定年後の日々 イマジン 1送別会の夜 定年退職者の送別会、これほど悲しいものはない。 退職者は万感胸に迫っているが、送る者達は、ほっとしている。 送別の辞は、いつも決まっていて、退職者がどんなに優秀で、どれほど業績をあげてきたか、 ということに尽きる。 そんなに優秀で業績を上げた大切な社員なら、定年の日を延ばしてもよさそうなものであるが、 決してそういうことはない。 上層部は、50歳を過ぎた社員は誰でも早く辞めて欲しいと思っている。一人の給与で 若い人なら3、4人は雇える。 それなのに、なんとかかんとか粘られてしまった結果が、定年退職なのだ。 後輩たちは、これまた待ち望んだ嬉しい時を迎えている。退職者のポストに直接昇進する者だけでなく、 芋づる式に数人が出世できるからだ。 定年退職者が担当部長や課長なら、その上司の部長も喜ぶ。 部長としては、使いづらい年上の先輩であるし、かつ定年までに部長職に上れなかった社員として、 その程度の能力しかない、お荷物だと思っているからだ。 つまり、定年退職者の出現は、そのポストの上下にかかわらず、会社の全てが大いに喜ぶ。 転任の場合は、仮に左遷であっても、ひょっとしたら復帰があるかも知れず、それなりの敬意を払って送り出す。 しかし、定年は、決して復帰はありえない。 今日この会場を送り出したら最後、今生の別れでもあるから、心無い社員はこのときとばかりに、冷たい 言葉を浴びせる者もいないではない。 わが社の送別会は、最後に、所属する部の最年長の女性が花束贈呈をし、職員全員で星影のワルツを歌い、 送り出す。これが慣例である。 星影のワルツは、転任の場合であれ、定年の場合であれ、送別の場合はいつも詠われる。しかし、定年の場合は、 特に皮肉に聞こえる。何故なら、「別れることは辛いけど、仕方がないんだ、君の為・・・」と言う歌詞で始まるからだ。 辛くはないのだ、嬉しいのだ。 君の為ではないのだ、会社の為、自分達の為なのだ。 今日は私の送別会だった。 辛く当たった部下がこのときとばかりに、皮肉を浴びせるかもしれないと覚悟していたがそれは無かった。 上司や部下からの慣例どおりのスピーチがあり、私も慣例どおりの感謝のスピーチを返して、淡々と時間が過ぎた。 そして星影のワルツの後、大きな花束を手に持たされ、めでたく会場を送り出された。 一昔前まではハイヤーが用意された。こんなご時世で、それもない。タクシー券すら渡さない。 白髪頭の男が大きな花束を抱えて電車に乗れば、定年退職者だと皆が気付く。 何とか無事に定年まで勤められたから勝ち組とも言えるが、反面、役員になれなかったから負け組みとも言える。 周囲の通勤客も、複雑な思いがあるから、決して目を合わせようとはしない。 花束を抱えて電車なんかに乗るものか。そうだ、駅までの間に小さな公園がある。公園の屑入れに捨てよう。 公園に入っていくと、ベンチにホームレスが寝ていた。老婆だった。 ホームレスは不思議だ。誰も穏やかな顔をしている。それに、禿のホームレスはほとんどいない。誰の頭も、 汚れてはいるが真っ黒の髪がふさふさとしている。ストレスがないからだろう。 ホームレスは、ストレスに弱く競争社会に適応できない人がなる、と何かで読んだ事がある。 そういえば、女性はストレスや競争には強そうだし、弱いと思っている女性はそもそも最初から組織に入らず 家庭に入る。だからホームレスになる必要がないのだろう。考えてみれば、女性には禿もいない。 ストレスがないからだろう。きっと、そうだ。 ところが、最近は女性のホームレスもぼつぼつと見られるようになってきた。 それほど住みづらい世の中になったのだろうか? それとも、ホームレスが気楽で素敵な商売だ、と女性も気付いてきたのだろうか? しなびた老婆だった。不健康に色が白く、むくんでいるようでもあった。