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磯田道史氏解説(最終回)
この作品の最後に、とても重たい言葉がある。
幕末維新を生き延びた祖父が栗をむきながら、幼い孫に対して、こういうのである。
「もう爺に苦労を思い出させるな。おまえはただ、旨い栗飯を食えばよい。そうだ、それでよい」
子や孫にだけは苦労をさせない。
思えば、武士というものを失ってから、それだけが、我々、日本人のたしかな道徳であったかもしれない。
このような幼き者への優しさでもって、かろうじて日本人は、これまでやってこられたようにも思う。日本人は優しい。親が子を思い、子が親を思うという優しさの連鎖が、この国の人の心を安定させ、社会を安定させてきた。
これはまぎれもない史実である。
しかし、今日の我々は、かっての経済的な過ちに「始末」をつけているだろうか。
国にも地方にも、大きな借金の山をつくり、ある意味で、この国の「公」というものを無茶苦茶にしたまま、子や孫たちに世代を譲ろうとしているようにも見える。
子や孫に「旨い栗飯」を食わせるどころか、親たちが栗飯を先に食ってしまって、子や孫を呆然とさせている有様かもしれない。
それを思うとき、「男の始末とは、そういうものでなければならぬ。けっして逃げず、後戻りもせず、能う限りの最善の方法で、すべての始末をつけねばならぬ」
という作中の言葉が、とても厳しく、まるで突き刺さるかのように我々の心に響いてくる。(終わり)
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