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      ディズニーワールドは素晴らしい                   
                          
                                 イマジン






ジェットコースターであるスペースマウンテンから降りてきて、ようやく人心地がついた。少しよろめきながら、
実にけしからん乗り物だと岡本は思った。
なにしろ周囲が何も見えない暗黒の中を猛スピードで急上昇する、スピードが少し緩やかになったと思って
ほっとすると、思わぬところで急旋回し、振り落とされそうになる。力学的に決してそういうことは無いと
必死になって自分自身に云い聞かせても、不安はどうしても押さえる事が出来ない。一体こんな乗り物の
どこがいいのだ。
バーを両手でしっかり握って目を瞑り、ひたすら早く終わるよう祈った。
それにしても、癪に障ることは、妻と小学校3年生の姪は、実に楽しげにキャーキャー言ってはしゃいでいる。
自分は40歳を大きく越え、年齢的に三半規管が二人のように若くないのだから、やむを得ないことだと自らを
慰めても、慰め切れない。
こちらは死ぬほど怖かったのに、この二人は無上の喜びだったようなのである。もう一回乗ると言い出し
かねない雰囲気なのだ。

スペースマウンテンの前に乗った船は、馬鹿馬鹿しいほど幼稚だった。
湖に見立てた池を船が進むのであるが、池の底にレールが敷設してあり、市街電車のようなものだということは
一目瞭然だった。小島や岸には電気仕掛けのインディアンや動物たちが配置されていて、船が近づくとなにやら
言ったり、動いたりする、ただそれだけである。
周りの乗客を見ると、妙に興奮して騒いでいる。どうも、ディズニー映画の主人公になった気分らしい。
こんな馬鹿げた装置で、子供ならまだしも、いい年をした大人がその気になっている。なんという連中かと
じろりと見渡した。
他人ならまだしも、30歳を越えた妻が、小学校3年生の姪と一緒になって馬鹿げたミッキーマウスの帽子を
かぶっている。しかも、こんな装置を本当に真から楽しんでいるのである。横目で見ながら、
今まで気付かなかった妻の幼稚な一面を見たような気がした。

階段を下りると、隣の建物の方に歩き出したので、実にほっとした。もう一度スペースマウンテンに乗ると
言い出したらどうしようかと、心配していたのである。
この建物では、動物たちが演奏会をやっているらしい。どうせ電気仕掛けの動物たちがそれらしく動き、音楽は
テープだろう。もう十分だ、二人に付き合うのもこれくらいでいいだろう。とにかく芯から疲れたのである。
「俺はベンチで休んでいるよ、二人で見てくればいい」
と姪には笑顔を見せつつ、妻に言った。

木陰に据えてある白く塗られたベンチに座った。
タバコを出して吸っていると、塵取りを持った係員が少し離れたところで吸いさしを拾い、容器に収めていた。
岡本が見つめているのに気付くと、にっこり笑って会釈をした。
朝、ここに入場して以来いたるところでこのような係員の笑顔に出会った。
最初はなんと親切な係員かと感動したが、そのうちこれは訓練された笑顔で、係員は客を見ると自動的に笑顔に
なるのだと気付いた。
何度も笑顔に出会ううちに、あまりにも人工的だと少し違和感も感じるようになっていた。
しかし、今のように疲れきっていると、それなりにほっとするものがあり、思わず係員に笑顔を返した。
いつも、多くの係員が塵取りを持って掃除をしている。その所為で塵一つ無く、どこも清潔感に溢れていた。

夕闇に包まれて、シンデレラの壮大な宮殿が輝いていた。内部は、宮殿でなく単なるお土産屋だと思い起こしても、
感動するほど美しく思えた。
皮肉屋の岡本は、このような人工的な装置に反発を覚えながらも、いつの間にか、これはこれでなかなかいいもの
ではあるな、としぶしぶではあるがその価値を認め始めていた。
ベンチに寝っころがって空を見ると、宮殿の屋根の上に上弦の月が光っていた。本当におとぎの国に来ている
ような気分になってきた。
楽しんでいる人を見て幼稚な奴などと思っていたが、抵抗しないで気分よく騙されたほうがいいんだろうな、
その方がむしろ大人かもしれんな、と思った。

夕食の後、ディズニー映画のキャラクターがフロートに載って踊りながら愛嬌を振りまくパレードが始まった。
シンデレラや小人たち、王子様などが光に包まれて、あたかも現実のもののように見えた。
岡本は幼稚なと思いつつも、妙に浮き浮きしてきた。空には様々な花火が打ち上げられ、その光と轟音が岡本の
興奮を更に高めた。
その興奮の中で、岡本は妙に懐かしさを感じ始めた。どうしてだろうか、始めてきたディズニーワールドが何で
こんなに懐かしく、親しく感じるのだろうか。

