、車や鉄鋼、その他工業生産品を輸出しているんじゃないですか。
彼らは明治時代の北海道の屯田兵みたいなものですよ。日ごろは汗して働き、いざ鎌倉、
いや、いざワシントンですかね、そのときは、鍬を捨て銃を握って世界のどこにでも行き、
秩序を維持しているんです。
しかも、アメリカは、少数民族を多く抱えています。テレビだって、中国語、韓国語、
スペイン語などの専門の局があるんですよ。世界中の国のどこに自分たちの国語以外の
専門テレビ局を許している国がありますか。
大統領は4年ごとに選挙を経て、最大8年間しか出来ないように制度的に定められています。
決して独裁者が出ないように設計された国なんです。
イラク進攻だって、国民が血を流して占領したイラクからいつ撤退するのか、議会が
ぎゃあぎゃあ騒いでいる国なんですよ。通貨管理者としてアメリカ以外にふさわしい国が
外にありますか? EC?イギリス?中国?嫌ですねえ。日本?おう、嫌だ、嫌だ、
身の毛がよだちますね。」
堺は肩をすくめて、ぶるぶると体を震わせるまねをした。
「私はね、今この世にアメリカという国があり、その国が世界の警察を勤め、通貨管理者
であることを神に感謝しています。ハッ、ハッ、大袈裟でしたかね。
それに、ドルの垂れ流しとおっしゃいましたがね、ドルを供給しなければ世界経済が
困るじゃないですか。」

「アメリカの国債も、日本の国債と同様に、偏在しているために余っているように見える
ドルが、アメリカに還流しているだけで、どんなに溜まっても何の問題もないという事か?」
「やっと判ってきましたね、しかし、こんな事は財政担当者にとっては、ヒヨッコでも知って
いる初歩の初歩ですよ。こんな程度のことを、幹部が大挙して横浜まで聴きに行くなんて、
我が特命担当室の将来は危ういですねえ。」
「ケッ」
「念のために、もう一つ付け加えると、通貨と言うのは何でも構わないのですが、しかし
なるべく一種類であったほうがはるかに便利だし、しかも一旦決まると、未来永劫に亘って
それで無いと困るんです。
ということは、今ドルが国際通貨になりつつありますが、そうなら早くドルだけが世界通貨に
なって、しかも未来永劫ドルだけが通貨であって欲しいというのが、国籍を問わず世界を
相手にしている企業の希望なんです。
つまり、ドルがここまで来たら、早くそうなるのが世界経済にとって望ましいし、そうなって
もらわなければならないのです。
だから、日本は、そういうドル支配の中で、ドル支配を前提に、国内の産業のあり方を考える他は
ないのです。通貨の普及は生産性を向上させると説明したでしょう。それで良いんですよ。」


(5)日本文化は女の文化

筑波山の麓にある寂れた町の通りを歩いていくと、土蔵造りの古い店があった。醤油と味噌の
醸造元でもあるらしい。
店に入ると、小太りの御かみさんらしい女性が出てきて、奥まった座敷に案内してくれた。
店の裏は、味噌、醤油を細々と売るような構えからは、想像もつかないような、奥行きの広さだった。
床の間には、隅に野菊を挿した古伊万里らしいものがひっそりと置いてあり、正面には天照大神の
字を大きく墨書した掛け軸がかかっていた。
近くに味噌蔵があるらしく、匂いがほのかに漂っていた。

襖がスーっと開いた。
坊主頭で濃紺のスーツを来た筋骨たくましい50年配の男が静々と盆を抱えて入ってきた。
どぎまぎしている田村らに無言でお茶の配膳を終えると、その男は深々と一礼してすぐに部屋を
出て行った。3人は少しほっとした。

程なくして、和服をだらしなく着た、90歳を超えた痩身の老人が、先ほどの坊主頭の男に付き
添われて入ってくると、床の間を背にどっかと座った。坊主頭の男は、部屋の隅に正座して、
膝に視線を落として静まり返った。
老人が唇に少し微笑を浮かべて、あっけに取られているような風情の田村を、
からかうように眺めていた。

 田村が少し慌てて、「東大の大山先生からご紹介をしていただいた経済産業省の田村で
ございます。こちらは補佐の・・・」
といいかけると、それをさえぎって
「岡本君だろう、それに青木君だな、大山もなかなか正確に風貌を伝える能力を
持っているらしい。」
と3人をからかった。