ホームレスは、見つめられても、 決して見返さない、目をそらすのが普通だ。妙なことに、この老婆は平然と見返す。それで、目が合った。 しなびた老婆なのに、目だけが違っていた。清潔そうな白目に、漆黒の瞳を持っている。その目が 微笑んだように見えた。 不意に、そうだ、この老婆に花束を渡そう、と思いついた。微笑んで差し出すと、ぼろきれの中から、 ワシの足のような骨ばった手が出てきて、ガシッと花束を掴んだ。ビックリした。 汚い指の爪がピンクにマニキュアされている。 不気味だった。 かかりあいになっては拙いと慌てて離れた。 送別会の後は大抵二次会がセットされている。しかし、決して定年退職者は招かれない。 悪意があるのではない。退職者は、送別会終了と共に社員ではなくなる。心理的に切り離されてしまう。 だからなのだ。 現役時代は、この事になにも違和感は感じていなかった。家族が待っている、早く返してあげるのが、 思いやりだろう、というぐらいにしか思っていなかった。 違うのだ、思いやりでないのだ。単に仲間ではないから誘わないのだ。 とぼとぼと駅に向かって歩いているうちに、急に寂しくなった。 自分が哀れになってきた。 ちょっと休んで帰ろうと、周囲を見渡した。 横丁に入る細い路地の角地に、小さな喫茶店があった。あれッ、と思った。こんな所に喫茶店が、 何時の間に・・・・、確か此処は花屋じゃなかったか・・・・・、それにしても、木造の感じの良い 建物で、しかも、その灯火が温かそうで、居心地がよさそうだった。 中に入ると、壁やテーブルが濃い茶色に統一され、昔風のソファーが4つ、5つ据えてあった。 ビバルディが低く流れていた。 懐かしかった。 学生時代、こんな喫茶店でよく女性と待ち合わせた。一杯のコーヒーで何時間も粘った。 当時は、ただ話すだけで、満足した。 何と幸せな時代であったことか。 それが、いつの間にか年月が経ち、還暦を迎えた。そして定年退職だ。 一体どうしたのだろう、どうして、60歳の定年退職者なのか。どうして、こんなに歳をとったのか。 コーヒーが出てきた。コーヒーカップを差し出す、ほっそりした白い指先、その小さな爪がピンクに 塗られている。美しかった。思わず顔を上げると、40歳代で色が白く、少し太めではあるが、 若い頃は美人だったという風情のママが微笑んでいた。 喫茶店のママには、時々こういう女性がいる。 自分で商売をしているからには、きつい部分もあるのだろう。しかし、それを一切感じさせない。 いかにも、おっとりした良家の子女、といった雰囲気だ。 そういえば、学生時代、こんな女性と付き合っていた。 女子短大の生徒で、故郷の萩市では父や兄が弁護士をしているといっていた。 おっとりとしていたが、時として激しい感情の起伏も見せる性格だった。 二年の学業が終わると、駅に見送りに行った私に「それじゃあねッ」と手を上げて、平気な顔をして 故郷に帰っていった。 そして、それっきりだった。 その後、いろんな女性と交際をした。 しかし、いずれも結婚までは至らず、最終的には、お見合いをして結婚した。いや、正確に言うと お見合いの場で知り合った相手と結婚したのだ。お見合いをした相手は、女房ではなく、女房の 二歳上の姉だった。 姉は、五人姉妹の三番目で、大学の四年生だった。お見合いの場所はその姉妹の長女の家で、長女が 丁度出産で留守だというので、女房が手伝いにきていたのだ。 お見合い相手の姉は、ころころと太り、良く喋った。大学ではアメフトのマネージャーとしてクラブを 切り盛りし、部員相手の麻雀は決して負けない、いい小遣いになる、とアッケラカンと自慢する。 姉の大学のアメフトクラブは関西の強豪として有名で、全国制覇もしていた。そのアメフトの巨大な 男達を相手に、けらけら笑いながら麻雀卓を囲み、小遣いをまきあげる様子が目に浮かんだ。 