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                観光立国日本 第六回「裏切り」                   
                           
                                 イマジン



          

突如ドアがバターンと開けられた。
皆が吃驚して一斉にそのほうを見ると、次官が観光立国案と題した報告書を手に突っ立っていた。
次官がドヤドヤと部屋に入ってきた。後ろには官房長と秘書課長が従っていた。
「これは何だ。君たちは経済産業省をつぶすつもりか!」 次官が、パーテーションの中から
出てきた田村に、報告書を投げつけた。
蒼白になった田村が、床から報告書を拾い上げた。
明らかに、2週間ほど前、室員みんなで議論し、岡本がまとめた観光立国の第一次案だった。
何故これを次官が、と混乱する頭で考えたが、今はそんな詮索をする時ではない、と思い直した。
辞令交付のとき大臣が、自分以外には誰にも報告してはならん、特に経済産業省の者には、
と強調していた言葉が頭の中に響いた。この報告書はまだ大臣にも見せていない、どう答えようか、
と混乱するばかりで、呆然としていた。
岡本が報告書を田村からひったくるように取ると、ぱらぱらとめくり、ドスの聞いた声で次官に答えた。
「何ですか、これは。こんなものを特命担当室が作るはずないじゃないですか」
「それは本当か」 と次官が妙に落ち着いた声で言った。
「そうです。安心してください」 これまた岡本が妙に落ち着いて答えた。
「これ、お返ししましょうか?」
次官がかぶりを振って、出て行った。官房長と秘書課長がその後を追ったが、部屋を出るとき官房長は
岡本をじっと見据えて、その後扉を静かに閉めて出て行った。

全員が呆然として突っ立っていた。明らかに担当室の原案だった。
「誰だ、これを外に出したのは。山本、俺が手直しをした原文はお前がもっているな。お前か、
これをコピーしたのは。」
「そんなことを、私がするはずないじゃないですか」 と既に涙声に変わりつつあった。
「岡本さん、それは酷い。そんなことをする人間でないから、ここに選んでくれたんでしょう?みんな、
それを名誉だと思っているんですよ。」
「そうですよ、岡本さん。報告書が纏め始められた時点から、実は私は気にかかっていたんです。
この部屋はセキュリティがなっていない。」
と堺が続けた。
「みんな、報告書だけはいつも身につけていることにしよう。夜は家に持ち帰ろう、机なんて鍵をかけても
無駄だ。パソコンはパスワードを毎日変えるべきだ。」
みんなが頷いた。

藤下がそっと部屋を出ていった。程なくして堺の携帯電話が鳴った。
「堺さん、報告書の原案が出来た時、私がみんなに配布するコピーを作ったことを覚えていますね、
いいですか、私はこんなこともあろうかと、観光立国案の最後のページの左上のホッチキスで留める場所に
手書きで一連番号を付したのです。@は室長、Aは岡本さん、Bは青木さん・・・・という風にです。だから
岡本さんが持っているコピーの最後のページの左上を見ると誰の分のコピーかわかります。もし番号がないと
するとそれは山本さんのPCから直接出たものです。」
藤下からだった。
「わかった。」 と短く堺が答えた。

堺が、「ちょっと貸してください」といって岡本から報告書のコピーを受け取ると、ホッチキスをはずして
ばらばらにした。そして、最後のページの左上を指差した。
そこには、薄く@の番号が付されてあった。岡本はその意味が直ちにわかった。
堺は田村の机のある方向を顎でしゃくり、頷いた。

岡本が報告書を鷲摑みにすると、田村の応接セットにどっかと座った。
そして、田村に応接セットに座るよう目で促した。
そして室長が持っている報告書を受け取るとホッチキスの針をはずし、最後のページの左上を見て、
自分が持っているコピーの当該部分と見比べた。
「室長、これはどういうことですか、説明してください。」
手書きの番号を見比べると、明らかに同一だった。
田村は呆然とした。自分のものがコピーされている。堺の発言を待つまでもなく、自分はいつも
身に着けていた。
いつもカバンに入れていた。折に触れ読み返し、第2次案の構想を練っていたのだ。
「わからない、どうしてこれがコピーされたのか」 岡本が辛そうに田村を見やった。
田村はすぐに立ち上がった。そして、次官が持ってきたコピーを手にすると、パーテーションの外に出て、
室員を見渡した。
室員全員が立ち上がった。
「このコピーの出所がわかった。まことに申し訳ない。私のものだ。私のものがどうしてコピーされたのか、
全く分からない。しかし、私のものに間違いない。
皆さん方に、ご迷惑をかけることを心から謝りたい。私のものがどうしてコピーされたのか原因を究明して、
二度とこのようなことがないようにしたい。
原因がわかるまで、自分では保管しない。繰り返し読んでいるので内容はほとんど暗記している。
これからの仕事に差し支えることはないだろう。必要な時は岡本さんから借りて読むことにする。
この文書は、先ほど岡本さんが否定してくれたけれど、これから世の中を騒がすことになる。しかし、
特命担当室は、雑音は一切気にせず、大臣から指示された言葉を忠実に守って、これからも同じように
仕事をして欲しい。
どうか、皆さん、私の不手際で大変なご迷惑をかけることになりますが、私は自分の一生を賭けてこの仕事を
成功させたいと考えているんです。どうか、信じて欲しい。」と深々と頭を下げた。室員全員が黙って
再び席に着いた。

青木と堺がパーテーションの中に入ってきて、室長の応接セットに座った。
堺が「率直な謝罪でしたねえ、室員はかえって室長に対する信頼感が高まりましたよ」と気楽そうに言うと
「生意気言うな、そんな立場か」と岡本が目をむいて叱責した。すぐに青木が「しかしタイミングがいいですね、
そろそろ世の中で議論をさせる時が来ていましたからね。ひょっとすると、わざと漏らしたのじゃ
ないでしょうね、室長」と半ば本気で聞いた。
「ほんとにこいつらは!」と岡本が慨嘆した。
田村は、部下たちは自分の失策を許し、しかもあやしてくれているのだと感じた。