「青木君も大山の弟子なのか?」と青木係長に顔を向けた。

物怖じしない青木は、「私は東大ではなく、その他です。」と応えた。
エッ、というような顔をした老人に青木が畳み掛けた。
「私が入省した際、秘書課で作った一覧表を見ると、東大○○人、京大○○人と有名大学
ごとに記載があるのですが、私の出身大学名はないのです。不思議に思って聞いてみると、
その他の欄だよといわれました。地方の駅弁大学だったのでその他○○人と一括して
記載されたんです。爾来、私は、その他出身ということにしています。」
と平然と応えた。

老人が「ホッ、ホッ、いやいや、愉快な奴だな、田村君は人を見る目があるな」と破顔した。
「イエ、この人事は岡本さんです」と田村が真面目に答えると、またまた笑って
「上から下まで、なかなか面白いチームだな」と応じた。

「岡本君と云ったな、君はモスクワの大使館にいたそうだが、ロシア人をどう思うかね?」
と老人が岡本を見た。
「大嫌いです。」
「ほう?」
「ソ連時代は共産党で、今はマフィアが支配しています。いずれも集団です。彼らは集団の
倫理だけで個性を持っていません。誰もが、個性を捨てて集団に属そうと四苦八苦しています。
私は集団は嫌いだし、自分の個性を尊重しない人間も嫌いなんです。こういう人間、
集団は倫理観が狂っています。」

「そうか、嫌いだと言う点では全く同感だ。倫理観が狂っているという点もその通りだ。
彼らは国際間の約束事も守らない。ソ連の昭和20年の満州進攻も、日ソ中立条約違反だ。
サンフランシスコ条約で日本は千島列島、南樺太を放棄したが、放棄したのは条約調印国に向けて
放棄したのであって、今も調印していないロシアに対しては放棄の効果は生じていない。
彼らは、違法な戦争をして、平気で占有しているのみならず、千島列島にも属さない北方4島
をこれまた違法に占拠している。
国際法上、可笑しな事だと云うのは、田村君、間違いないな?」
田村は小さく頷いた。

 「日本政府も日本政府だ。 昭和50年代までは、国土地理院の地図は千島列島、南樺太は
白抜きにして、所属国は不明の扱いだった。当然のことじゃ。しかし今や、ロシアの
領土と表示している。
そのうえ、平成10年には、サハリンに日本の領事館すら置きよった。国際法上は所属不明で
あるのに、領事館を置いてロシアの領土と認めてしまっておる
 こんな大事なことを、外務省の一部局が、単なる役人どもが、勝手にきめる。
君達には悪いが、わしはナ、もう日本の役人は駄目だと思っておる。自分達の判断でやって
いいこと、いけないことの限界すら心得ておらん。」

田村の額にうっすらと汗が滲み出てきた。
岡本が、老人の質問に答えた後、ハンカチを出して額を拭いていたことを、思い出した。
既に、岡本はその時気付いていたのだ。
この老人は、前もって岡本の経歴も青木の風貌も知っていた。この前大山教授の所に挨拶に
いった際、岡本は同行させた。しかし、経歴は何も紹介しなかった。単に補佐だと言うこと
しか云っていない。青木に至っては、教授は会ってさえいない。教授が伝えられる筈がない。
青木の風貌や岡本の経歴は別のどこからかの情報なのだ。
しかも、この老人はのっけから、田村が二人を紹介しようとしたことを遮りまでして、
既に知っていることを明言した。

大山教授の電話も奇妙だった。突如電話してきて、君の役に立ちそうだから話を聞きに
行ったらどうかというのである。経歴を聞くとよく知らないといいながら、大変力のある人
だから会って損は無いだろうとも言う。恩師が妙に強く言うので、じゃあそうしますと
答えると、今日の時間を指定した。承知すると、電話を通してもほっとしている様子が、
ありありと窺えた。

いやしくも東大の教授であり、しかも国際法の碩学として令名の高い、その大山教授を、
この老人は、呼び捨てにしている。単に高齢で天衣無縫になったからではないのだ。
この老人は我々に知らせたいのだ。大山教授に指示して呼び寄せたのだと。
外務省の事を言いながら、田村たちに、自らの分際をよく知り、過ちがないよう心して
仕事をしろと注意をしているのだ。
いや、これは警告かもしれない。

「昭和20年8月9日午前零時、ソ連が満州に侵攻してきた時、わしは大連にいた。
大連で、社員が10人ぐらいの小さな出版会社をやっておった。仕事柄、
ソ連が侵攻してくることは薄々知っておった。」
青木が身じろぎをして、「何故単なる小さな出版会社がそんなことを」と聞きそうに
なったが、田村が青木の膝を手で叩き、質問しないように合図をした。こういう人は
決して無駄なことは言わない、どんな小さなことでも、言う必要が有って言っている。
しかし、質問してはならないのである。

