春を待つ

 投稿者:ひまじん  投稿日:2021年 2月 9日(火)11時57分44秒
  まだまだ寒いですが、季節は春になってきているのですね。

美しい花と共にコロナを吹き飛ばしてほしいですね。
 

春を待つ

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2021年 2月 9日(火)09時25分56秒
  早春の花が咲きました。  

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 9日(火)05時41分20秒
  今日は2月9日です。」「1926年昭和11年の今日日本初のプロ野球公式が名古屋で行われた。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 9日(火)05時37分53秒
  掃きだしは得意技ですカーリング。」「そだねー。」
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 8日(月)05時36分26秒
  今日は2月8日です。」「1887年明治20年の今日郵便のマークがテと制定された。当時の逓信省の頭文字からとられた。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 8日(月)04時27分13秒
  「掃けるなら掃いてみろやと濡れ落ち葉。」「へばりつきます。「  

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 7日(日)05時32分24秒
  今日は2月7日です。」「今日は北方領土の日です1855年の2月7日当時のロシアとの間で北方領土が日本領土であることを認めさせたので1981年この日を北方領土の日と定めた。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 7日(日)04時32分37秒
  男とは時間かからぬイエスマン。」「お返しします。」
 

五郎治殿御始末

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2021年 2月 6日(土)07時54分54秒
  磯田道史氏解説(最終回)

この作品の最後に、とても重たい言葉がある。
幕末維新を生き延びた祖父が栗をむきながら、幼い孫に対して、こういうのである。
「もう爺に苦労を思い出させるな。おまえはただ、旨い栗飯を食えばよい。そうだ、それでよい」
子や孫にだけは苦労をさせない。
思えば、武士というものを失ってから、それだけが、我々、日本人のたしかな道徳であったかもしれない。
このような幼き者への優しさでもって、かろうじて日本人は、これまでやってこられたようにも思う。日本人は優しい。親が子を思い、子が親を思うという優しさの連鎖が、この国の人の心を安定させ、社会を安定させてきた。
これはまぎれもない史実である。

しかし、今日の我々は、かっての経済的な過ちに「始末」をつけているだろうか。
国にも地方にも、大きな借金の山をつくり、ある意味で、この国の「公」というものを無茶苦茶にしたまま、子や孫たちに世代を譲ろうとしているようにも見える。
子や孫に「旨い栗飯」を食わせるどころか、親たちが栗飯を先に食ってしまって、子や孫を呆然とさせている有様かもしれない。
それを思うとき、「男の始末とは、そういうものでなければならぬ。けっして逃げず、後戻りもせず、能う限りの最善の方法で、すべての始末をつけねばならぬ」
という作中の言葉が、とても厳しく、まるで突き刺さるかのように我々の心に響いてくる。(終わり)
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 6日(土)05時33分40秒
  今日は2月6日です。「1875年明治8年森有礼が日本初の西洋式の契約結婚をおこなった。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 6日(土)04時50分29秒
  「次郎吉の嫁に追い銭二千万。」「やっと辞職。」

きち
 

五郎治殿御始末

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2021年 2月 5日(金)08時51分52秒
  磯田道史氏解説その5

このような武士の世を終わらせたのは、またしても、鉄砲であった。
火縄銃は武士が在地領主であることを終わらせたが、ライフル銃と榴弾砲の登場は、武士の時代そのものを終わらせた。百メートル離れれば、かなり安全で一分に数発しか打てない火縄銃の時代は、まだ刀や槍・騎馬武者にも出番はあった。
しかし、五百メートル先の人馬をなぎ倒すライフル銃と四千メートルもとぶ榴弾砲が出てくると、馬上の鎧武者は何の役にも立たなくなった。
それでも、武士らしい戦いを望むものたちは、作中で、岩井五郎治がそうしているように、白兵戦の抜刀突撃をして、討ち死にするよりほかなかった。