臨時の省議が始まった。
次官が各局長、官房長等を見渡しながら、口を開いた。
「将来のわが国の産業について、いかにもわが省の特命担当室が作ったといわれている文章が世の中に
出回っている。
みんなも、もう眼にしていることだろう。しかし、特命担当室もこのような文章は書いたことがないと
いっているので安心してほしい。
いかにも説得力があるように思える部分もあるが、中身は荒唐無稽だ。わが国は、明治以来製造業の国だ。
製造業なくして日本はない。少なくとも私の目の黒いうちは、わが省が製造業中心主義を放棄することはない。
君たちも動揺せず、産業界には私の意見をよく説明して、心配させないようにしてほしい」

大臣は目をつぶって次官の訓辞を聞いていた。
特命担当室の室長が大慌てで、報告書の第一次案を持ってきて、これが世の中に漏れていると詫びを入れてきた。
中身を読んでみると、第一次案だけあって論理がラフだったり、説得力に欠けている点は見られるもののほぼ
これでいいのではないかと思うほどの出来栄えだった。
すぐに総理のところにもって行くと総理も喜び、この方向で結論を出せばよいということだった。
総理が見る前に世の中に出てしまった
不手際を詫びると「良いタイミングじゃないか、君の策略か?」と軽口をたたいた。
さらに、経済産業省上げてこの案には反対である旨を告げると「そりゃあ、そうだろう、どんな案であれ、
反対するだろう。
いいじゃないか、しばらくは大いに反対させろ。彼らのお手並み拝見だな。」と意にも解さない。
そして同席していた官房長に「筑波山の爺さんにも報告しといてくれ、爺さんも喜ぶだろう、ほっとしたよ。
なんせ、爺さんがむくれると厄介だからなあ」と指示した。

「この文章では、製鉄や製紙はもとより自動車だって潰れる、潰さなきゃあいかんといっておる」誰かが
笑い声を上げた。
「こんな馬鹿な方針が、わが省の案であるはずがない。みんなも自信を持ってこれまでの政策を粛々と
推進してほしい。
決して動揺するな」と次官の獅子吼が続いた。
大臣は目を開けて次官を見た。
次官のことだから、この案が大臣の特命担当室の作成したものであることは十分に知っているだろう。
内容も大臣の意を受けたものに
なっていることぐらいとっくの昔に知っているはずだ。しかも当のその大臣の傍で、平然としてその内容を
荒唐無稽と断言する。
怒るより、その度胸のよさに、ほとほと感心した。

省議が終わって、各局の局長室や課長たちの電話が一斉に鳴り始めた。
特命担当室の文章が企業に流れたのだ。局長や課長たちは、企業の担当者の心配そうな声に、次官の見解を
告げて笑い飛ばした。
しかし、国会議員にも伝わっているらしく、与党、野党を問わず、翌日の国会での質問が殺到した。
その夜から、答弁つくりで、各局各課とも大騒ぎになった。

その騒ぎの中、総理が筑波山の爺さんと呼ぶ老人から産業経済大臣に電話がかかってきた。
「なかなか良い案じゃ、君の差配のおかげじゃ。礼を言う。ところで、慎重な田村と度胸の良い岡本のコンビは
秀逸じゃ。
青木も良いのう。あれは大物になるぞ。特命担当室はこんな連中ばっかりなのか?まあ、田村と岡本は
やむをえないが、青木のような連中は何とか育ててやってほしい。次代の日本が担えるかもしれん。」
「どうもありがとうございます。彼らもそれを聞いて喜ぶでしょう。」と答えながら、これからが大変だなと
次第に気が重くなっていった。
明日の国会質問を初めとして当面、この案はガセネタとして徹底的に否認するほかは無いだろうが、しかし、
いずれ認めなければならないときがくる。
いつ、どういう方法で公認したらよいだろうか、しかも一旦全面否定したものを?

国会質問の答弁メモ作成の騒ぎの中で、田村は、今日は徹夜かもしれない、そうだ、シモーニュに連絡しなければと
思いついた。
シモーニュは同期の山中課長夫人とNHK交響楽団を聴きに行くはずだ。その後は俺のことは心配せず久し振りに
ゆっくりすればいいのだ。
三ヶ月ほど前から、報告書の具体的な方針策定のために連日深夜帰宅が続いていた。そんな状況の中で、
山中が昼食に誘ってくれた。
山中は、田村がパリに留学中はロンドンに留学していた。スイスにいたときはイタリアの大使館にいた。
似たような経歴であったが、
帰国後は直ちに・・・局の・・・課長に就任し、現次官の秘蔵っ子とまで噂されている。
似たような経歴だけでなく、山中とは入省以来妙に気があい、二人がヨーロッパにいるときは連絡しあって、
双方とも夫婦連れでレストラン巡りをしたり、クリスマス休暇にはスキーも共にした。

山中は同期の中では切れ者として通っており、次官候補の筆頭だった。しかしそのような素振りは微塵も見せず、
出世コースを外れている
田村にも親しく近づいてきて、どこから仕入れてくるのか、政策の極秘情報をそっと漏らし、その情報のお陰で
的確な判断が出来たことが
一度ならずあった。的確な判断は、良質な情報に負うところが極めて大きいからだ。その意味で、山中の情報は
大変貴重だった。
その山中が、昼飯を一緒に食わないかと誘ってくれた。
応じると小さなレストランを予約していてくれて、ゆっくりと食事が出来た。
ヨーロッパでの思い出や同期の者たちの動向などが話題の中心だった。田村が大役を負って、苦心していることを
十分に知っていて、そのことは一切聞かず、愉快な思い出や同期の者の噂話に終始して、田村にとっては、
本当に久し振りの憩いのときとなった。
最後には、連日の深夜帰宅じゃシモーニュさんも寂しいだろう、女房に音楽会でも誘わせるよ、といってくれた。

それ以来、シモーニュは山中夫人と音楽会やら、夕食にしばしば出かけていた。女性同士でヨーロッパでの共通の
話題もあり、親しくしていた。
宿舎に電話するとシモーニュは早めに出かけたのか、誰も出なかった。
山中課長の家に電話すると、夫人が出てきた。田村の声だということが分かると、夫人が、息せき切って
「あぁ、よかった。・・課から電話があって国会質問で大変ですって?主人と連絡がとりたいのだけれど携帯が
通じないと言うのよ。今日は主人と食事の予定でしょう?連絡をお願いしますね。ところでシモーニュさんは
お元気?奥さんは東京には誰も知り合いがいないのだから、あなたが面倒見ないと
浮気されるわよ。」といつものように立て続けに、鈴を振るような饒舌でしゃべると、ころころと笑い声を上げた。
田村はビックリして不得要領の返事をして電話を切った。
シモーニュは山中夫人とは会ってはいないのだ。今日も山中夫人ではなく、誰か外の人間と会っているのだ。
しかも山中は、今晩は田村と食事をすると夫人にいっている。
冷たいものが、頭から足先までスーと伝わっていった。