「そこで、侵攻の10日ほど前、社員全員に日本に帰るように命じた。しかし誰も
帰らなかった。わしと一緒にいたいといいおった。
それに比べ、関東軍の高級将校どもは、屑が多かった。軍用機で家族と家財道具を
日本に送りよった。酷いのになると、東京出張と称して、日本に帰ってしまった。
ソ連軍の侵攻が目前の時にだ。
真っ先に逃げ出すような指揮官がいる軍隊なんて、はなから民間人なんか心配しない
のだな。満州一円に住んでいる開拓民などが、みるも悲惨な目にあった。
ソ連軍侵攻の報を聞いて、わしは、社員一同に直ちに帰国するように、と言い渡した。
何しろ、ソ連軍諜報部が、わしを追ってくる恐れがあるからだ。わしと一緒にいれば、
余計な迷惑がかかると。
わしは、妻と長男と娘、身の回りの世話をしてくれていた中国人のチャン、そして
この男の父親を連れて大連を脱出した。」
隅にかしこまる男をアゴでしゃくった。

「父親はロシア皇帝・ツアーの近衛師団の将校だった。革命後、満州に逃げてきておった。
わし以上にソ連軍につかまれば酷い事になるのは目に見えておった。
わしらは、2頭立ての馬車を仕立てて、満州の荒野を逃げた。逃避行とはいえ、
素晴らしかった。向こうの鞭は凄く長い。それを大きく振りかぶって、ゆったりと振り、
ぴしりと馬を励ます。そうすると、馬が元気を出して、とことこと走る。まるで
ピクニックのようじゃった。
夕方は特に良かった。向こうの夕日は血のように赤く、大きい。
それが、平野だから、自分がいる所と同じ高さの地平線に沈む。想像できるか。
わしらの影が平野にどこまでも伸びていく。

楽しい、美しい逃避行じゃった。しかしそれも終戦になると一変した。日本人と見ると
現地人が襲うのじゃ。国の保護のない国民なんて哀れなものよ。特に、中国では日本軍
や日本人は威張っておったからな。至る所で悲惨な光景を見た。親が子の食料を
取って食う。それどころか、我が子を売り、食料に換える。子が年老いた親を荒野に
置き去りにする。わしはのう、同じ光景をその後何度も見た。戦争難民じゃな。
ベトナムで、バルカン半島で、アフリカで。

しかし、そのような者達を非難してはならん。豊かで安全なところにいる人間は、
子を売る親や、親を見捨てる子の悲惨を知らんのじゃ。人間は、そのようなものとして
作られておる。だからそうせざるを得ないのじゃ。
人間は、悲惨な状態で倫理観高く生きていくようには作られておらん。
だから、人間を、あんな悲惨な状態においてはならんのじゃ。

わしらは、チャンのお蔭で中国人になり済まし、朝鮮半島に向かった。しかし、ある晩、
チャンが町に食料品を買いに行って、社員の噂を聞いてきた。
わしの言いつけを守らず、会社を守る為に全員大連に残って、ソ連軍に
拘束されたと言う。
社員はわしの事は何も知らん。だから危険だと思わず、残ったのであろう。
わしは戻る事にした。戻らないと、全員が殺されるからだ。
しかし、この男の父親は反対したな。今戻っても社員が生きているかどうか分からん、
ソ連軍諜報部のやり方からすると、もう殺されているだろうと云うのじゃ。
そうかもしれん、しかし、そうであっても戻ると宣言した。その時、わしは
冷静ではなかったかもしれん。親が子を、子が親を捨てる光景を何度も見て、日本人は、
そうであってはならん、と思い込んだのだろう。

この男の父親は、そんな無駄な事をするのが日本の武士道か、とわしを非難した。
しかし、決心が変わらないのを見ると、自分の命に代えて、わしの妻と子供達を、
日本まで無事に連れて帰ると約束してくれた。
チャンは大連に帰りたがった。家族が大連にいるから当然の事じゃった。
そこで二手に分かれた。
この男の父親は、わしの家族を連れて朝鮮に向かった。チャンのお蔭でそれまでのわしらは
安全じゃったが、ツアーの軍人だったロシア人と、日本人の女と幼い子供二人だけの
逃避行が、成功するはずはない、皆死ぬだろう。わしは、そう覚悟を決めておった。
しかし日本に帰ってみると、この男の父親と息子が帰ってきておった。妻と娘は
満州で死に、荒野に埋めたという。この男の父親は、二人が死んだ事を、
額を畳に擦り付けて謝った。しかしの、奴の右足はなかった。どのような悲惨があったか、
この男の父親がどんな苦労をしたか、聞かんでも分かる。だから、
何故死んだのか聴いておらん。