そうして死に絶えていった最後の武士たちが考えていたことに、私は日ごろ強い関心を抱いているが、本作品では、このように描かれている。
すなわち、岩井五郎治は桑名藩の「始末屋」として藩のすべてを清算するつらい作業にあたり、それをやり終えると、家財道具を売り払って、自分の岩井家をも始末し、その後行方知れずになる。
ところが、いつのまにか五郎治は老骨に鞭打って、西南戦争に加わっていた。
そして、ある日、突然に孫である主人公のもとに「桑名武士として、みごとに」白兵戦で討ち死にしたとの一報がくる。その知らせをもたらしたのは、旧桑名藩士とおぼしき一人の帝国陸軍の将校(のちの陸軍大将立見鑑三郎がモデルと思われる)であるが、将校が携えてきた五郎治の遺品は、どういうわけか一筋の「付けチョンマゲ」であった。
このチョンマゲにこめられた意味はこうであった。
「侍の理屈は、一筋の付け髷に如かぬ・・・侍の時代など忘れて、新しき世を生きよ」

明治の日本人は、まさにそのように生きた。ふるい時代の頭をかなぐり捨て、必死になって、新しい文明の時代を作ろうとした。滅んでいった最後の武士たちも、新しい時代が来ており、自分たちが無用の長物に成り果てたことが、よくわかっていた。
わかっていたけれども、自分自身は、どうすることもできず「せめて自分の子や孫たちは、この新しい時代でうまく生きていってほしい」。
そう願いながら、死んでいったといってよい。(中略)(続く)
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 5日(金)05時35分18秒
  今日は2月5日です。」「1901年明治34年の今日福岡県の八幡で官営の製鉄所の火入れ式gあった。日本の近代工業国への幕開けとなった。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 5日(金)04時06分55秒
  [議員の罰即規定抜けている。」「特措法改正案成立、」
 

五郎治殿御始末

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2021年 2月 4日(木)09時27分29秒
  磯田道史氏解説その4

北方の防衛ラインもある。
会津・白河を機軸として、東西に長岡と磐城平を結んだ線である。
つまり、幕末史で最後まで徳川にこだわった諸藩は徳川の防衛ラインを担う「数珠つなぎ」の藩の一角をなしていた場合が多い。
桜田門外の変で暗殺された井伊掃部頭は彦根、坂下門外の変で暗殺されかけた安藤対馬守は磐城平の藩主であった。長岡藩牧野家、会津松平家の徳川への頑ななまでの忠義はいうまでもない。

桑名の久松松平家はそのような立地条件で培われてきた「徳川武士の純粋モデル」であり、そこに生きる「岩井五郎治」という架空の人物の生きざまを通して、この国の人々の生き方そのものが、この作品では問われている。

この本を読むと、徳川武士の純粋型の特徴が恐ろしいほどよく捉えられている個所にしばしば行きあたる。
土地から切り離されてしまった徳川武士が、命より大切にしていたものは、主君の御家と自家の家名の永続であったが、浅田氏は「最後の武士」である岩井五郎治に、こういわせている。
いよいよ、武士の世が終わりと悟ったところで、五郎治は孫にこういい残す。
「重々考えた。岩井の家はしまいじゃ。初代久松定勝公より十八代の長きに続いた桑名松平家がしまいなのじゃさかい、御譜代の岩井家がこのさき続かねばならぬいわれはあるまい」
ここでは、主君の家のほうが、自分の家よりも上位に置かれている。
主君の松平家のために、岩井家はある。だから、主家がしまいになったいま、自分の家の存在理由はない、といっている。

これは戦国以前の中世武士の感覚とは百八十度ちがうものである。
中世武士は、主君の家を「自分の家が生き残るための道具」ぐらいにしか考えていなかったかもしれない。つまり、自分のための主君であった。
ところが、江戸時代になると、いつのまにか「主君のための自分」になってくる。
それが徳川武士というものであり、浅田氏の筆は、よくその一面をえぐっている。
そして、最後に、こうもいわせている。
「これからは、万事が金の世になるのじゃろうな」(中略)(続く)
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 4日(木)05時31分24秒
  今日は2月4日です。」「1907年明治40年の今日栃木県の足尾銅山で大規模な労使衝突があった。  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 4日(木)04時14分58秒
  「抜けて羽を延ばせる訳じゃ無し。」「栃木を除き緊急状態延長。」  

五郎治殿御始末

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2021年 2月 3日(水)09時32分14秒
  磯田道史氏解説その3

