言の輪79号「ゆく年くる年」発刊
お隣の言の輪の79号「ゆく年くる年」が、昨日印刷製本が終わり発刊されました。
作品集ももうすぐ掲載されると思います。
そちらから素敵な作品をご覧ください。

ひまじん 
2024/12/07(Sat) 14:20
インデアンカレー
スープカレーとは対極にあるカレーです。ねっとり、どろっとしています。昔風のカレーはどろっとしていますが、それがさらに、ねっとりとしているという感じです。ちょっと癖になる味です。
トト 
2024/12/03(Tue) 22:54
帯広のインディアンカレー
帯広のインディアンカレーはスープカレー(私は以前富良野でスープカレーを食べてその後有名になりました)とは違うんですか?
関西のヒマジン 
2024/12/01(Sun) 12:08
帯広のインデアンカレー
念願のインディアンカレーを食べました。しっとりした、コクのあるアジで一度食べたら病み付きになります。日曜日迄帯広にいるので、もう一回は食べたいと思っています。
トト 
2024/11/21(Thu) 19:20
帯広で温泉
今日帯広にきました。早速モール温泉にはいりました。この温泉は泥炭相を熱水が通って来て湧き出したものだそうで、コーヒーの様な色がついています。掛け流しだそうで、浴槽からお湯がいつも溢れています。料金は、500円、全く嬉しくなりました。
トト 
2024/11/21(Thu) 16:41
浅田次郎氏の随筆集
孔子は「四十にして惑わず」とのたまい、孟子もまた「四十にして心を動かさず」と言った。
すなわち人間は四十歳でおのれの世界観を確立し、そののちの人生を揺るがずに過ごさねばならぬのである。
しかし齢70にもなって、アジフライをどのように食べてよいのかわからぬ。
しかも大好物であるから、たぶんこれまでに3000尾ぐらいは食べており、にもかかわらず食い方が決まらぬとは情けない。
いったい世の中3000回もくり返してスタイルの決まらぬものなどあろうか。
これは浅田氏の40の随筆を単行本にしたなかの「アジフライの正しい食べ方」の書き出しであります。
アジフライにかけて食べるソース類を人に聞きながら得た知識つまり「醤油」「ソース」「タルタルソース」「なにもかけずにそのまま」を様々な角度から検証していくという、氏独特のこだわりを面白おかしく述べています。
肩の凝らない随筆集です。
関西のヒマジン 
2024/11/21(Thu) 10:11
50代 恥ずかしい ブランド
50代でブランドバッグを持つことに恥ずかしさを感じる方もいますが、上品なデザインは年齢を問わず女性を輝かせます。
ヌプシ 700 本物 値段
本物のヌプシ700の価格は数万円以上が相場です。安すぎる商品は偽物の可能性が高いため、信頼できる店舗での購入が安心です。
まいまいつぶろ
村木嵐さんの直木賞受賞作まいまいつぶろを読みました。
まいまいつぶろとはカタツムリのことで、枷を背負って動きが遅いカタツムリを徳川9代将軍家重に例えて題名にしたのでは...
8代将軍吉宗の長男として生まれた家重は生まれつき脳性まひで端正な顔立ちにもかかわらず片方の顔が歪み、片足を引きずッて歩き、座るときも片足を前に出すというような外見として描かれています。
そして、相手の言葉は理解することができるが、発する言葉が鳥のさえずりのようで相手にはわからず書くことさえできなかった。
家重には宗武という弟がいて幼いころから頭脳明晰な利発な子で申し分のない人物であった。
徳川家には家康以来長子を次期将軍にするという伝えがあり(家光然り)、父吉宗は悩みぬく
そんな中小姓の集まりでただ一人家重の言葉を理解する貧乏旗本の子息忠光がいた。
忠光は江戸町奉行大岡越前守忠相の遠縁にあたるがあまりにも遠い遠戚なので忠相は当初全く知らなかった。
家重は脳性麻痺ではあるが相手の言葉を深く理解して頭脳は明晰で何より優しい性格であった。
家重は忠光が現れてたちまち性格が明るくなり、父吉宗は忠光を家重のそばに置き家重が発した言葉を忠光に喋らせる役目を担わせた。
大岡越前は自分の遠縁が家重の言葉をそのまま伝える役目を喜び、忠光に叔父と呼ぶように伝えた。また、忠光が邪心を抱き立場を利用することが無いよう「家重さまの口とはなっても耳や目には決してなってはいけない」と諭した。
忠光は邪心を抱き自分の立場を利用して出世するような性格ではまるでなく二人だけの時には家重の相手を努め、また、家老などとの謁見のときは家重のそばにいて、言葉を代弁し、常に二人は一緒にいた。
忠光だけにしかわからない家重の言葉を老中他重役は、忠光が家重を利用していると考える人間が大多数であった。そして、大多数は弟宗武が次期将軍になることが相応しいし、またそのようになると思っていた。
父吉宗は悩みぬいたが、家重が元服し京から姫をもらい子が出来てその子(家治)が五体万全でかつ賢いということがわかり、家重を次期将軍が暮らす西の丸に移住させた。
(途中省略)
家重は9代将軍になり、その後治世を継ぐことになり治世は順調であった。
家重を代弁する忠光も出世したが、老中など一部の上司の猜疑心は相変わらずであった。
そんな中、郡上八幡の百姓の直訴に端を発し大きな事件が明るみに出たが、家重はこれを鮮やかに解決して地位を万全のものとして、無事役目を全うし、我が子家治に10代将軍の地位を引き継いだ。
関西のヒマジン 
2024/11/10(Sun) 14:53