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朝日新聞「天声人語」を引用します。
何につけても屋内の活動には逆風が吹き、趣味の剣道の稽古ができなくなった。
運動はもっぱらウオーキングである。
毎日毎日歩くと、道端の野草も顔なじみになる気がしてくる。
あの道の角にあるヒナゲシも、あの空き地に咲き始めたハルジオンも。
恥ずかしながら、この春になって名前と姿が一致した花が、青くて小さなオオイヌノフグリである。
こんな句にも出会った。<犬ふぐりへは小さき風小さき日>後藤比奈夫。
大きな風であっても、小さな野草には小さな風が吹いているかに見える。
その姿は弱さではなく、強さであろう。
太平洋に突き出るような犬吠埼で、中村草田男はこう詠んだ。
<蒲公英のかたさや海の日も一輪>。
地にへばりつくようなタンポポを見ると、なるほど海からの強い風であってもびくともしないような「かたさ」がある
この世界に、とんでもない逆風をもたらしている新型ウイルスである。
海外のそして日本の各地から、毎日伝えられる被害を目にするたび、風の強さにおののいてしまう。
せめて自分の暮らしに吹く小さな風は、精いっぱい耐えて、しのぎたい。
野草たちのように。
下ばかり見て歩いていたら、桜の花びらが、歩道をいまも彩っていることに気づいた。
花屑と呼んでみれば、いとおしさも増す。
その一枚一枚を散らしたのは、どんな風だったか。
<人恋し灯ともしごろを桜散る>白雄
会いたい人にも会えないまま、一日一日が過ぎていく。
そんなときにも、終わりは必ず来る。
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