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今年のノーベル文学賞に村上春樹氏と共に日本人としてノミネートされた作家多和田葉子氏の「百年の散歩」を読みました。
氏はベルリン在住で、この小説はベルリンにある10の通り(カールマルクス通りやカント通りやプーシキン並木通りなど過去の有名人の名前が通りの名前となっています)を題材にした小説です。
私が今まで読んだどの小説とも異なる小説でした。
以下、ワンフレーズだけ引用します。
「マヤコフスキーリングの一節」
・・・そこにすわっているのは、リーリャだった。
隣にすわっているきりっとした体格のいい男性が夫のオーシブ・Bだろう。
髭の剃り跡が自信に輝き、瞳は鋭く光っているが、その光に冷たさはない。
割り算に例えると、勝ち気で割っても、責任感で割っても出てしまう余りのような一種のあこがれが瞳に宿っている。
胸板の厚さは財産の豊かさに比例し、靴はカブトムシの背中みたいにぴかぴかに磨かれている。
「リーリャ」とその男に呼びかけられると女はすぐにその腕にしがみついて、肩に頬をのせ、「オーシブ」と甘く耳元で囁いた。
そのくせ、目だけはわたしの方に向けて、媚びるような視線を送り続けている。
リーリャは多分わたしをマヤコフスキーだと思い込んでいるのだろう。
夫のオーシブに甘えながら同時にこちらに媚を送り続けるなんて許せない。
「4時に待ち合わせ場所に来るって約束したのに、こんなところにいたのか」
とわざと夫にも聞こえるようにはっきり言ってやった。
もしかしたら4時に来る約束をしたのはリーリャではなくて、マリアという名の昔の恋人だったかもしれないが、そんなことは今はもうどうでもよかった。
マヤコフスキーの怒りのエッセンスが胸を満たし、わたしは彼の代弁者として何が何でも今この女を絞ってやりたかった。
リーリャはわたしのセリフを無視して、夫の目の中を覗き込んで、ねばっこく微笑んだ。オーシブは包み込むような微笑でそれに応え、それからわたしの方に同じくらいやさしい視線を向けて、「詩は書けたかい?」と尋ねた。
全く嫉妬していない。
わたしをマヤコフスキーだと思い込んでいることは確実だが、そのわたしが妻を奪う可能性など計算に入れていないようだった。・・・
(注)マヤコフスキーはベルリンの通りの名になっている詩人。オーシブはマヤコフスキーの親友。そして、リーリャはオーシブの妻であると同時にマヤコフスキーの恋人。
「わたし」はマヤコフスキーリングというベルリンの環状通で想像をたくましくしている作者自身?
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