報告書はいつも身につけていた。離したのは宿舎だけだ。しかも中身はシモーニュに説明した。
ヨーロッパ人としての意見さえ求めた。
シモーニュなのか、そして山中なのか。山中から次官へ、次官から産業界へ、なんと言うことだ。
ブーローニュの森のピクニック、カルティエラタンの小さなカフェでのひと時、レマン湖の畔の小さなホテルでの
食事・・・・・・、シモーニュとの思い出は、引っ込み思案でガリ勉家だった田村にとって、実に貴重な宝物だった。
これがあればこそ、辛い事があっても何とか生きていける、と思っていたのだ。

山中の嘲りの笑い声が聞こえたように思った。
岡本だった。岡本が呼びかけていた。
「どうしたんです?」
「なんでもない」
「そうですか、各局から答弁メモの合議が来ています。決済してください。」
各局からの合議は、ほとんどが報告書の存在に関する部分だった。
いずれの案も全面否定で、経済産業省は挙げて今後もものつくり、すなわち製造業を経済の中心として推進していく
というものだった。一通り読み終えるとサインをして決済した。

翌日の新聞は各紙とも「日本政府、製造業を放棄か」という文字が第一面に躍っていた。それほど報告書の内容は
衝撃的だったのだ。明治以来日本は製造業で生きてきた。その製造業が崩壊しようとしているということのみならず、
経済産業省はその崩壊を推し進め、日本は今後アジア大陸東端の一大観光国家として、新たな出発をするというもの
だったからだ。
経済産業事務次官が、これを荒唐無稽の考え方だとして、顔写真付きで全面否定をしていた。しかし、大臣特命担当室の
存在がその全面否定の疑問符となり、関係者の議論を呼んでいた。
経済評論家の多くは、製造業こそ日本の未来永劫の基本産業であり、この報告書の内容は荒唐無稽だと断じていたが、
中国やインドの台頭が、日本の未来を脅かしていると指摘もしていた。
衰退産業の筆頭に挙げられた自動車産業のトップ企業トヨタの社長は、衰退どころか他国の自動車産業が一挙に衰退しない
ようにその成長を自粛しているとすら示唆し、報告書の見解を一笑に付していた。
一方、ごく少数であったが、経済評論家の一部には、製造業は後数年で崩壊するということには疑問を呈しつつも、
遅かれ早かれこの報告書の指摘する製造業の崩壊自体は正しいのではないかと主張する者もいた。

衆議院経済産業委員会の質疑は、その前夜から衆議院事務局も巻き込んで大騒ぎになった。事務次官が自ら答弁をすると
言い出したからだ。
明治時代の帝国議会以来、答弁は局長どまりで、事務次官が答弁する事は決してなかったのである。そんな確固たる
慣例もものともせず、事務次官は、この問題は経済産業省全体、いや日本経済全体に影響が及ぶ国家的問題であり、
その重要性から自ら答弁すると強硬に言い張った。
質問者は事務次官の異例の答弁が聞けるという事で喜んでいたが、衆議院事務局が、前例が無いと頑強に反対した。
これに対して、事務次官は、一局長が答弁できるものを何故事務次官が答弁できないのか、禁止する法律があるのなら
それを示せ、と電話で怒鳴りつけ、ようやく実現したのだった。

報告書が製造業の崩壊を意味しているだけに経済界や政界にも与えたインパクトは大きく、委員会には委員が全員出席し、
傍聴席も満員となった。
質疑は報告書に対する敵意に満ちて始まった。自民党を支持する経済界は製造業を中心としており、民主党は製造業の
労組を主要な支持基盤としているから、その雰囲気は当然の事でもあった。
その一方、出席している委員、傍聴人のいずれも、出所不明とはいえ、経済産業省の一部局が書いたと噂されている
報告書を大きな不安感を持って受け止めていることも、露わとなっていた。
あまりにも長すぎる日本経済のデフレや、台頭著しい中国経済、イスラム世界の複雑極まる紛争、テロへの恐怖等
から生じる、日本の将来に対する不安感が、最強と信じられてきた製造業の崩壊という論調に火をつけられて、
一挙に爆発しそうになっているようだった。

しかし、委員会の質疑は事務次官の独壇場だった。
騒然とした雰囲気の中で、次官は、自民党の質問には、ユーモアを交えて製造業特に大企業の崩壊がありえないことを
諄々と説き、民主党の質問には、時には獅子吼して質問者を圧倒し、その崩壊がありえないことを納得させた。
共産党の質問にはそっぽを向いて一言の下に切り捨て、その冷酷な態度が、自民党や民主党に次官の答弁をさらに
信用させる素にもなった。
その自信満々の答弁が、次第に傍聴席を埋める経済界の代表たち、あるいはその使者達の緊張を和らげ、次官の
ユーモアには笑い声すら上げるようになり、委員長の叱声を招いたほどだった。当初は緊張して始まった委員会
だったが、終わりごろになると和やかなものに変わりつつあった。

最後の質問者として立ったのが、かつて通産大臣も勤めた自民党の長老議員だった。長老議員は微笑みながら簡潔に
この報告書の中身である製造業の崩壊について大臣の最終的な見解を求めた。
経済産業大臣が右手を高く上げると、 委員長が「経済産業大臣」と独特の抑揚をつけた少しトーンの高い声を発し、
発言を許可した。
大臣が立ち上がり、ゆっくりと発言台に向かった。それまで若干のざわめきが委員会室に流れていたが、
シーンと静まり返った。