大連に戻ると、社員はまだ3人が生きておった。戻ったのは無駄でなかったのじゃ。
わしは殺されるかと思ったが、社員と共にシベリアに送られた。殺すよりも、
労働力として役に立たせようと思ったのじゃな。
わしと社員は民間人じゃ。それを戦争捕虜としてシベリアに送る。ソ連はなんという
国かと思ったな。若い頃わしは左翼思想にかぶれておってな、赤軍にほのかな憧れもあった。
それに、革命後ツアーの軍人たちの一部がソ連軍に戻っているとも聞いていた。だから、
規律も厳正だろうと思っておったのじゃ。

先程、岡本君が言ったな。集団が嫌いだと。わしも全く同感じゃ。しかもソ連軍は、
臭いだけだった。上から下まで同じ臭いがした。しかも皆が同じ臭いをつけようと
必死になっておる。個性のない嫌な臭いじゃ。最低の集団だった。規律は、その集団員の
個々の個性があって、初めて意味を持つ。個性のない者ばかりの集団の規律は、腐る。
腐って腐臭を放つ。

岡本君は、人間は個性が大事だとも言った。わしもそう思う。しかし、問題はその個性は
何から生まれるかということじゃ。 それはな、その民族が持つ文化じゃよ。人間の個性は
その民族の文化から生まれる。ロシア人は共産党の指導により、ロシアの文化を捨ておった。
だから、個性がないのじゃ。自分の民族の文化に従うにしろ、反発するにしろ、
その文化を基礎に人格形成をしないと、個性は育たない。

シベリアの労働は、きつかった。だから多くの人が死んだ。しかし、3人の社員は比較的
早く日本に帰れた。何しろ帰国第一陣で帰れたからな。一人は長命で、今でも生きておる。
しかし、わしはシベリアに10年いた。10年たって、一人で帰ってきた。
空から見る日本は本当に綺麗だった。山には緑があふれ、田んぼの稲の緑が目に染みた。
羽田に着陸すると、国民は皆こざっぱりした服装をしていて、戦争前より豊かになった
のではないかと思った。嬉しかったなあ。」
昔を懐かしむように、老人が目を瞑った。
静かになると、懐かしい、もったりした味噌の芳香が、少し強くなっているように感じた。

「10年間、味噌醤油を口にしていなかったので、早速食ってみた。
驚いた。売っているものは、どれも不味いのじゃ。色、匂いは昔のものと同じだったが、
食ってみると全然違った。似て非なるものだった。そこで、自分で作る事にした。
ところがのう、味噌も醤油もある程度大量に作らないと美味しくないことがわかった。
自家用には多すぎるのじゃ。そこで、土間において、欲しい者にはただでやる事にした。
ところが、ただのものは誰も持っていかん。そこで売る事にしたら、近所の者が美味しいと
いって買っていく。面白いものじゃのう。
店番をしているのが長男の嫁じゃが、売り上げは全部、お前の小遣いにしろと言っておるが、
それでも文句を言う。手間なのじゃな。
ああ、手土産に用意させているから持って帰ってくれ。」

田村は御礼の会釈をしながら、先ほどの芳香はそのせいだったのかと気付いた。
この老人は、味噌醤油の製造は生計のためでないという。
一体なんで生計を立ててきたのだろうか。しかも、屈強な働き盛りの50男を身辺に置き、
身の回りの世話をさせている。
戦後10年間、この家には、働き手はロシア人の男しかいなかったはずだ。ロシアの元軍人が、
東京の近郊の町で、この老人の息子と自分の息子を育てる。しかも、この男の風貌を見ると
混血児のようだ。日本に来て日本人の妻を娶ったのだろう。
生活費はどうしたのだろうか。

また、シベリアに抑留された社員は、第一陣で帰れたという。3人とも、何故そんなに早く
帰れたのか。
もっと奇妙な事は、老人は、シベリアからの帰国は航空機で羽田に着いたという。
シベリアからの帰国は、船で舞鶴なのではないか。