ところで、このような徳川武士を小説に描く場合、その舞台設定が大切になってくる。浅田氏は表題作「五郎治殿御始末」の舞台として「桑名藩」をえらんでいる。

おそらく、この作家の鋭い感性のなせるわざであったと思われるが、これは歴史研究者の目から見ても、きわめて適切な舞台設定である。
桑名藩ほど徳川武士らしい武士集団はない。なぜか。
地政学的にみて伊勢国桑名は特別な地である。

家康以来、徳川幕府は、幕府が倒れぬよう、あらん限りの知恵をしぼって、たくみに全国に大名を配置した。その手の内を明かせば、こうなる。
家康は永久につづく政権はないと考えていた。いつの日か、必ず、西国の外様大名は江戸に向かって攻めてくるとみていた。
それを想定して、家康は、まるで合戦のときの陣立てのように、徳川一門・譜代の大名を日本地図のうえに配置している。
そのとき、一番重要な地点がある。私は「彦根ー桑名線」とよんでいるが、これが西国大名を迎え撃つ徳川軍の防衛ラインつまり最前線になる。
京大阪方面から江戸にむかって正面から進行してくる場合を考えると、この彦根と桑名を結んだ線を敵は必ず通ることになる。
日本地図をみるとわかるが、琵琶湖と伊勢湾にはさまれたこの場所で陸地が一番せまくなっている。西国外様大名の軍は、このわずか十里(四十キロ)ばかりの地峡を突破してくることが確実であったから、徳川幕府は、もっとも信頼のおける、いかにも徳川らしい譜代や一門の家をえらんで、ここに置いた。

関ヶ原の合戦のあと、家康は自ら指示して、はじめ佐和山、のち彦根に井伊直正の「井伊の赤備え」を置き、桑名に本多忠勝の本多家を入れた。
この時代防御の要点は、いかに火縄銃を防ぐかにあった。火縄は水に弱い。家康も考えたものである。
琵琶湖の水辺に彦根城を、伊勢湾に浮かべて桑名城を築いて、水城とし、徳川四天王のうち、井伊と本多をそこに配した。ただ桑名のほうは、たびたび入れ替えられ、幕末にいたって、寛政の改革で知られる松平定信の子孫・久松松平家が白河から入封されるにいたった。(続く)
 

kiki様へ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 3日(水)05時47分34秒
  1月28日の投稿のかいつぶりなつかしく思いました。小学校のとき西堀端に住んでいましたので、
キャーツグロとは親しく遊びました。
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 3日(水)05時35分21秒
  今日は2月3日です。「1966年昭和41年の今日世界初の月面軟着陸に当時のソ連
のルナ9号が成功した。米国はその半年あとと遅れをとった。」
 

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 3日(水)05時00分7秒
  「憂いありいつもこの国備えなし。「英tpp参加要請。」  

五郎治殿御始末

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2021年 2月 2日(火)09時30分48秒
  磯田道史氏解説その2

ところが、である。この島国に「火縄銃」という厄介なものが、ヨーロッパから持ち込まれた。火縄銃は在地領主の時代を終わらせた。
火縄銃という道具は、群雄割拠を許さない。火縄銃で攻めるとこれまで落ちなかった難攻不落の山城も、たちまち落ちる。
日本中の武士たちは、これまで裏山の砦に立て籠もって「在地領主」として「おらが村」に君臨してきたが、それが許されなくなった。

天下統一がすすみ、農村に住んでいた武士たちは豊臣や徳川といった「天下」もしくは「公儀」とよばれる新しい権力者に従う道をえらび、「在地」から切り離された。
兵農分離で、城下町に集住させられ、「国替え」の一言で、どこへでも赴任させられるようになったのである。
そのなかで、「武士の無私化」とでもいうべき現象がおきた。武士が主君に仕えるのは、私欲のためであったはずだが、江戸時代になると、武士は在地からはなれ、城下町に住み、毎日、主君に仕えるようになる。
城下町から勝手に出ることも禁じられ、生まれてから一度も自分の領地をみたことがない武士の時代になる。領地などに行かずとも、藩主に忠実に奉公してさえいれば、年貢米は自然と自分の屋敷に運ばれてくる。
その中で、「私なき奉公」という德川武士の道徳が生まれてくる。