こんな女性と結婚したら、家庭では押さえつけられ、とんでもないことになる、と恐怖を覚えた。 際限なく喋る姉よりも、寡黙の妹が遥かに好ましく思えた。 しかも当時私は、髪の長い女性は女性的で優しい、と何の根拠もなく思い込んでいて、短髪の姉よりも、 長髪の妹がいいと思ったのだ。 結婚後聞いてみると、当時短髪のカツラが流行っていて、長髪だった姉は、わざわざ短髪のカツラを 被ったのだそうだ。しかもそのカツラは妹、即ち女房のものだったという。 自分も被りたかったが、お見合いをするのは姉なので我慢した、寡黙だったのはその時風邪を引いていて 喉が痛かったから、というのである。そのことは、結婚後直ちに真実だと納得した. 私は愚かだったのである。 のみならず、私は、本当に向こう見ずだったのだ。 五人姉妹の一人とお見合いをし、しかも、別の一人と結婚をする。こんな空恐ろしいことを良くぞ平然と 決断したものだ、とつくづく思う。 何か悶着を起こしたとする。女は一人相手にするのでも容易でないのに、それが直ちに五人になるのである。 この女房と30年余生活を共にした。二年目に娘が生まれ、三年後にもう一人出来た。しかし五ヶ月で流産した。 その後はもう出来ない。 女の子だった。 時々想像する。その子が生きていたらどんな子に育っていただろう。家庭に二人の娘がいたら、 どんな雰囲気の家庭になったろうか。 仲の良い姉妹が手をつないで歩いている姿、おしゃまな姉が妹を微笑ましく叱っている様子、つい振り返って、 いつまでも見てしまう。 いつの間にか、コーヒーが冷めていた。 何かお代わりを、と思ってメニューを見たら、スピッリツ・ティー、スピッリツ・コーヒーがある。ひょっとしたら、 ブランデイやウイスキーも飲ませてくれるかもしれない。駄目でもともと、と思いながらで聞いてみた。意外にも、 にっこり笑って承知した。 ブランデイを頼んだ。どうせ紅茶用のものだから最下級のものだろうと思っていたが、味は予想外だった。 口に含むと芳香が口中一杯に拡がり、遂には胸や頭の中まで浸透していく。心地よいだるさが身体中に広がり、 陶然となってくる。こんな素晴らしいブランデイは飲んだ事がなかった。 もう一杯頼んだ。 暫らくすると、体が空中に浮き上がるような、陶酔を感じ始めた。 人生は酒だ、酒こそ真実だ、酒があれば、他に必要なものは何もない。 心地よいまどろみの中で、美しい賛美歌のようなものが聞こえる、これはなんだろう、と意識を集中した。 「ほら、もう一時ですよ、店を閉めますよう・・・・、ほら、お客さん・・・・・」と繰り返している。 ママの声だった。 「エツ、ああ、ごめんなさい、もうそんな時間ですか・・・・・」すっかり寝入ってしまっていたようだった。 もう最終電車はなかった。どうしよう、と思案していると、ママが「これから私のうちでパーテイを 明け方までやります、参加者は気の置けない身内ばかりだから、歓迎してくれるでしょう、眠くなったら ソファーで寝ててもいいし・・・・・どうですか」と誘ってくれた。 家に電話をすると、女房が眠そうな声で返事をした。こういうこともあるだろうと予想していたようだった。 同僚達が返さないのだろうと誤解したのだ。 坂道を登り、右に折れて行くと正面に古い神社の森が見えた。 先導していたママが鳥居を過ぎたところで振り返り、眉をひそめて私を見守った。 ああ、神社を通り抜けて近道をするつもりだな、と頷きながら鳥居を過ぎると、ママが満面に笑みを浮かべた。 薄暗い街灯の中で白く浮かび上がった其の微笑みは、本当に神々しいほどに美しかった。 意外にも神社を通り抜けるのではなく、ママが指差す神社の森の中に、古いレンガ造りの洋館があった。 洋式の建物が、神社の雰囲気にぴったりとマッチして少し不思議に思えた。 緑青が吹いている青銅の重々しい扉を開けると、眩い光の下で、2・30人の男女が飲食しながら談笑していた。 