「まず最初に、当省の文書ではないかと云われている報告書の件でございますが、もとよりこれは経済産業大臣特命担当室
としての文書ではございません。」
次官がカッと目を見開いた。「特命担当室としての」という大臣の発言に反応したのだ。自分は「経済産業省はもとより、
特命担当室の文書ですらない」と公言した。大臣は「経済産業省」という文言をはずし、かつ「特命担当室としての」
と発言し、わざわざ「としての」という文言を付加している。明らかに意図的だ、と思った。大臣の発言は、
取りようによっては、これは、経済産業省即ち経済産業大臣がオーソライズした文書である、特命担当室といった単なる
下部組織の文書ではないと発言した、と取られてもやむをえない表現になっている。

しかし、次官以外の出席者は、次官の明快かつ強硬な否定の余韻に影響されて、大臣もまた次官と同様に、この文書の
真正を全面否定したと受け取った。
「この中に記載されている、「製造業の崩壊について」、でございますが、次官が繰り返し答弁いたしましたように、
わが国は、明治以来一貫して製造業に依拠して国造りに邁進して参りました。わが国が今日あるは、製造業をわが国産業の
基本に据えた偉大な先人の先見性と、これに応じて日々渾身の努力を惜しまなかった経済人、労働者等など総ての
国民皆様方のお陰でございます。
わが国が世界第二の経済大国として今日あるのは、製造業のお陰でございます。」
大臣が、少し間をおいた。息を整えるために間をおいたのだろうと、皆が思った。しかし、次官だけは、大臣が何処まで
真意を云う事にするか、決心が付かないでいる、と気付いた。

「この製造業が、この文書に記載されております様に、全面的に崩壊するなどといったことが有り得るでしょうか。
私は、これまでがそうであったように、これからも総ての関係者、総ての国民が必死の努力をしていただくことにより、
製造業が発展するであろうことを切望し、かつ、そのように確信をしております。」
大臣は委員会室を見渡し、深々と一礼して発言を終了した。
委員会が終わった。

出席者は大臣の発言にほとんど興味を示していなかった。委員会の最後にいつもある、議論を締めくくるための「お経」
のようなものだと受け止めたのだ。
次官は違った。
大臣の発言の最後の「国民が必死の努力をしていただくことにより、製造業が発展するであろうことを切望し、かつ、
そのように確信をしております」の部分が昨夜レクした答弁メモと異なっていることに気付いたからだ。
答弁メモでは、「製造業が発展することを確信し、かつそのように切望している」となっていた。メモでは確信する
ということを最初に言うことにより、製造業がこれからも発展することを経済産業省として約束し、大臣個人としても
そのように切望している、という意味になっていた。
これを「国民の必死の努力より」という言葉をわざわざ付け加えて「切望する」を先にいい、「確信する」を後に
言うことによって、製造業の発展は単に「切望する」ことにとどまり、「確信」しているのは「国民が必死に努力する」
ということだけだと、と解釈することも可能なように変えられている。
それに、製造業が崩壊するかどうかが質問の内容なのに、そのことについては「全面的に崩壊することがありうるで
しょうか」と疑問を呈しているだけだ。しかも疑問を呈しているのは「全面的な崩壊」で、「一部の崩壊」は疑問を
呈することから除外している。昨夜のメモでは、「製造業の崩壊はありえないものと思料する」となっていた。

大臣がドアに進みながら次官の顔をチラッとみた。次官は大きく頷き、大臣の発言の意図は分かったと合図をした。
「大臣は四つに組みたいのだな。よかろう、四つに組もうじゃないか。相手にとって不足は無い。」と決意を固めた。


翌日の各紙は「経産省、製造業の崩壊を全面否定」と題して次官の答弁を詳細に紹介していた。
衆議院経済産業委員会における質疑の後、次官は参議院の審議もこなし、マスコミの取材も精力的に応じて、
いずれも製造業の崩壊という考え方を笑い飛ばし、全面否定した。
これに応じて、一般紙はもとより経済専門誌も、製造業の崩壊や観光産業の育成という報告書の内容を取り上げる
回数も次第に減っていき、逃げ足の速いマスコミらしく、新日鉄の世界戦略や、トヨタをはじめとして日本企業の車が、
アメリカでカー・オブ・ザ・イヤーの全車種を独占したという記事を華々しく取り上げたりした。
経済界や労働界も落ち着きを取り戻し、報告書はガセネタという次官の説明が全面的に信じられるようになった。
経済産業省でも、観光立国という言葉は、怪しげなもの、或いは、それらしく見えるが実体の無い、決して実現
しない説や行動の代名詞として使われるようになった。例えば、マージャンではチョンボという言葉の代わりに
使われたし、ゴルフではグリーンで、「カンコー・カンコー・カンコーリッコク」と唱えると相手のパットは入らない、
という笑い話まで広まった。

省内の冷たい空気の中で、特命担当室では、岡本の叱咤激励の下、報告書の内容を支える資料の収集・整理や、
文章を整理し、解り易くするための報告書の読会が精力的に続けられた。
しかし、田村は「任せる」といって、報告書の読み会も殆ど参加せず、読み会の結果を知らせる岡本の報告にも、
頷くだけで、殆ど意見を言わないようになった。
時折、岡本がパーテーションの中を覗くと、腕組みをしたままパソコンを眺めていたり、うつろな目をして、
窓の方を眺めて呆然としていることが多くなった。

五月のゴールデンウイークが過ぎ、遊び気分がすっかり払拭された時期に、株式市場では日経平均がジリジリと
下がり始め、為替は円安に振れるようになった。
中国経済の活況から日本経済も上向きだし、デフレは終了した、と日銀が発表しても、この傾向は止まらなかった。
輸出産業で支えられている日本経済にとって、円安は深刻に大きく議論されることではなかったが、活況を迎えつつ
ある日本の企業の株が値を少しずつではあるが下げていくことは、理由がわからないだけに余計不安を持って
語られるようになった。
一部の経済専門誌では、中国経済の台頭から、円安と株式の値下がりを関連させて、ついに日本売りが始まったのでは
ないか、とする論調もちらほらではあるが出始めた。
そのような論調の影で、経済がわからない若い大臣が、勝手に役所の組織を無視して自分専属の組織を作り上げ、
果ては無責任な文書を不用意にばら撒き、市場に間違ったメッセージを送った所為ではないかと囁かれだした。
無責任な文書については、賢明な経済産業省次官が必死にこれを取り繕い、何とかその影響を最小限に抑えてくれたが、
その後の大臣の言動が次官の折角の努力を減殺している、というのである。
一部の週刊誌には、「暴走する大臣」と題して、事務方と議論する大臣の主張の一部が意図的に面白おかしく
取り上げられるようになり、その内容から内部情報に基づくものであることは明らかだった。ついには、経済産業大臣の
更迭の時期はいつか、という予測記事さえ出始めた。