「酒も不味かった。しかし酒を造るのは素人では無理じゃ。そこで、蔵元に文句を言ったら、
わし用の昔ながらの酒を作るという。これは美味かったな。いまでも、酒はこれしか呑まんが、
実に美味い。わしだけが飲むので、暫くは損をしたらしいが、今では評判になって、
一番の利益になっているらしい。杜氏に技術を伝承させるギリギリの時だったのだな。
そういって主人が感謝しておる。」
老人が、部屋の隅にいる男のほうをチラッと見た。すると、男が静かに立ち上がり、出て行った。

「酒も味噌も醤油も、全て贋物だった。どうしてそういう事になったか。日本人は、
日本の文化を忘れようとしていたのだ。日本の文化を忘れて、ソ連の軍人と同じように、
臭いに支配されようとしていた。
いま、わしは喜んでおる。酒も味噌も醤油も、本物か、本物に近いものが何とか手に入る。
ほんの少数じゃが日本の文化を守ろうとしているものがまだ居るからじゃ。
見つけられたからじゃ。
しかし、味噌と醤油はわしのものが一番美味いぞ。大豆は国産で、酵母もうち独自のものじゃ。
最も違うものは塩じゃな。日本の浜辺で採取した海水を、そのまま煮詰めた日本古来の塩を
使っておる。藻塩というのを知っておるか。いっぺん贅沢をして、これを大量に作らせ、
使って見た。これは美味かったな。その美味さは、例えようがなかった。しかしの、
二度と作らん事にした。誰でも、こんな贅沢はしてはならん。身の程を知らにゃあならん。

日本の文化はまだ細々と続いておる。だからこそ味噌、醤油、酒も何とか本物が手に入るの
だがの。しかし、細々と続いているだけだから、少し油断すれば、すぐに消えてなくなる。
文化は一度失われれば、二度と復元できん。いまの文化を何とか育て、強くせんといかん。」

襖が開いて、黄色い結城紬を着た若い女性と先ほどの男が、銚子とつまみを持って入ってきた。

「自慢話を聞くだけじゃ、嫌になろうから、用意した。筑波山の麓に、2町歩ほどじゃが、
地下水が湧き出る田んぼがある。その田んぼで作った米は、魚沼産のコシヒカリよりも
はるかに美味い。この酒はその米で作られておる。米は水じゃな。酒は米から作る水じゃから、
結局の所水じゃ。」

女性が、老人から順に杯に酒を満たした。	
老人が酒を飲むのを見て、田村が杯を上げた。
口元に杯を近づけると、ほんのりと甘く、清涼感のある独特の芳香が鼻腔を満たした。
口に含むと、さらりとした白湯が舌を滑り、ほんのりとした甘さが口中に拡がる。
つまみは、浅漬けらしい瓜の味噌漬けが志野焼の皿に載せてあった。瓜を口に入れると、
酒の残り香と味噌の芳香が混じりあう中で、塩味とかりっとした歯ごたえが、
なんともいえなかった。
田村は、成る程、これが日本の酒と言うものであり、これが酒のつまみというものである、
と実感した。
配膳している若い女性を見ながら、老人が言った。

「わしは、この世で一番美しいものは、女と思っておる。若い者も年よりも、
一様に美しい。歩く芸術品じゃ。特に日本の女は美しい。今この子は和服を着ておるが、
外に出るときは今風な洋装をする。これもな、わしは和服と同様に美しいと思っておる。
諸君は日本の女が美しく装うのは、男の為だと思っていないか? 全くの間違いじゃ。
女はただ美しくなりたいために美しく装うのじゃ。
何故、わしらは、日本の女は美しいと思うか、それはの、日本の女は日本文化の
原点だからじゃ。日本の文化は女が作った。日本の社会は、女を中心にした文化で
満たされておる。

納得がいかないようじゃな?
 
それでは例を上げよう。武士道の象徴である日本刀はどうじゃ。微妙に反っている。
あの反りは女の背中の反りを表現している。
聖徳太子の肖像画をみたことがあろう。太子が下げている刀は直刀じゃ。
人をすぐに殺すには突き刺ささなきゃならん。武器としては直刀しか役に立たん。
日本刀は反っているから切る刀じゃ。切る刀は一度切ると血糊がついて次は
切れんようになる。切っても致命傷じゃないから敵は反撃してくる。
しかも反っているからすぐに折れる。
あの聖徳太子の直刀から、どうして武器として役に立たん反りを持つようになったか。
それは日本の文化が女の文化だからじゃ。女は老いて死ぬ以外の死を嫌う、忌むのじゃ。
何とかして、その源となるものを断とうとするのじゃ。