二人が入っていくと全員が立ち上がり、一斉に盛大な拍手を始めた。ヒュウ、ヒュウと口笛を吹く者すらいた。 満面に笑みを浮かべたママが、「皆さん、ご紹介し・・・・」といい始めて名前を知らない事を思い出したのか、 途中で止め、振りかえると「自己紹介にします?」と問いかけてきた。 時間つぶしに立ち寄っただけなのに、何で自己紹介までしなけりゃならんのか、と思いつつも、 「山本といいます。私は・・・・」と自己紹介を始めたが、これ以上なんと云ったらいいのか、どういう風に 自分を表現したらいいのか、全く知らないことに愕然とした。 今までは「○○会社の○○部長です」というだけで、自分を余すところ無く表現できた。しかし、今は、 何もない。云う事が全然ないのだ。阿呆のように口をあけたまま、進退に窮した。冷や汗がどっと出てきた。 現役時代にこんなみっともない事をしたら、即座に降格だったろう。 何か云わなくては、と思い「私は今日定年退職をし・・・・」といいかけると、「おお、素晴らしい」と 一段と大きな拍手が起こり、足を踏み鳴らす者、ヒュウ、ヒュウと指笛を一層激しく鳴らす者など 大騒ぎになってきた。 自分のスピーチにこんなに反応があるのは初めてだった。なんとなく自信が湧いてきて、「これを機会に、 私は生まれ変わって、新しい世界で、新しい事を始めたいと思っています。」と続けた。 大きな歓声が起こり、誰かがクラッカーを鳴らした。まるで若いころに経験したクリスマスのドンチャン騒ぎの ようになって来た。 シャンペンが何本も抜かれ、繰り返し、繰り返し乾杯が行われた。私も其の乾杯にあわせて何回も、 何回も杯を干した。 乾杯の音頭は、「山本さんおめでとう!」というのが主で、このパーテイ自体が、まるで私の定年退職を お祝いする会のようだった。並み居る人々が「そうです、新しい生活です、良くぞ決断を!」とか「これから、 長い人生がありますよ、十分楽しんでください」などと、口々に励ましてくれた。 そうだ、引退じゃなく、出発なんだ、新生活の始まりなんだ、と次第に嬉しくなってきた。 嬉しさの中で、送別会の酒やビール、喫茶店でのブランデイ、それにシャンペンと度重なるアルコールが 次第に効いてきたのか、意識が朦朧としてきた。 気持ちよい意識混濁の中で、喫茶店のママが、盛んに祝福されていることに気付いた。しかもママが、 100歳になろうかという老人から祝福を受けて、感極まったのか老人の胸に顔を寄せて、感激のあまり 泣いているのである。老人が、子供をあやすようにママの背を叩いていたのが、印象的だった。 何だろう、彼女にも何かうれしい出来事があったのかと、心の隅でチラッと考えた。しかし、私は、 それから急激に酔いが回ったようで、その後の事は何も覚えていない。気がついたら、 朝日が燦々と射す部屋の中で、ベッドに横になっていた。 2 朝日の中で 窓から朝日が斜めに射していた。私は目を細めて窓の外を見た。部屋は2階のようだった。神社の森の 濃い緑が朝日の中で輝き、多数の小鳥が明るく啼き交わしていた。 ベッドの上で大きく伸びをした。 実に快い目覚めだった。こんな快い目覚めは、中学生のとき以来ではないか。身体を見るといつの間にか、 清潔な縦縞のパジャマに着替えさせられていた。 起きあがった音を聞きつけたのか、ドアからママが顔を出した。 「おはようございます。すぐに朝ごはんを食べます?」 「それは有難うございます。それに、パジャマも貸して頂いて恐縮です。スーツはどこにあるのでしょう?」 「すぐにお持ちします。」 ママがスーツ、ワイシャツ、靴下、ネクタイ、それに洗面用具まで持ってきてくれた。 ワイシャツや靴下はきちんと洗濯され、驚いた事にワイシャツはアイロンまで当ててあった。いつの間に、 一晩で、と少しいぶかしく思った。 着替えと洗面を済ませ階下に降りていくと、ママに食堂に案内された。