「はい、いらっしゃいます。すぐにお伺いするとお伝えください。」
岡本が受話器を置き、パーテーションの中を覗きこんで、次官がお呼びです、一緒に参りましょう、と田村を誘った。
次官室に入ると、次官はすでに応接セットに座っていて、次官の前には、表紙に報告書と題され、下の方に経済産業省と
書き入れた3通の文書が置いてあった。
次官は二人が座ると、報告書を手渡し、読むように促した。
田村は、ぱらぱらとめくって斜め読みすると、すぐに目の前においた。岡本は、眉間にしわを寄せながら丁寧に読み、
読み終えると、「これは何ですか」と次官に大きな声を出した。
「それは俺が聞きたい。これは君たちの文章か」
すぐに、決然とした口調で田村が応じた。岡本が返答するいとまも無い素早さだった。
「こんな文章が、特命担当室としての文書である筈がないでしょう。」
「しかし、前回の文章の改造だ。」
「前回の文章も特命担当室としてのものでないし、これもそうです。」
「特命担当室としての文章ではない、というのは確かか」
「確かです。」
岡本がテニスの試合を見るように、交互に次官と田村の顔を見ていた。
「これが世の中に出ようとしている、いいのだな」
「我々は意見を言う立場にありません。」
「わかった」と次官が呟いた。
と田村がすぐに立ち上がり、岡本を促して次官室を出た。岡本はびっくりした。次官の話が終わったことも確認せず、
次官の許しも得ていないからだ。

田村は、部屋に戻ると、自ら秘書課に電話をして3階の会議室を借りると、室員全員に緊急の打ち合わせ会議を
することを伝えた。
みんなが席に着くと、次官から受け取った報告書と題する文書のコピーを配った。
「この文書が、世の中に出回ろうとしている。いや、もう出回っているかもしれない。中身は読んでくれればわかるが、
荒唐無稽だ。
概要を言うと、製造業は潰れない、潰れるどころか、産業によっては中国に抗して、或いは中国と一体となって、
更に発展を続けるだろう、その中で、観光産業も日本の発展を担う一翼となるだろう、というものだ。
その実現が不可能であることは、我々は良く知っている。
しかし、文章表現は我々が作った文章に良く似ている。いかにも、特命担当室が前に漏れた文章の内容を反省して、
新たに作成したように見える。確かに、新たに付け加えられた文章の中に、特命担当室でなければ書けないように
思える部分も有る。
しかし、これは糞だ。無視していい。
これは特命担当室としての文章ではない。」
岡本はびっくりした。礼儀正しい田村が、「糞」などという下品な言葉を使用したこともあるが、次官室以来
「特命担当室としての」文章ではない、という奇妙な言葉遣いをしているからだ。
「実は、私は皆さんに謝りたい。
私が最初に皆さんに指示した内容が、間違っていた。
最初の指示は、製造業が潰れる、潰れるから観光産業を育成する、そこで、観光産業育成の方法論を作ってくれ
というものだった。
この発想は後ろ向きだ、こんな後ろ向きの発想で、今後100年間の日本の産業が育成できる筈が無い。
後ろ向きの発想だから、皆さんを混乱させ、世の中を混乱させているのだと思う。
これは私の大チョンボだ、いや今や、チョンボは、カンコウリッコク、というのだそうだが。」
皆が笑い声を立てた。
「明治維新以来、160年がたった。その間は脱亜・入欧が合言葉だった。戦後60年は特にそうだ。そもそも、
明治維新で富国強兵策として脱亜・入欧を計ったのは、外国の侵略から日本文化を守る為だった。これを忘れた為に
不必要な中国侵略をし、太平洋戦争を起こした。あの時代ですら、日本はその文化を守りつつ、中国やアメリカと
仲良くしていく力を十分に持っていた。
もう十分だ。日本はもう十分に発展し、十分に力を蓄えた。今は、あの時代以上に、国民が日々の生活を幸せに
過ごしつつ、独特の文化を守り、更には発展させることが出来る。既にそういう時代になっている。
皆さんにお願いしたいのは、こういう時代認識の上で、失われつつある日本文化を再生し、更に発展させる為には、
どういう国土を創造したらよいか、どういう経済体制であればいいか、ということだ。
これについては、皆さんがたには、もう十分に勉強してもらい、みんなで十分に議論をしてきた。
今持っている我々の知識で、今言ったことは十分に書けると思う。
製造業が潰れるかどうかということはどうでも良い。記述する必要すらないだろう。

大事なことがもう一つ有る。脱亜・入欧は外国侵略から日本文化を守る為だった。脱亜・入欧を廃止したら、
それに代わる新たな国防の理念が必要だ。
アジア大陸の東端に浮かぶ我が国がその文化を守る為には、軍の力による国防よりも、まず最初に、
産業経済体制そのものが、外国の侵略を招かないようなものにすることが必要だろうし、また、わが国の侵略に
対する恐怖から無用の戦争が起きないように、外国を侵略する必要のない産業経済体制にしなければならないだろう。
その上で、軍の力による国防体制は如何にあるべきか、考えてほしい。

そこでこれからの作業だが、我々の持ち時間はあと3ヶ月しかない。そこで、改めて役割分担を決めたい。
まず、報告書の構成であるが、これは岡本さんにお願いしたい。岡本さんで全体像をまとめて、項目を決めて
もらいたい。その項目ごとの役割分担は、これまでの役割で書きやすい人に割り当てるべきだろう。そうすると、
日本文化に関連する時代認識は堺さんのチームだな、産業体制の整備は青木さんのチームでいいかな。安全保障は、
人数が一人多い青木チームでやってほしい。
大枠はそうするが、作業の進捗状況によっては、チーム相互で乗り入れが必要だろう。山本、杉山、藤下さんは、
岡本さんや他の係長から直接指示を受けたりすることもあるでしょう。了解してほしい。」
会議は短時間で済んだ。
次官から示された報告書は、いまや時代錯誤の古文書として、室員の意識からすっかり外れてしまった。
しかし、岡本は田村の奇妙な言葉遣い、突然のリーダーシップの発揮に、次官から示された報告書の不可思議さが、
益々、頭にこびりついた。