種子島銃もそうじゃ。戦国時代、銃の数は世界で日本が最も多かった。合戦は
銃の数で勝敗が決まったから、多くの武将が争って銃を求めた。
しかし江戸時代にはいると、武士の時代が200余年も続いたのに、その間全く銃は
進歩しなかった。進歩するどころか、銃よりも日本刀が武士の魂じゃと言いおって、
種子島を意識的に忘れおった。また、種子島に飾りを施して、兵器としては使い物に
ならんにようにしてしまいおった。日本刀と同じじゃ。

明治以降の軍もそうじゃった。明治初期にはフランス、ドイツの指導を受けて最新式の
軍備を整えた。しかしそれ以降は、全く軍の装備は進歩しておらん。銃は明治時代に
作った三八式歩兵銃を太平洋戦争でも使いよった。米英軍が自動小銃を
使っていたのにじゃ。
日本刀や種子島のように退歩させなかっただけでも、めっけものじゃな。

武士道もそうだ。武士道とは死ぬ事と見つけたり、というのがその真髄じゃな。
武士は戦うから武士であるが、日本の武士道は、戦う事を止める究極のものを、
その真髄としておる。
太平洋戦争の神風攻撃、万歳突撃もそうじゃった。あれは武士道の精華というが、
戦法としては効果が全く無かった。しかしそれでよかったのじゃ。死ぬのが
目的だったのじゃ。
武士は死ぬ事が最も美しい事だから、死ぬのじゃ。切腹は最も美しい死に方
だから切腹をする。
男は哀れじゃのう、女の文化を身につけても、女のようにその深さを知らん。
だから、美しさを求めるのは生きることだというのを理解せん。だから美しくさえ
あれば死のうとする。
三島由紀夫を覚えておろう、あれは特に哀れだった。あの男は、女じゃった。
女なのに男を捨てきれなんだ。女だから、身体を鍛えて筋肉隆々にして自分を
美しくしようとしたが、男だったから、死ぬ時も美しく死のうとして切腹をした。

女はのう、命を生み、育む。だから生んだ命の儚かなさもよく知っておる。
命は、生まれ、育ち、華やかなときを迎え、そして散っていく。
日本人は四季を慈しむ。とりわけ春の桜と秋の紅葉を愛でる。これはのう、
命の象徴だからじゃ。桜を若さの美しさとすれば、紅葉は老いの美しさじゃ。
日本舞踊は桜の美しさであるが、能は紅葉の美しさじゃ、老人の美しさを
あらわしておる。能のゆったりした動きや、すり足は老人を表現しておる。
老人の美しさを表現するのが能じゃ。
日本人は老いも若さも区別せず、木も花も、海も山も空も、総て生きていると
感じておる。総て美しいと感じる、生きているものの総てが美しいと思うのじゃ。

世界で最も奇妙な芸術はなにか、知っておるか。茶道じゃ。
湯を沸かし、お茶を淹れて飲む、このような日常生活の、普通の行動に美を見つける。
それは日本人の文化が、女の文化だからじゃ。
わしは、日本人の文化が女の文化だということは、実に素晴らしいと思っておる。」

何と奇妙な老人か、と田村は思った。満州では、部下の命を助ける為に、自分はもとより
妻や子の命も顧みず、死地に赴く。そのような、最も男性的な行動を身上としてきた、
明治時代の壮士みたいな人物が、女性を賛美する。そして、日本の原点は女性と断言する。
背後の床の間には、これ見よがしに女性神である天照大神の掛け軸をかけている。

「それでは、何故日本は女の文化になっておるか。それはの、世界における日本の特殊な
位置じゃ。」

坊主頭の男が大きな地球儀を持ってきて、黙って老人の前に置いた。

「まず氷河時代に、暖かさを求めて、カムチャッカ半島から千島列島或いは樺太を通って
北方民族が南下して来た。これが第一陣の日本民族じゃ。
次は、氷河期が緩み、地球が暖かくなって、マリワナ諸島から鳥島、硫黄列島、小笠原諸島、
伊豆諸島を通る道と、台湾、琉球諸島、沖縄諸島を通る道、この二つは、学者が言ういわゆる
海上の道じゃな、この道を北上して南方の民族が、日本民族の第二陣としてやって来た。
更に地球が暖かくなると、これは最近の事じゃが、第三陣として、朝鮮半島を経由して対馬、
壱岐を通り、大陸からアジア人が入ってきた。」