浅田氏がこの作品で描きたかったのは、その私なき武士たちの「おのれの身の始末」のつけかたであり、徳川武士の物語を語ることによって、なにがしかのことを、いまを生きる日本人に訴えているのではあるまいか。(続く)
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 2日(火)05時30分51秒
  今日は2月2日である。」「1920年大正9年の今日東京でバスガールが出現した。
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 2日(火)04時25分9秒
  今日は2月2日です。」「今日は節分である。立春の前日である節分は今年は2月3日でなく2日となる。1年が365日丁度でなく6時間ほど長いためずれた。前回2月2日であったのは明治30年であり、124年ぶりのことである。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 2日(火)03時34分21秒
  「ジヨー談はヨシコさんです会いもせず。」「おもわず出るダジャレ。」  

五郎治殿御始末

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2021年 2月 1日(月)18時39分17秒
  標題の作品の他、桜田門外で井伊大老を襲った刺客18名のその後と仇討の「柘榴坂の仇討」等5編

浅田次郎氏の短編小説を歴史学者磯田道史氏が解説しています。
この解説が浅田氏の短編(幕末から明治に移行する時代の武士たちの生きざま)を的確にとらえているので引用します。

幕末はそれほど遠い時代ではない。せいぜい、私たちの曽祖父から玄祖父の頃の話である。にもかかわらず、はるか昔のように感じられるのは、この時代が千年続いた「武士の世」の末端で、明治以後になってはじめて「いま」になるという感覚を、我々がもっているからにちがいない。

浅田次郎氏がこの作品集【五郎治殿御始末】で描こうとしたのは、まさにその「千年の
武士の世の最後」にほかならない。(中略)

日本人が千年やってきたことの後始末だからそれこそ途方もない後始末である。
浅田氏はそのなかで苦しみながらも、まっとうに生き、見事に後始末をつけてきた侍たちの生きざまを描いている。

当初、武家社会というものは剥き出しの「私欲」の世界から発している。
いささか学問的な話になるが、中世以前、この国では「在地」ということがよくいわれた。現地というほどの意味で、現地にいる土地領主のことを「在地領主」とよんだ。
武士の時代は千年にわたるが、実は、平安・鎌倉・室町時代というはじめの七百年は、武士が領地に居住してその在地を治めていた。
学術的には「在地領主制の時代」とよばれる。

中世の武士たちは「一所懸命」の自分の土地を守るため、「強いものにつく」という私の単純な欲望から、主従関係を結んだ。
鎌倉武士などはその典型であり、鎌倉殿とよばれた将軍に奉公するのは、徹頭徹尾、おのれの土地のため、私欲のためであった。中世は「私の世界」であり、この時代の武士は私欲の塊であったといってよい。(続く)
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 1日(月)05時31分24秒
  今日は2月1日です。」「1895年明治28年日本初の路面電車が京都で営業をはじめた。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 2月 1日(月)04時43分1秒
  「神様になってマー君降臨す。」「大リーグから楽天へ復帰」  

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月31日(日)05時34分23秒
  今日は1月30日です。」「1912年明治45年今日東京の当時の院線の中昌平橋間に婦人専用車両が出来た。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月31日(日)05時00分33秒
  「恵方などないでしょうコロナ世界中。」「八方ふさがり。」  

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月30日(土)05時31分3秒
  今日は1月30日です。「1902年明治35年日英協約が締結された。当時のロシアの脅威に対抗したものである。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月30日(土)03時49分44秒
  「この分じゃ傘寿の川も金次第。」「コロナ禍生活困窮者に首相まず自助と答弁。」  

お堀のキャーツグロ

 投稿者:KIKI  投稿日:2021年 1月29日(金)21時47分31秒
  佐賀城お濠公園の西濠にキャーツグロの群れが、天山降ろしの北風にも負けず、クルッと水に潜ったりして、元気に泳いでいました。遠くに見える白い建物は、佐賀県庁です。西濠の蓮は消滅しています。現在は南濠に再生しています。

 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月29日(金)05時31分8秒
  今日は1月29日です。」「1952年昭和37年の今日日本の南極観測隊が南極に上陸した。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月29日(金)03時04分19秒
  「季節感なくな り旬の香りも嫌い。」「コレ臭いなどと。」  