次官が示した報告書が、経済界やマスコミに流れ出し、関係者の間で広く読まれているようだった。2週間程経て、
ぽつぽつと一部の経済誌にその内容が簡略化されて載るようになった。次官の否定にもかかわらず、マスコミや関係者の
間では、これが経済産業省の真意、若しくは公式見解と受けとられているようだった。
つまり、前回の報告書が次官の全面否定にもかかわらず、一部の市場関係者から真実のものと誤解されてしまったので、
たまりかねた経済産業省が、その真意をこういう形で世の中に公表したものと受けとられたのだ。
この文書の効果かどうかは定かではなかったが、市場の株の値下がりも底をつき、円安も勢いを失って安定するようになった。
そして、株式や為替の安定とともに、経済産業大臣の更迭論も尻すぼみとなって、何時しか関係者の間では、品の悪い冗談と
考えられるようになった。

作業の開始以来一月を過ぎ、いよいよ特命担当室の職員の勤務振りが苛烈になってきた。室長は3ヶ月といったが2ヶ月で作れ、
と岡本が厳命したからだ。流石の青木も目の下に隈を作るようになり、饒舌だった堺も滅多に冗談を言わなくなった。
そこで室内は、時折小声で議論する声が聞こえるほかは、キーボードをたたく音だけが響くようになった。
ある朝、岡本が出勤すると、青木チームが泊り込んだらしく、3人ともぼんやりした顔をしていた。
それを見て、岡本が 「今日以降、泊り込みを禁止する。どうせ寝なきゃならんのだから、家に帰って寝ろ。そのほうが
疲れが取れる。」と宣言した。
「エーッ、私らは通勤に1時間半もかけているんですよ。勘弁してくださいよ」と杉山が抗議した。
「ならば、遅くなったらホテルに泊まれ、それくらいは俺が面倒見る。」
「ホテルより、やはり自宅がいいでしょう。今まで気づかなかった俺が悪い。今後は遅くなったら、タクシー券を渡す。
遠慮なく言ってくれ。タクシーに乗る時間も惜しい時はホテルに泊まってもいい。領収書をもってこいよ。ただしなるべく
安いところにしろ」
「オイ、堺君、大丈夫か?」
「任せてくださいよ、私はこれが本職の予算屋ですよ。今は下らない事務職の仕事ばっかりで、嫌になっていますがね。」

田村がすっかり変わった。前回の報告書作成作業の時には読み会さえ、席をはずしていたのに、今回は積極的に関与し、
時折岡本が持ち込む文章も熱中して読み、意見をよく言うようになった。しかも時には自分でも文章を作り、
担当の職員と熱心に議論する。
夜も岡本がいくら薦めても職員が帰る時近くまで居残るようになり「お疲れでしょう」と声をかけると、
「私は貴方より若いんですよ」と冗談を返すようにもなった。
作業が進むに連れ、職員全員の作業が噛み合ってきて、少しずつ報告書の原案が骨格を現してきた。
報告書の到達点が見えてきて、作業はむしろ単純作業になってきた。文章を考えに考え、練りに練る作業は通り過ぎたのだ。
そうなると指揮官の岡本は返って暇になってきた。
青木が上げて来た文章のテニオハを直しながら、前から気になっていた次官と田村の奇妙なやり取りを思い返した。
「特命担当室としての文章ではないな」と聞く次官に「特命担当室としての文章ではない」と答える田村。
「特命担当室としての文章ではない」とはどういう意味か。「としての」とわざわざ強調したのはなぜか。
岡本はハッと気づいた。田村は、特命担当室という組織が書いた文章ではないが、その室員が書いた文章だと答えたのでは
ないか。岡本以下の室員があの文章を書くはずが無い、その暇も無かった。ならば、田村が書いたのか、そうだ、田村だ。
だから読み会にも参加せず、その間に文章を作っていたのだ。室員に悟られないようにしたのだ。
次官はどうか。次官は特命担当室の誰が書こうと興味は無いはずだ。ではどういう意味か。
次官は「特命担当室としての文章ではないな」と糺した。そうだ、これは大臣が承認した文書かどうかと聞いているのだ。
大臣が承認したら、特命担当室という下部機関のレベルを超えて大臣の文書になるからだ。
次官は、「この報告書が外に出てもよいのか」と念を押した。これに対して、田村は「意見を言う立場に無い」と答えて
外に出ることに反対しなかった。この返答を、次官は、大臣が製造業の崩壊という考え方を既に放棄しており、
その考え方を変える可能性はない、これがまだ公開されていないのは文章表現に迷いがあるだけだ、最終的な
文章確定前の中間的なものとしてなら差し支えない、という意味と理解したのだ。
だから次官は、大臣はすでに製造業の崩壊という考え方を放棄している、間違いだったと認めている、その証拠の文章が
これだ、と密かに付け加えて関係者に流したのだ。
だからこそ、関係者がすっかり安心し、その結果、株と円の値下がりが止まったのだ。
しかし、それならこれは、次官の誤解を利用した田村の陰謀ではないか、いや誤解を利用したのではない、
わざわざ文書を作って誤解させたのだ。しかも、容易に誤解するように、大臣や田村の意図に反して漏洩した
もののように見せかけている。大臣が、自分の考えかただ、と言って手渡しても、次官は決して信用しないだろう。
手の込んだ仕掛けをしたからこそ次官が信用し、株と円の市場も信用したのだ。そこまで周到に計算した陰謀なのだ。
そうだ、その直後に田村が示した不思議な高揚感は、計画が見事に的中したからなのだ。