田村はビックリした。第三陣とは弥生民族の事だろう。その渡来は2,000年以上も前の
ことであるのに、この老人は「最近のこと」と表現する。

「日本人は、この三つの民族の融合なんじゃ。北方と南方とアジアと、全く違う民族が融合し、
しかも、今じゃ日本人は単一民族と思っている程、一つになっておる。
それはの、女じゃ、女が偉かったからじゃ。女がこの三つの民族を戦わせなかったのじゃ。
戦わせないようにして、その血と文化を融合し、日本人と日本の文化を創ったのじゃ。だから、
日本の文化は女の文化なのじゃ。このような国は他にはないぞ。

外国人を見てみよ。国ごとに、その国独特の顔付きをしておる。日本人だけが、実に様々な
顔をしておる。長い顔から丸い顔、高い鼻から低い鼻、百人百様じゃ。それをあたり前と
思っておる。だから容姿では人を差別せん。
わしはの、このことを誇りに思っておる。これは女のお蔭じゃ。

今も日本の女はその血筋を引いておる。
世界のどんな僻地に行っても、日本の女がいる。現地人と結婚して子を生んでおる。
しかもな、現地の材料を使ってそれなりの日本料理を作っておる。純粋の日本料理ではないがの。
だから良いのじゃ。日本の文化と現地の文化を融合しておる。
偉いのう、それを平気で亭主と子供に納得させて食わしとる。日本の女は、
人類の救いかも知れんのう。

地図を見てみよ。古代からのこの三つの回廊は、基本的には今も日本が支配しておる。
残念な事に外務省のバカどものお蔭で、北方の回廊は閉ざされているがの。
古代からの日本の姿がそのままじゃ。
よく目に入れるが良い。
これが日本じゃ。

よいか、今も北は、北緯45度33分の国後択捉から、南は、北緯20度25分のマリワナ諸島に
連なる沖ノ鳥島まで、東は153度59分の南鳥島から、西は122度56分与那国島に連なる
離島まで、南北は緯度にして23度18分、東西は経度にして31度03分の広大な地域が、
日本なんじゃ。熱帯から寒帯まで様々な気候と文化が一つに融合して、日本になっておる。

日本は小さな国ではない。ヨーロッパと比べてみよ。イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの
いずれよりも広い。むしろ中央ヨーロッパ全域にほぼ等しい。
アジアでは、インドよりやや広いのではないか。オーストラリアよりは少し狭いが、ほぼ同じだと
言っても言い過ぎでもないじゃろう、わしは日本の愛国者だと弁明すればの、ホッ、ホッ、ホッ。
今、国際的には、陸地から200海里までを専管水域として、領土と同じような取り扱いと
なっていることを知っておろう。陸地と専管水域を合わせた日本の面積は、世界の10番目の
広さじゃ。日本は広くて、大きな国なのじゃ。

この広い日本で日本人は数万年にわたり、歴史を作り、文化を育てきた。そして一貫して、
女が文化を育ててきたのじゃ。確かに、歴史は殆ど男が作ってきた。しかし、常に女の傍で
女を中心にして、女の為に歴史を作ってきたのじゃ。
これが、敗戦後、全く変わってしもうた。敗戦後は、日本人はこれを忘れて、女から離れた
国づくりをした。日本が始まって以来、女が営々として創造してきた文化をないがしろに
してきおった。
わしはこの筑波山の麓に50年住んで、女達が多くの子を産み、一生懸命育てるのを見てきた。
しかし、一人前になると、子供達は他所に行き、もう二度と帰ってこん。
 


わしは仕方がなかったと思っておる。歴史上、日本は初めて全土を戦火に曝し、初めて外国人の
支配を受けたのじゃから。
日本が生きる基礎を作る為には、日本が本来の日本に戻る為には、しばし女から離れて、
遮二無二働く以外なかった。

しかし60年たって、日本に生きる基礎がようやく出来てきたのに、なんと最も大事な文化が
消えようとしておる。戦後消え去ろうとしていた日本の文化がほんの少しじゃが、
ようやく蘇ってきたのに、今また消え去ろうとしておる。今度消えたら、もう二度と復元はできん。
なぜ消えようとしているか、それはのう、女から生まれ、女から育ててもらった日本人は、
生涯その女の傍で働き、その女の傍で子を産み、育て、死んでいかねばならんのに、
そうしていないからじゃ。