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月28日(木)05時33分10秒
  今日は1月28日です。」「1912年明治40年の今日白瀬矗の隊が南極点の一番深いところに到達し大和雪原と命名した。
 

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月28日(木)04時40分38秒
  寒中や六人は未だ贄のまま。」「学術会議。」  

「今日の会話」

 投稿者:トト  投稿日:2021年 1月27日(水)20時58分45秒
  さゆ(白湯)が欲しいと家内に頼んだところ、湯冷ましを持ってきました。

私・・・・・「さゆがほしいのだけど・・・?」

家内・・・・「だから持ってきたのよ!白湯というから・・」

私・・・・・「白湯というのは、飲み水を沸かしたものだよ、冷ましたのは湯冷ましだろう?」

家内・・・・「冷ました湯を短くして「さゆ」というのよ!暖かいものはお湯というの、湯冷ましなんて面倒なことは言わないの」

私・・・・・「君のうちではそうだろうが、日本語は違うよ」

家内・・・・「大阪では誰もそういうの!大阪は日本ではないのと言っているのね」

私 ・・・・「・・・・・・(沈黙)・・・・」
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月27日(水)05時31分42秒
  今日は1月27日です。「1955年昭和30年の今日人間国宝に歌舞伎の坂東三津五郎など30名が選ばれた。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月27日(水)04時49分40秒
  「親戚に会えず福なしお正月。」  

パソコン

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月26日(火)16時29分55秒
  1年に2~3回調子が悪くなる。その都度あちこちclickしてなんとなく又使えるようになる。きょうも2時間ばかり不調でした。
 

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月26日(火)16時25分8秒
  福引の前に腰かけ手消毒。」  

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月26日(火)05時32分30秒
  今日は1月26日です。」「今日は文化財保護デイです。1949年のこの日法隆寺金堂が消失したことから、この日を文化財保護デイに制定した。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月26日(火)03時56分0秒
  詩朗読アメリカに希望あり。」「就任式の感動。」
 

わたしが消える

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2021年 1月25日(月)08時26分5秒
  標題は昨年江戸川乱歩賞を受賞した佐野広美さんの小説です。
元警察官の私(藤巻)は交通事故で自転車ごと車にはねられる。
事故は軽度で済んだが、医師から軽度認知障害と診断され落ち込む。

藤巻はある事件を担当したことから、警察組織を憎んでおり、妻との離婚の原因もそこにある。
妻に引き取られた娘は大学生で大学の研修で介護施設で働いている。

ある日、施設の門前に一人の老人が佇んでいた。
老人はかなり衰弱して介護を必要とした。
施設では老人を暫く施設で面倒を見ることにした。
その担当が藤巻の娘の祐美だった。

身元不明の老人は認知症のためコミュニケーションが取れない。
施設では老人が施設の門の前で見つかったので、門前さんと呼ぶようにした。
付近の監視カメラを数台あたったところ、施設の前で老人と女性らしき2人の姿が確認できた。

藤巻はこの女性について調査を開始した。
この何気ない出来事が、過去の大きな事件へと発展していく。

文章の表現は芥川賞にはかなわないが、ミステリ特有のなぞ解きを楽しめる。
謎解きあり、アクションありのこの小説は、映像化したらさらに面白い作品になりそうな気がした。
(選考委員が指摘していたが、警察組織のことでミスがあるようです。それでもフィクションとして十分楽しめます)。
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月25日(月)05時32分39秒
  今日は1月25日です。」「1902年明治38年の今日旭川でマイナス41度を観測した。観測されたなかでの最低気温である。」  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月25日(月)04時51分10秒
  不要不急なんて言わせぬ犬散歩。」「ポチお待ちかね。」  

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月24日(日)05時30分0秒
  今日は1月24日です。」「1848年米カルフォルニア州で砂金がみつかりゴールドラッシュがはじまつた。  

川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月24日(日)04時06分48秒
  「トランプを裏返すのが初仕事。「バイデン大統領就任。」
。「
 

今日は何の日

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2021年 1月23日(土)05時31分13秒
  今日は1月23日です。」「1952年昭和27年の今日日本初のラジオ放送で国会中継が放送された。当時の吉田首相の施政方針演説が放送された。」