宿舎の前の小さな公園のブランコに女性が座っていた。こんな夜遅くどうしたのだろうと見つめると、その女性が
立ち上がって近づいてきた。シモーニュだった。
宿舎に入り、コーヒーを沸かしてシモーニュに手渡した。シモーニュが小さく「ありがとう。」と呟いて
受け取った。自分のカップにも注ぎ、シモーニュの前に座った。シモーニュは、二人がまだ一緒に住んでいた頃の
田村の席に座っていた。それを見て田村は以前のシモーニュの席に座った。席のとり方が、二人が別れたということを
示しているようだった。
「元気そうだな、しかし何で此処に来た?」と田村が呟いた。
「来たかったの」
「なんで?」と言って、俺は馬鹿なことを聞いてる、と田村は思った。
「一緒に住みたいの、住んでいい?」
「山中とはどうなった?」
「すぐに別れた。」
「生活は?」
「フランス語の教師」
「じゃあ、いいじゃないか」
「そんなことじゃないのよ、一緒にいたいのよ、一緒に住みたいのよ」
「駄目だ」
「どうして、15年よ、15年も一緒に住んだのよ。たった一度の過ちを許してくれないの。どうして?」
「過ちはとっくに許している。この家を出ろといった瞬間から許している。しかし、君は俺の書類をコピーして
山中に渡した。俺の目を盗んで密かにコピーをした。それが許せないんだ。君がびくびくしながら山中の為に
コピーをしている、その姿を時々想像する。恐らく生涯忘れられないだろう。しかも俺は、
そういう君を利用した。そういう姿の君を利用した。俺自身も許せないんだ。」
「私はそんな大事な書類なんて、し・・・」
「言うな、聞きたくない。大事な書類かどうかは問題じゃない。山中のためにコピーをしている姿の
君が許せないんだ。それを利用した俺も許せないんだ。」
「あなたが私を利用した?・・・・二度目?・・・二度目は私を利用したの?わざとコピーさせたの?・・・・
わざと山中へ?」
「そうだ」
「・・・・・・・・・そう」
シモーニュが立ち上がって、上から田村を見下ろした。

田村は、窓から、街灯の薄暗い灯りの中を去っていくシモーニュを見送った。シモーニュは一度も振り返らず、
足早に去っていった。


 会議室で特命担当室の全員が黙って座っていた。
「もう一回読みましょうか?」と青木が田村に聞いた。
「いやいい。」
室員の前に、報告書という表題の数ページの文書、2センチほどの厚さの資料集、3センチぐらいの厚さの
想定問答集がおいてあった。担当室発足後の10ヶ月の悪戦苦闘の成果の総てが、この三つの書類に凝集されていた。
田村は、青木が読み上げた報告書の内容を反芻していた。
報告書の冒頭は、「第一 日本国の国家目標」と題されていた。
冒頭は「アジア大陸の東端に浮かぶ海洋国家日本」という文章で始め、この日本に東アジア一帯から多数の民族と
文化が渡来し、渡来した民族が、融合し、発展し、創造されてきたものが日本人であり、争うことなく全てを包容し、
全てを融合し、全てと調和する独特の文化が日本の文化であること、そして、この日本文化の育成と発展が、
数万年にわたる日本人の営みであり、数千年にわたる日本という国家の存在理由であり、目標であると宣言し、
今後も、それに向けて全力を尽くすという決意を表明していた。

次は「第二 日本文化と自然」と題され、これが(1)と(2)に分けられており、その(1)は「日本文化と自然の特徴」
となっていた。
冒頭は、北は寒帯に属する国後・択捉島から、南は熱帯に属するマリワナ諸島の沖ノ鳥島までの国土と、太平洋の波に
洗われる海岸から、雪をいただいた富士山や日本アルプス等の高山地帯を記述して、広大な緯度と著しい高度の違いから
生じる変化の激しい国土や、明確な四季をもつ気候から生じる自然や多種多様な動植物の美しさ、素晴らしさを詳細に
述べるものとなっていた。
しかし、この項の重点は、自然の美しさや動植物の多様さ等ではなく、これらが自然を愛する日本人の文化によって
維持・保存され、さらに推進されてきたということにあった。
即ち、一見自然そのままに見える森林もその多くは、数万年にわたり日本人が営々として牧してきた結果である、
例えば、自然そのままに見える関東平野の武蔵野の雑木林は、薪炭を賄う為に江戸開闢時に始められた植林と
数百年にわたる手入れ・保存の結果であり、また全国に広がる里山も同様である。
また、古来から営々として造成されてきた池、運河、そしてこれらを利用した水の循環使用により、稲田、
山間の棚田などが始めて可能となっている。
そして、これらはいずれも自然を壊さず、自然と調和する日本人の文化の結果であり、さらにまた、
このような古来から日本人の文化により牧されてきた自然の恩恵は、人間のみならず多数の動植物にも及び、例えば
人間の居住地近在に、鶴、コウノトリ、朱鷺などの大型鳥類の生息をも可能にしてきた、としていた。

そして、このように自然を愛し、自然と調和する生き方を選んできた日本人の文化が、全国土にあまねく調和した、
美しく恵み豊かな自然を創造し、保全している、と主張していた。
そして最後に、このように美しい自然を育ててきた日本文化は、自ら育ててきた自然に育てられ、成長してきた
ものであり、自然と日本文化は一体であり、そのどちらが失われても、他方は存続し得ないものである、
と指摘していた。

(2)は、「日本の自然と文化の現状」とされていた。
冒頭は、今なお美しい日本の自然と日本の文化を賛美する文章で始まっていたが、絶滅した朱鷺を惜しむ言葉が
現れると、絶滅寸前のコウノトリや圧倒的に減少してきた鶴、失われていく里山、棚田などが続き、さらに、
山野を埋め尽くす高圧電線の鉄塔、白砂青松の海岸や自然のままの河川の減少、そこに生息してきた日本古来の
動植物の絶滅や減少を指摘し、また日本文化についても、自然を尊重し調和してきた古来の風潮が薄れてきた事を
嘆き、次第に現状を深く憂う、暗いトーンに変わっていく。
そして最後は、このような現状が続くと、日本の文化と自然がついには失われ、日本という国家の崩壊にも至ると
予測し、その時期は目睫の間に迫っていると、強い警告を発するものとなっていた。

第三は、「日本文化と自然の再生のために」、と題されていた。
冒頭は、日本文化と自然の再生は一体不可分のものであるとするとともに、日本文化と自然の再生が全国土に
あまねく必要であるが、そのためには、全ての地域において地域ごとの固有の文化と地域ごとに特徴のある自然の
再生こそ必須であると宣言されていた。