今、日本の文化が細々でも続いているのは、古い文化を覚えている日本人や、女のそばで生き続けて
いる日本人が、まだ生きているからじゃ。この者たちが死んでいったら、日本の文化はそれで絶える。
日本人が生涯住む所は、女の傍じゃ。日本人は女の傍で生きていく為に働く。これが日本人じゃ。
それが戦後はそうでなくなった。遠くの働く場所に住むようになった。もうこんな事は
終りにせんといかん。
これ以上続けると日本が日本でなくなってしまう。

今の若者を見よ、あれらが日本人と云えるか?
今の社会を見よ、これが日本といえるか?」
老人の眼光は俄かに鋭くなり、背筋を伸ばした姿が田村達を威圧した。

「よいか、日本の文化が危機に陥ると、日本人はいつも国を根底から変えてきた。今度はお前達じゃ。
お前達が、この国を根底から変えなきゃならん。」

田村は、老人が、田村たちを最初は「諸君」と呼んでいたのに、いまは「お前達」に変わったのに
気付いた。今は、大山教授を「大山」と呼び捨てにしている地位と権力から、自分達に指示しているのだ、
と思った。

「忘れるでないぞ、お前達が作る新しい日本は、このような日本の文化を育てるものでなくてはならん。
しかしのう、日本では、国を変えた者は、変えた直後に殺されてきた。
大和朝廷を根底から変えた聖徳太子もそうじゃ、公家の社会から武士の社会を作った平氏もそうじゃった。
清盛は死ななかったから一門全部が殺された。
戦国時代から統一政権を作った信長、秀吉一門もそうじゃ。
封建社会から近代社会を作った坂本龍馬、吉田松陰、井伊直弼、大久保利通も殺された。西郷隆盛も
死ぬべきだったと自決した。
よいか、新しい時代をつくった者は新しい時代がきたら死なねばならん。
新しい時代は新しい者が動かす。

お前達もその時が来たら、死ね。
わしが介錯してやる。」


帰りの電車の中で、田村は、大臣が訓示の最後に「死ぬつもりでやれ、骨は拾ってやる」という
言葉があったことを思い出していた。
あれは激励ではなく、言葉どおりの意味だったのか。
これは一体どういうことだろうか。

思い返してみると田村は、日本史を習い始めた当初から、日本の歴史は不可解な出来事が多すぎると
思っていた。
聖徳太子の殺害だって、長く歴史に事実としては記録されておらず、最近になってようやく一学者が
明らかにしたに過ぎない。時の権力者の殺害が歴史に記録されていないのである。
平氏の滅亡もそうである。地方の一豪族に過ぎない武将の婿となった頼朝が、平家にあらずば人に
あらず、とまで豪語する権力を握っていた平氏を、実にやすやすと、あっけなく滅ぼしている。
信長の場合もそうだ、智謀の人と謳われた明智光秀が、突如として無謀極まる謀反を起こす、秀頼も
児戯に等しい姦計に乗って大阪城の防備を弱くして、滅亡する。

明治維新も謎が多い。当時、日本で最強・最大の洋式兵装をしていた幕府軍を率いて京都に出陣した
徳川慶喜が、幕府軍よりはるかに劣る装備と兵員数の薩摩・長州連合軍を前にして、開戦直前に江戸に
逃げ帰る。
しかも維新政府は、反抗した兵は無慈悲に殺戮しながら、その総大将である徳川慶喜を華族に列して
いる。そして奇妙な事に、多くの維新の英傑達が様々な記録を残している中で、その渦中にあって
最大の激動を生き延びた徳川慶喜が、維新後は静岡に隠棲し、ひたすら狩猟を楽しむだけで、
記録は何も残さず沈黙したままこの世を去っている。

戦後、55年体制をつくった保守合同もそうだった。相互に不倶戴天の敵として対立していた
自由党と改進党が突如合同し、左派政党を圧倒する。

日本には歴史に現れない何か大きな力があり、はるかな昔から日本を動かしているように見える。
先程の老人はその力に繋がる一人なのだろうか。
老人が示した底知れない不気味さと奇妙さが、田村を半ば信じさせようとしたが、そんな馬鹿な
ことが有り得る筈が無いと、考えは行きつ、戻りつした。
いずれにしろ、と田村は思った。自分達は、大きな時代のうねりの中に置かれていることだけは
確かなようだ。
しかし、負けてはならない。特命担当室は信じる道を進む。それだけだ。
田村は、岡本と青木に囁いた。
「今日のことは誰にも言わない事にしよう。そして忘れよう。」

二人が、大きく頷いた。