岡本は心の中を探った。この光景は前に見たことがある。この懐かしさは前に感じたことがある。
花火の所為だろうか。花火を見たのはいつごろのことだろうか。思いは、過去にさかのぼり始めた。
花火をはじめて見たのは故郷の神社のお祭りの夜だった。夏の夜、両親や姉たちと連れ立って見た懐かしい
シーンが、心の中に湧き出してきた。セルロイドで作った鉄腕アトムの仮面を額につけ、綿菓子を食べながら
家族で神輿を見物した。急に屋台の灯すアセチレンランプのすっぱい臭いを嗅いだような気がした。
ぶっきらぼうで無口だったが決して怒ることの無かった父、生活を支えるために土木工事の作業員までしていた母、
なけなしの小遣いから綿菓子を買ってくれた優しい姉、涙が湧きそうになった。切なく、懐かしい祭りの夜の
思い出だった。
故郷の祭りは今も昔の雰囲気を残しているだろうか、と訊ねようとして妻を振り返った。二人ともパレードに
夢中だった。妻も姪もミッキーマウスの帽子をかぶり、姪は串にさしたフランクフルトソーセージをかじっていた。
岡本はハッとした。
二人とも遙かな昔の自分と家族にそっくりだ。
そうだ、この雰囲気は、神社のお祭りによく似ている。
神社の参道にずらりと並ぶ夜店、その夜店で買ってもらったセルロイドの仮面や綿菓子、天幕を張っている小規模の
サーカスや異型の人たちの見世物小屋、神輿とともに行列する昔の衣装を着た人々、全く一緒だ。それに祭りの日には
花火も打ち上げられた。

考えて見ると、ディズニ−ワールドは神社に本当によく似ている。独特の形をした壮大な社、塵一つ無いように
掃き清められた境内、独特の服装をした優しい巫女や神主たち。ディズニーワールドのシンデレラの宮殿、清潔な敷地、
微笑をつねに浮かべている係員。これらは神社のたたずまいに本当に良く似ている。確かにそのとおりだ。
しかし、何故懐かしさを感じるのだろうか。神社は鬱蒼と栄えた森のなかで、薄暗いといっていいほど地味で神々しい
雰囲気である。これに対し、ディズニ−ワールドはハリウッド映画から生まれてきたという出自が示すように、
色彩豊かで、実に派手派手しい。

どうして切ないような懐かしさ覚えるのだろうか、どうして人々が同じように興奮するのだろうか。ミッキーマウスの
帽子をかぶり、ディズニ−映画のキャラクターに必死に手を振る妻と姪、まるでこの二人は別世界に
行ってしまったようだ。別世界?そうだ、ここは別世界なんだ。
じゃあ、神社もそうか?
勿論そうだ。神社は、壮大な社に神が住み、神が人々の邪気を払い、幸福を授けてくれる神域だ。此処こそ、現実の
世界を離れた別世界、異次元の世界だ。
しかし、ディズニ−ワールドには神がいない。ミッキーマウスもシンデレラも王子様も総てが演技だ。シンデレラの
宮殿も中身はお土産屋だ。実体が無いのに人々は異次元の世界と認識をする。

そうだ、人々は異次元の世界を認識するのに実体はいらないのではないか?

そういえば、富良野もそうだ。テレビドラマの『北の国から』の土地として、観光客は、丸太小屋や富良野駅などを、
まるで実際に登場人物が実際に住んだり、利用したかのように見て回る。
しかも全国各地から大金を払って見物に来る。
国内だけでなく、「赤毛のアン」の故郷のカナダの島も、日本人観光客が大挙して訪れている。小説だから、もともと
実体が在るはずが無いのに、此処はアンの部屋だとか、アンが溺れた湖だとか、感激して見て回っている。
カナダに行くことは、若者にはほぼ一か月分の給料を費やすことを余儀なくさせられているだろう。
しかしそれでも喜んで訪れる。

自分は若い頃から、今住んでいる場所と違う別の世界に行こうとしてきた。故郷から出て、何処か別のところに
住みたいと思ってきた。
外国勤務も自分で希望した。ロシアに行って満足したか?そうではなかった。ならば、外国に行きたい衝動は
無くなったか?頭を振った。
今も何処か別のところへ、今とは違う別の世界へ行きたい、と思っている。
出勤時、満員電車に揺られながら、このまま成田空港に行き、どこでも良い、何処か外国へ、と衝動に
駆られる時がある。
決して現状に不満があるわけではない。しかし、行きたいのである。東南アジアの雑踏の中にいる自分、中東の
猥雑な市場で食物を検分する自分、東欧の田舎町を散歩する自分、繰り返し繰り返し想像する。
これは何故か? しかし、どんなに心の底を探っても理由が見つからない。妻や職業に不満があるわけではない、
むしろ恵まれている。
そうだ、理由なぞないのではないか、この衝動は俺だけじゃないだろう、きっとみんなそうなのだ、と岡本は思った。

これは何なのか。岡本は真剣に考え始めた。現実に住んでいる世界から出て、他の世界に行く。人間にとって、
これは何を意味するのだろうか?

