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金曜日の読売新聞によると、イチローさんが日本野球連盟などの3日間の講習を受けているということでした。
この講習を受けたのちに連盟などの審査に合格すると、指導者になれるというのです。
中身を読むと、この講習はプロ野球選手が学生野球の指導者になるときに必要なのだそうです。
すこしびっくりしました。日本やアメリカ大リーグでのレジェンドぶりは周知のことであり、しかも卓越した技術と素晴らしい倫理観、野球哲学は多くの人々のつとに認めるところですが、この人にして、アマチュア野球選手の指導者になるのは,講習を受けて審査を通らないいけないのです。
イチローさんに教える人、イチローさんの審査をする人というのはいったいどんな人々なのでしょうか。
そして、これまたそれを忍耐強く受け、審査を行けようとしているイチローさんのすばらしさにつくづく感じ入りました。
実はここにこのことを書いたのは、これが今の我が国の現状を鋭く表示していると思うからです。
人を評価するのに、その人の持つ公的資格、学歴などに寄っかかり、その人の持つ才能を客観的に評価しない、評価する能力のある人がいない、評価するシステムがない、という欠陥が社会や企業を硬直化していると思うからです。
もっと広く考えると、あらゆる場面で必要がない多くの規制が社会や企業、何よりも人の発展を阻んでいるような気がします。
イチローさんが仮に資格がないとしても、どこかの大学や高校、あるいはクラブが、それこそ三顧の礼を持ってお願いしなければならない人であるように思いますが、彼にして資格がなければ、指導者に迎えられない、迎える気力のある組織がない、というのであれば、実に愕然とします。
あらゆるところに蔓延する規制を、何とかしてほしいと、最近つくづく思います。
一方、労働時間の規制など、企業や働く人の意欲をそぐものだとの非難を受けたことがあり、その時は必至でそれに反論したものですが、今日の私の意見にも、あるいは反論があるのかなあ、とも思います。
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