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パワハラに関し、議論が盛んです。とってもいいことだと思いますが、一つだけ懸念があります。
パワハラの現象面だけをとらえて議論すると、議論が散漫になって、言葉尻や些末な行動のあれこれを問題にするようなことにならないか、ということです。
たとえば、労働者が墜落しそうな体制で作業している場合に、びっくりした上司がその人を引き倒して、安全を守ろうとした場合や、上司が事務所で怒りに任せて引き倒した場合の両方を比べると、現象面は全く同じですが、墜落しそうな場合の引き倒しはパワハラにならないことは明白です。
言葉についても色々な場合が想定されます。
たとえば、事務職の労働者に自宅まで社用車での送り迎えを強い言葉で強制することは、場合によってはパワハラになるでしょうが、運転手として雇用した者に対しては、当然の職務としてパワハラにならないでしょう。
労働者は、労働契約で使用者に従属労働をする義務を負っています。だから、その契約の範囲内で、上司の命令に服することは当然で原則としてパワハラにはなりません。然し、その命令も、その行使の態様が、法令や社会常識、職場の慣習や条理にに反していてはならないことも自明です。
更にまた、労働契約の内容も、文書に書かれた内容そのままであれば、それでいいということにもなりません。我が国の雇用契約書は実に簡単で、労働者が何をなすべきか、使用者は何を命じていいのか、ということも定かでないのが普通です。
つまり、労働契約の内容も職場ごとに、慣習的に、言わず語らずで決まっているのが普通です。
そのせいで、労働者もどこまでが従うべき命令でであるかどうか明確でないために、大いに迷うし、使用者もその限界が明確でないので、限界を超えて命じる場合も多くなっています。
パワハラという概念が、日本で発明された現象であるということがその象徴であるような気がします。過労死が日本だけの現象であるのと同様です。
ではどうしたらいいのか、ということですが、パワハラは、労働契約の内容が実に曖昧であることが、その原因の大きな物のような気がします。
そこでまず、労働契約の内容を細かに書くということから始めなければならないような気がします。即ちジョブカードの採用です。
アメリカの医療機関のテレビのドラマを見ていたら、医師が看護師に廊下にある認知症の患者の糞便を処理するように命令したところ、看護師がジョブカードに書かれていないのでそれは私の仕事内容ではない、といって平然と断るシーンを見ました。看護師が平気でそう言って断るのです。
医師もまた、困った顔をしましたが、それを受け入れます。しかも、それを自分で処理するのです。
医師は、その部門の長であるから、糞便処理は医師としてのジョブカードには書いていないのかもしれませんが、組織を維持するための責務として処理したのでしょう。
日本の病院で、このような事態があったらどうなるのでしょうか。多分日本の看護師さんたちは優しいから、大多数がやむを得ず処理するのだろうと思います。或いは当然看護師さんたちがするものだということかもしれません。
しかし、いま、このような場合にそれは看護師の仕事ではない、掃除担当者の仕事であると考える多数の人々がいるような気がします。そのような人々は、それを強制されたら、パワハラだと考えるでしょう。
その様な人びとに、その様な職務が続いたら、うつ病になるのもおかしくありません。
しかし一方、この職務が当然のこととして労働契約の中に書いてあったら、そのような人びとも、そのような仕事がこの病院の看護師の仕事であると覚悟して働き始めるので、パワハラとは感じないのではないかと思います。
即ち私は、まず労働者の仕事の内容を明確にし、その上で、上司がその仕事の内容を命じる場合に、どのような倫理、法令等に従えばいいかということを明らかにし、更にその場合のパワハラの現象面を区別するという論理構造が、必要のように思います。
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