その実現には、親から子へ、子から孫へ、と幾世代にもわたる文化の伝承が必要であり、このような文化の伝承を
可能にする社会経済体制の整備が必要であると続き、そのような社会経済体制は、競争よりも調和によって、
グローバルスタンダードよりも地域ごとの特性によって構築され、発展させるべきものされ、そのような産業の
代表的なものとして、まず農業の再興、振興が謳われていた。
そして、再興される農業は、人間の生存のみを目的とすることなく、稲田や棚田、灌漑用水、里山等を生息の場所
とする動植物と共存し、調和するものでなければならないものとし、このような農業は、古来から日本文化の主要な
担い手であり、今後も文化を発展させる主要な担い手として、保護・育成されるべきものとされていた。

 そして農業以外の産業についても、地域文化の伝承を妨げるものであってはならず、地域文化の発展と自然に
易しい産業を重点的に育成するものとし、古代からのタタラ製鉄の原料と製造方法を継承し、更に発展をさせて
世界一の品質の剃刀用鋼鉄を生産している日立の安来工場等を例として、日本文化と密接につながる産業の育成の
必要性を強調し、更に、世界で始めてテレビの製造に成功し、その技術をを継承して高性能の光検知管を世界で
独占的に生産し、且つノーベル賞の受賞に貢献した浜松フォトニクス等を例に、世界で例の無い新しい技術、
製品の開発を推奨するものとなっていた。

 また未来の産業として、広大な海底や豊富な海水を利用した新エネルギーや新製品の開発を例としてあげて
産業技術の開発を促すとともに、その研究体制を中央に集中させる事なく、各県の大学等を中心とする地方主義を標榜し、
産業だけ無くあらゆる面において、地方重視をうたうものとなっていた。

 続いて、「土木」という言葉が、紀元前一世紀ごろの中国古典『淮南子(えなんじ)』の「築土構木」即ち
民の生活を向上させるために「土を築き、木を構えた」故事に由来している事を紹介しつつ、高圧電力線の地中化、
美しい海岸の復活や、コンクリートで覆われていない堤防や河川の再構築、更には、海中の藻場の再生技術や、
海藻の繁茂しやすいテトラポット等を例に挙げ、植物や動物と共存し、あるいはその生存を支援する環境に
易しい工事を、今後の公共工事の中心におく事により、失われた日本の風景と環境を取りもどし、日本文化の復興に
寄与するものとしていた。

 このような産業を背景として、歌舞伎、茶道、日本画、映画、アニメなどの芸術振興、日本文化としての和服の
奨励などに加えて、このような芸術・文化と美しい風景・環境は日本人だけのものでなく、広く世界に開かれるべき
ものであり、その見地からの、宿泊施設、交通、高速道路の整備とともに観光産業の振興を図るものとされていた。
そしてまた、これらの産業政策の推進に当たっては、日本文化の父祖の地である東アジア一帯の発展のために、
日本の先進産業の技術供与を進展させ、国内では東アジア諸国の産業と競争関係にたたない産業を志向することが
肝要であると付け加えていた。

最後の第4は、「日本の安全と生存の保持」と題されていた。
「安全と生存の保持」が、憲法前文の「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」
の中から引用した文言が象徴するように、その冒頭は、戦いを否定する日本文化の特徴から、国家防衛は基本的に
軍事力に頼るのではなく、産業経済体制そのものから、外国の侵略を受けないものにするべきだと宣言し、そのため、
近隣諸国と競争関係に立つ産業はわが国の主たる産業とするべきでなく、わが国の独立と安全が近隣諸国の
産業経済体制にとって不可欠若しくは裨益する産業を主たる産業として育成し、発展させるべきものとしていた。
そして更に、発展途上にある近隣諸国に、わが国の先進産業の技術を惜しみなく供与し、その更なる発展に寄与する
等により、近隣諸国の信頼を勝ち取るべきだとし、このような信頼による経済体制の構築こそ日本防衛の主たる
手段である、としていた。

そのうえで、日本文化の父祖の地である東アジアに、わが国の軍事力が展開する事は、とりもなおさず、日本文化
そのものを否定し、蹂躙するものとして、いかなる理由があろうともあってはならないことが国是であるとしていた。
このような手段を講じてもなお起こりうる外国の侵略については、日本独自の先進技術を装備した最先進の軍事力に
よる専守防衛手段のみで対応すると宣言していた。

また一方、世界の平和と安定が日本文化の安全に取って不可欠であるとしつつ、日本の専守防衛の先進的軍事力が
効果を持ちうる場合には、世界全域の安全保障にまい進してきたアメリカとの合意を前提として、アメリカ軍と
協働する場合にのみ、最終の手段として兵力派遣もあり得るとして付記していた。

以上の内容は、前回の製造業の崩壊を理由として、観光産業育成を主たる柱としていた報告書とは全く様相を異にし、
観光産業は、外国人が日本を訪問し易くなるような施策の中で、わずか数行だけ触れられているだけだった。また、
祖国防衛の見地からの近隣諸国と競争関係に立たない産業の育成という表現や、東アジア諸国に対する先進産業の
技術供与という施策が、読みようによっては、製造業の崩壊を意味するものでもあったが、製造業の崩壊という
言葉自体も、どこにも無かった。

 そして、全体を通覧し、注意深く読むと、前回の報告書の内容を、日本文化の維持発展や再生という言葉をキ
ーワードにして、整理したものに外ならなかったものの、前回の報告書とは正反対に、日本の明るい未来を謳い上げて
おり、全く別物の印象を与えていた。
前回無かった日本の防衛構想も日本文化の維持・発展をキーワードとして、その父祖の地即ち東アジアは決して
兵力で蹂躙してはならず、東アジアへの兵力派遣は日本文化を否定するものとする一方、世界の平和の維持のためには、
アメリカとの同盟関係をいっそう強化し、アメリカ軍と協働であれば自衛隊の派遣もありうるとし、アメリカが
世界の警察軍である事を暗に認め、そのドル支配を容認し、推進するものとなっていた。
 
「どうです、もう一回読ませましょうか?」と今度は岡本が聞いた。
 田村はにっこりと笑って、「必要ありません。皆さんさえよければ、これで行きましょう。大臣も喜ばれるで
しょう。」と答えた。