食堂では、昨晩のパーテイで 見かけた100歳になろうかという老人が微笑みながら待っていた。 挨拶を交わしながら椅子に座り、トースト、スクランブルエッグ、カリカリに焼いた厚切りのベーコン、 トストサラダ、絞りたてのジュース、冷たいミルクからなる朝食を食べ始めた。まるで新鮮なビタミンや エネルギーを注射器で血管に直接注入しているように、溌剌とした肉体の喜びがみるみる体中に 行き渡っていくようだった。 こんなに美味しい、こんなに生き生きとする朝食を食べたのはいつ頃の事だったろうか。そうだ、 これこそ朝食なんだ、これこそ朝の食事だ、とつくづく感嘆した。 「こんなに美味しい朝食を食べたのは久し振りです。本当にご馳走様でした。それではこれで」 といって立ち上がると、老人が、「いや、少しお話があります。向こうでお茶でも飲みながら・・・」 といってロビーのソファーに私を案内した。 ソファーに座ると、ママが紅茶を淹れて持ってきた。流石に喫茶店のママらしく、 香りのよい素晴らしい紅茶だった。 「ママ、昨日のコーヒーも素敵でしたが、紅茶も素敵ですねえ、葉がいいのでしょうか、それとも何か コツがあるのですか?」 ママが、老人の方をチラッと見た。 「山本さん、其の事ですが、昨日の事じゃないのです。1ヶ月も前のことなのですよ。あなたは ずうっと眠りこけていたんです。」 ママが、一束の新聞をもってきて、黙って私に差し出した。最新のものは10月11日となっていた。 私の誕生日は8月16日で、定年退職日は8月の末日になる。だから今日は9月1日のはずだった。 私は愕然とした。どうしたらよいのか分からなかった。しかし、とりあえず家に電話しよう、 家内も娘も心配しているだろう。 携帯電話を取り出した。 しかし、老人が首を振りながら、私の手を押さえた。 「もう少し、私の話を聞いてからにしてください。」 「あなたはね、神社の鳥居を入った瞬間に、それまでの世界から、 私たちの世界に移ってきたのですよ。」 ママが、私を見ながら僅かに頷いた。 「あなたは、公園で浮浪者に花束を渡したでしょう。其の浮浪者は、この人です。」 ママが、今度は大きく頷いた。 「それから始まったんです。」 老人が続けた。 「あなたは浮浪者に花束を渡す事によって、この人にプロポーズしたんです。しかも其の直後 この人の喫茶店に入り、誘われて神社の鳥居をくぐりました。」 暫く老人が沈黙した。その間、窓の外では小鳥たちが一層声高に囀っているように感じた。 「私たちは、伴侶がなくなると、残った方も一年程度しか生きることが出来ません。 その間どんどん歳を取り、ついには老衰死する事になります。この人の場合は、幸いにも あなたがプロポーズをしてくれました。これからも生きる事が出来ます。穢い老婆にこんな事が あるなんて、本当に珍しい事なんです。心から御礼を申し上げます。」 私は呆然となった。この人は一体何を言っているのか。 あの汚い老婆がこの人? 私たち? プロポーズ? 「あなたが花束を渡してくれた事により、この人は直ちにこのように若返りました。 私達にはすぐに分かりました。あなたは私達なんだと。だから、あなたは喫茶店に自分で入り、 鳥居も難なく通り、この建物にも入れたのです。あなたは私たちなんです。」 この老人の不思議な話が続いた。 この老人は既に数千年も生き続け、ママも既に千年近くにもなっている。つまり、この人たちは 不死の身体となっており、不慮の事故以外では死ぬ事がない。しかし、この不死の幸運も伴侶が 亡くなれば、消えてしまう、ママは、あと2ヶ月ほどで死ぬ予定だったという。 私が一ヶ月眠り続けたのも、この神社の不思議な力の作用で、不死の身体に変化していたからだそうだ。 後で分かったことであるが、日本の神社の敷地と社はこの人たちの隠れ家として、造営され、 維持されてきたものであるらしい。