岡本は生物学が好きだった。高校時代は生物部に入っていたくらいで、出来れば、大学は理学部の生物学科か、
農学部に進学したかった。しかし、家計が到底それを許してくれそうも無かった。
小学生のとき母親が道路工事の人夫として働いている場所に友人と通りかかったことがある。母親が微笑んでいたが、
友人の手前、それを無視してそっぽを向き知らん振りをしたことがあった。その自分の行動を、その後長い間、
許すことが出来なかった。
家族を食わせていくために、道路工事の人夫までしている母親に大学に行きたいなどと到底いえなかったのだ。
その所為で、その後も生物学や人類学を分かりやすく書いた本が店頭に並ぶとつい買ってしまう。そのような
本の中に人類の発生を説明するものがあったことを思い出した。
そこには、現生人類が、20万年前アフリカに住んでいた、ミトコンドリア・イブと呼ばれるたった一人の女性の
子孫だということが書かれてあった。
そのときも実に不思議に思った。
これは、人類が、この僅か20万年の間に、アフリカから出て全世界に広がったことを意味しているからだ。
何故だろうか、暮らしやすいアフリカの草原地帯を出て、酷暑の砂漠を抜け、アジアやヨーロッパに行く。
何のために?
その後もこの広がりはとまらず、南国育ちの人類が酷寒のシベリヤ海峡を通ってアメリカ大陸にまで到っている。
何のために?
しかし、そのときは、これは人類の本能だ、人類は何処か新しい場所へ出発する衝動を本能として持っているのでは
ないか、俺もそうだ、と自分自身を納得させた。

あれは本当なのだ、と岡本は思った。そこで人は旅立つのだ。本能だから、その衝動はどうしようもないのだ。
旅立つ余裕の無い者は、近くでその代替物を見つけようとするのだろう。その一つが、ディズニーワールドなのだ。
だからこそ人は、ディズニーワールドが日常と異なる新しい世界、つまり異次元の世界でなければならないし、
そうであると思おうとする。騙されようとする。だから幼稚な仕掛けにも感動するのだ。


帰りの電車でつり革につかまりながら、妻に聞いて見た。
「面白かった?」
「もちろん、ねえ、紗枝ちゃん?」
「本当に面白かった。おじさんありがとう。また行きたい」
「そうか、また連れて行ってあげよう。ところで、いつか、長崎のハウステンボスに行ったことがあるが、
あれと比べたらどうかな、どっちが面白かった?」
「比べ物にならないわね、断然こっちよ」
「どうして?」
 「そうしてって、ハウステンボスは単に風景だけじゃない。へー、オランダにはこんな建物があるんだ、
ということだけだけど、こちらは、中味があるのよ。ディズニーの世界があるのよ。食べ物屋で言えば、
マクドナルドとディナーショー付きホテルのレストランぐらいの違いね」
 「食べ物屋は、テーマパークとは本質的に違う。あれは味と値段が勝負だろう。」
 「あら、一緒よ。マクドナルドだって、アメリカの雰囲気があるから買うのよ。安いだけじゃないのよ。
安いのだったら、もっといっぱいあるわよ。ホテルのレストランだって、料理の味だけじゃ、
どんなに美味くても料金が高すぎて誰も行かないわよ。豪華な雰囲気の中で、ウエイターや、コックが
恭しく応対して、王女様のような気分にさせてくれるから行くのよ。テーマパークと一緒よ。」
 随分冷めたことをいう、と岡本はビックリした。子供っぽいと思っていたが、今まで感じたことの無い
違う一面を見たような気がした。
 「ディナーショーだって、歌や踊りを見たいのじゃないのよ、エンターテイナーが個人的に招待して
くれたような気分にさせてくれるから、行くのよ。ディナーショーはね、食事中ずっとエンターテイナーと
会話をしている気分なのよ」
 「じゃあ、高い金を出してデートにディナーショーに行くのは愚の骨頂だな」
 「そうよ、今頃気付いた?」
と悪戯っぽく微笑んだ。
 婚約中、何度か無理してディナーショーに連れて行ったことを、ほろ苦く思い出した。
 何の脈絡も無く不意に、日本は女の文化じゃ、女が日本を造ったと言った筑波山の奇妙な
老人の顔が浮かんだ。
 そうかもしれない、到底俺には女はわからない。
岡本は長い間女性の盛り上がる胸の谷間に憧れてきた。しかしこれも妻に言わせると、特殊なブラジャーを
使用し乳房を上げ、そして寄せて作るものらしい。当たり前じゃないの、大きければ大きいほど重力の法則で
下に垂れるのよ、とまで付け加えられ、長年の夢が壊れたような気がした。
俺の知らない女の世界が他にも色々あるのだろう、女は到底分からない、と心の中で繰り返した。