一般の人たちには見えないが、神社の森の中には、 この人たちの住居があり、社はそれを象徴的に示している、ということであった。 老人の話はなかなか信じがたいことではあったが、送別会後の一連の出来事は、老人の話を 全面否定するには奇妙なことが多かったし、何よりも老人やママが不思議な異様な力を 持っているようで恐ろしくもあった。 しかし、家内や娘がどうしているか、生活はどうなっているか、確かめたかったし、何よりも現在の 自分の有り様を、家族に説明したいと思った。そこで、すぐに家に帰る、帰りたいと老人に言った。 これに対して老人は、もうあなたは向こうの世界には存在しないのだ、誰もあなただとは分からないのです、 どうしようもないのです、と私を止めた。 しかし、私はそれを振り切って、まず、神社から歩いて30分程度のところにある旧勤め先に行ってみた。 受付の女性は、真面目な顔をして私の名前と所属を聞く。ほら、前月まで第二営業部長をしていた山本だよ、 僕の後任の部長に会いたいんだ、というと気味が悪いという表情をして、電話で部長に連絡をし、 応接室に案内された。 後任の部長に加えて、私の机の両隣に座っていた二人の担当部長もやってきた。 夫々名前を名乗り、私の向かいに座ると、「山本前部長とのご関係は?」と真面目な顔をして問いかける。 暫くすると、老人とママがやってきて、「すみません、私はこの者の家内でこちらは父親です、最近精神的な 疲れが出てきていて、妙な事を云うときがあります、山本さんは昔から友人であったそうですが、どうも、 山本さんについても妙な事を口走ります、すみません・・・・・、ね、あなた帰りましょう」 と平身低頭しながら、私を促す。 老人が後任の部長とともに、私の様子を見ながら、低い声で山本が現在どう云う風に考えられているか 探っていた。 それによると、送別会の直後行方不明になってしまった、現金はほとんど持っていないのにカードも使われて いない、神隠しにあったような状態だ、家族は今も探しているが、手掛かりが全くないので、年金や住宅ローン のために、失踪宣告を申請しようかと思案中らしい、それにしても妙なんです、家族関係もうまくいっており、 送別会では、奥さんを外国旅行にでも連れて行きたい、と嬉しそうに云ってたくらいです、家出するような 悩み事など何もないようでした、などと部長が喋っていた。 私はようやく分かってきた。長年共に働いてきた彼らでさえも、山本という人間には見えないのだ、 それどころか現在の私は、山本を僭称する不届きな精神異常者なのだ。 悄然として、神社に戻って、洗面所の鏡を見てみた。長年見慣れた顔がそこにあった。 私には以前と同じように見えるのに、世間の人には全く別の人間に見えるらしい。 老人とママが繰り返し説明した。 私はもうどこにも所属していない、無名の、無職の60歳の初老の人間なのだ、収入もない家族もない、 所有しているものは今着ている衣服だけ、知人、友人、両親、兄弟姉妹、妻や娘も私と分からない、 過去の経歴も、学歴もない、何にもない、あるのは60歳になったこの身体と経験と記憶だけ、 しかし経験も経歴に結び付けられていて、経歴が使えなければ何の価値もない。 本当にそうだろうか、妻や娘なら私だとすぐに分かるのではないか、そうだ、携帯電話がある。 私は携帯電話を取り出し、震える指でボタンを押した。しかし、携帯電話は全く機能を停止していた。 何の反応もなかった。つまり、契約を切られているのだ。携帯電話の無言の反応が、今の状況を、 何よりも雄弁に物語っているようだった。 呆然として、携帯電話を見つめた。 老人たちの主張は本当なんだ、と心の底のほうから分かってきた。 私は、全くどこにも属しない根無し草なんだ、何もないのだ、何者でもないのだ。 寂しさ、悲しさが心の底から湧き、涙が、止めどもなく湧いてきた。